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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

正義の味方に疲れた男がわからされる話

作者: 廃くじら

連載中の話のエピソードの一つとして書いていたものですが、おさまりが悪かったので短編で投稿しました。

「これでいいかな?」


迷宮都市エンデ。世界でも五指に入るとされる大地下迷宮ダンジョンの上に立つ地方都市。その冒険者ギルドの受付で、ギルド職員は提出された登録用紙に記された姓名と、それを提出した目の前の若い戦士を見比べ、思わず叫び声を上げそうになった。


「グ──っ!?」

「おっと。悪いが騒がれたくないんだ」


灰色の髪と琥珀色の瞳を持つ精悍な顔立ちの戦士は、ごく自然な動作で受付嬢の眼前に人差し指をつきつけ、それを制止する。


受付嬢はグッと息をのみ、そして動揺を落ち着かせるように大きく息を吐くと小声で戦士に謝罪する。


「……申し訳ございません。グラム卿」

「いや。こちらこそ驚かせた。それと、ナイトハルトでいい。さっきも言ったが騒がれたくないんだ」

「…………かしこまりました、ナイトハルト様」

「様もいらんのだが……いや、面倒かけてすまんね」


そう言って戦士は頭をかきながら愛想良く笑って見せた。


だが受付嬢からすると、目の前にいる男は到底気軽に言葉を交わせるような存在ではなく、平静を装っていてもその心臓は早鐘のように激しく脈打っていた。


ナイトハルト・グラム卿。

異教徒や反乱分子の鎮圧など主にテロ対策の分野で多大な功績を残した帝国の若き英雄。一昨年には国家転覆を企む邪教団を壊滅させた功績で、平民出身、二〇代半ばにして男爵位を授かっている。


立身出世を目指す平民にとってはまさに憧れの存在で、とてもこんな場所でお目にかかれるような存在ではない。


受付嬢は改めてナイトハルトと彼が記載した冒険者登録用紙を見返し、周囲にキョロキョロ視線をやりながら小声で問いかけた。


「その……これは何か……本来のお仕事の一環でしょうか? 必要であれば、上の者を呼んでまいりますが……?」


ナイトハルトの役割は国内の治安維持。

この冒険者登録も、何かそうした任務の一環なのかと推測した受付嬢だったが、ナイトハルトはカラッとした笑顔で首を横に振った。


「いや、気を遣わせてすまないが、そういうのじゃないんだ。そっちの仕事はお休み中でね。これは単に、冒険者ってものを体験したくなってみただけさ」

「は、はぁ……」


受付嬢は自分には話せない極秘任務か、あるいは次の任務のため迷宮ダンジョンに何か用があるのかと想像を膨らませるが、キッパリとしたナイトハルトの態度にそれ以上の追及を思いとどまる。


ナイトハルトはそんな受付嬢の思いに気づいているのかいないのか、ニッコリと笑って続けた。


「それより、早速迷宮に潜ってみたいんだけど、手続きはこれで終わり?」

「あ、はい──今日これからですか!?」

「ああ。まだ昼過ぎだし、軽く様子を見る分には十分時間はあるだろう?」


目を丸くする受付嬢に、ナイトハルトは軽く肯定する。確かに彼の言う通りではあるのだが、何をどう判断し、説明したものか受付嬢は頭を悩ませた。


一般的に新人冒険者は四~六人のパーティーを組み、役割分担した上で迷宮ダンジョンに挑む。普通であればたった一人で、講習も受けない新人が迷宮に潜りたいなどと言い出せば、何をふざけているのかと説教をしなければいけないが、目の前にいるのは救国の英雄だ。


少なくとも戦闘面においては単独で上級パーティーに相当するだろうし、これまで彼がこなしてきた功績を考えれば野外活動や斥候などの経験も積んでいるはず。また、彼が供も連れず敢えて一人で行動しており、騒がれたくないと発言していることを考えれば下手に他の冒険者を紹介することも躊躇われるし──英雄相手にどんな冒険者を紹介するのかという問題もあった。


だが、迷宮ダンジョン内は外界とは全く環境も魔物の強度も異なる別世界。いくら英雄とは言え、迷宮素人を一人で送り出すのは、受付嬢のプロ意識が許さなかった。


「あの……ナイトハルト様にこのようなことを申し上げるのは大変恐縮なのですが、迷宮ダンジョン内は人の侵入を拒む異界です。ちょっとした無知や不注意で人は簡単に命を落とします。ナイトハルト様の能力を疑っているわけではありませんが、せめて誰か迷宮ダンジョン内に詳しい者を雇われては……」

「ふむん……」


受付嬢の言葉にナイトハルトは顎に手をやり少しだけ面倒くさそうに顔を顰めた。


彼女の言いたいことは理解できるが、下手な人間と組んで足を引っ張られたり、騒がれるのは御免被る。チラリとギルド内に視線を走らせ周囲の冒険者たちの実力を推し量るが、ナイトハルトから見ればどいつもこいつも素人同然。とても役に立つとは思えなかったし、何よりこんな連中でも潜れる迷宮ダンジョンに何をそんな大げさな、という思いを抱かずにはいられなかった。


だが同時に最低限の知識やノウハウは確かに欲しいとも思う。変に自己主張が強くなく、最低限迷宮に関する知識とノウハウを持っている人間がいれば──


「……これだけ?」


そんな風に周囲を見回していたナイトハルトの目に、ふとゴロツキだらけの冒険者ギルドには似つかわしくない小柄な少年と白いコボルトの姿が映った。


浮浪児のような見すぼらしい身なりを少年たちは、ギルドの買取りカウンターで職員と何やらやり取りしていた。


「何か文句あるのか?」

「……前はもっと高く買い取ってもらえたはずだけど?」

「はっ。上層で拾える素材なんてのはすぐ在庫がタブついて値崩れするんだよ。買い取ってもらえるだけありがたく思いな」


黒髪の少年は感情を伺わせない無表情で大きく息を吐くと、それ以上抗議することなく職員が提示した買い取り金額を受け入れる。


「…………毎度」

「ふんっ。お前も稼ぎたきゃ、上層でコソコソ乞食みたいなことやってねぇで、一発下まで潜ってみるんだな」


少年は職員のからかいに反応せず、カウンターに置かれた銀貨を無言で懐にしまい、傍らのコボルトの頭を撫でて踵を返した──


「──ん?」

「ワフ?」


──と、いつの間にか行く手を遮るように立っていた鎧姿の戦士に足を止め、顔を上げる。


「坊やたち。ちょいとお兄さんの手伝いをする気はないかい?」


ナイトハルトはそう言って、面白がるように唇を吊り上げた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


ナイトハルトが声をかけた少年はソル、いっしょにいたコボルトはシロと名乗った。


話を聞くと二人はこの迷宮都市に住む孤児で、比較的危険の少ない迷宮ダンジョン上層で素材を拾い集め、何とか食いつないでいるらしい。


「……それでおっさん、結局何の用?」

「ワン! オサン!」

「お・に・い・さ・ん! 俺はまだ二十七歳だ!」


話を聞く手付金代わりに買い与えた串焼きを頬張りながらおっさん呼ばわりしてくるソルとシロの頭をぐりぐり撫でながらナイトハルトは強めに注意する。


そして気を取り直してニカッと笑うと、肝心の要件を告げた。


「俺は今日、冒険者になったばかりなんだが、迷宮ダンジョンの案内を頼めないかと思ってな。お前さんたち、迷宮には慣れてるんだろ?」


ナイトハルトの申し出に、ソルは胡散臭そうに顔を顰めた。


「……何で俺らに? あんたどう見ても素人じゃないし、そこらで声かければいくらでも仲間は集まるだろ。……まさか、そういう趣味なのか?」

「ワフゥ……?」

「失礼な事ぬかすな!」


身の危険を覚えたような仕草で後ずさるソルとシロにナイトハルトは叫ぶが、しかしそう思われても仕方ないなと咳払いして気を取り直し、正直に事情を説明した。


「コホン。まあ、お前の言う通り俺はそこそこ腕が立つ。ちょいと剣の腕を見せてやれば、仲間を集めるのは苦労しないだろうさ」

「……なら、なんで?」

「俺はまだ本格的に冒険者をやると決めたわけじゃない。下手に正式なパーティーを組んで、後で揉めるのは避けたいんだよ」


ナイトハルトの発言に、ソルは納得半分といった表情で頷く。


「ふ~ん……要はいつでも切り捨てれる案内役として俺らを使いたいわけだ」

「……ま、言い方は悪いがその通りだ。勿論、案内はお前さんらが知ってる階層まででいいし、戦えとも言わない。報酬も前払いだ」


そう言ってナイトハルトが提示した報酬はソルたちからすると破格の金額だったが、そのことがかえってソルの警戒心を刺激した。だが怪しくはあっても日々の生活に困窮しているソルたちにとって、その依頼は断るには惜しいものであることも確かだ。


ソルはしばし悩んだ後、ナイトハルトにこう切り返す。


「……報酬はその七掛けでいいよ。その代わり、そいつはギルドを通した正式な依頼って形にしてくれ」


ギルドを介せば仲介料を取られるが、依頼者の身元や依頼結果など全て記録に残る。ナイトハルトがどんな立場の人間であれ下手な行動は取りづらいだろうというのが、ソルの目論見だった。


ソルの考えを概ね理解した上で、ナイトハルトはそれを了承。カウンターで遠目にその様子を見守っていた受付嬢のところに行き、その場で指名依頼を行い、契約を締結した。


その際、ソルたちは受付嬢からナイトハルトが救国の英雄であることをコッソリ伝えられ、くれぐれも粗相のないよう念押しされることになる。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


エンデの迷宮ダンジョンは地下一〇層までの階層が上層と呼ばれ、比較的危険度の低い初心者向けの階層とされている。


勿論普通に魔物は出るし、順路を外れれば相応に危険なエリアもあるが、順路を通って一〇層の安全地帯セーフティーエリアに到達するだけならば、片道一時間もあれば十分。


そこまで行って帰って迷宮ダンジョン内の雰囲気を掴むだけなら特別準備は必要ないだろうと、ナイトハルトたちはソルとシロに案内されて迷宮内に足を踏み入れた。


「……ワン!」

「ん。こっち。そっちは魔物がいる」


ナイトハルトはソルとシロに、迷宮ダンジョンにまつわる最低限のノウハウ程度は持っているだろうとしか期待していなかったが、しかし二人は彼の予想を裏切り、案内人としてはとても優秀だった。


ソルは非力な子供故に特に危険を避ける必要があったのか、迷宮ダンジョン内の危険なポイントを熟知しており、またシロはコボルト特有の鋭敏な感覚で魔物の接近を見逃さない。


結局、六層に到達するまで一度も魔物に遭遇しなかったので、ナイトハルトは本当にここが迷宮ダンジョンなのか不安になり、二人に頼んでワザと魔物と戦わせてもらったほどだ。


迷宮での初戦闘は蛙男フロッグマン一体。

小柄な二足歩行の獣人擬きで、二人に自分の実力を見せてやろうと意気込んでいたナイトハルトは、あまりの手応えのなさに拍子抜けしてしまった。


その後も一層ごとに一度、計三回の戦闘を繰り返したが、いずれも瞬殺。

これまでその職責から対人戦がメインで魔物との戦闘経験があまり多くなく、多少身構えていた部分もあったナイトハルトだったが、今日の目標であった一〇層の安全地帯セーフティーエリアに到達した時には、戦闘に関しては全く問題ないと確信を得るに至っていた。


(ま、それも当然か。迷宮だ魔物だと言っても、あのレベルの連中が本職として幅を利かせてるんだからな)


ギルドにたむろしていた冒険者たちは、ナイトハルトの目から見ると未熟も未熟だった。大半はゴロツキに毛が生えたようなもので、まともな訓練を受けているかどうかも怪しい連中ばかり。あれなら騎士団の見習いの方がまだましだろう。


(冒険者がこのレベルなら、試しに片っ端から迷宮ダンジョンを攻略して回るってのもいいかもな)


大陸中見渡しても数百年単位で迷宮ダンジョン踏破者など現れていないが、自分なら可能だろうとナイトハルトは早くも楽観視していた。


「…………ほい」

「おう、ありがとう」


安全地帯の岩に背を預け休息をとっていると、ソルがドライフルーツとナッツを固めた保存食を手渡してくる。つなぎでギチギチに固められたそれを、ナイトハルトは水と唾液でふやかしながらゆっくりとかじった。


手持ち無沙汰になり、ふと気になって、ここまで淡々と自分を案内してくれた二人に話しかける。


「そういや、二人はどうして迷宮ダンジョンになんて潜ってるんだ?」

「金」


シロの背中の毛づくろいをしていたソルの答えは簡潔だった。


「そうなのか? 大半の冒険者はそんな実入りの良いもんじゃないと聞くし、態々リスクを負ってこんなことしなくてもいいだろう?」


ナイトハルトの疑問はごく自然なものだったが、ソルにとってはそうではなかったようだ。


「……はぁ。夢破れた元冒険者で溢れた迷宮都市で、身寄りのない孤児が稼ぐ方法なんてそうそうあるもんじゃないよ」

「…………」


ソルの言葉は淡々としていたが、ナイトハルトはまるで自分の無神経を責められている気がして言葉に詰まった。


しかしソルは特に意識しておらず、軽い調子でナイトハルトに話を振る。


「そっちは? 俺は良く知んないけど、あんたって貴族にもなった英雄様なんだろ? 受付の女が『救国の英雄』だの『正義の使徒』だの散々褒めそやしてた。そのまま英雄やってりゃ良かったろうに、何で冒険者なんぞやろうと思ったわけ?」

「…………ふむ」


それはナイトハルト自身、当然聞かれるだろうなと想像していた質問だった。


センシティブな話だとはぐらかしてもいいが、先に自分が聞いておいてそれは少し躊躇われる。何より子供相手だという事実が少しナイトハルトの口を軽くしていた。


「……俺はこれまで騎士として、主に国内の治安維持やらを担ってきてな。まあ平たく言うとテロリストやら邪教徒やらを取り締まる仕事だ。もちろんキツい仕事で何度も死にかけたし、気分の悪くなるようなものも数えきれないほど見てきたが、幸い上からは評価してもらえて、人からも感謝されて、それなりにやりがいのある仕事ではあったんだ」

「いいことじゃん」


そう、いい仕事だった。

子供のころから夢に見た、人々の平和を守る英雄ヒーロー


「問題だったのは、俺が周りから所謂“正義の味方”と認知されるようになったことだな」

「……正義の味方で何か問題あるの? 悪い奴を倒して、人に感謝されるんだからいいことでしょ」


他意のないソルの疑問にナイトハルトは苦笑する。


「正義の味方ってのは気持ちがいいからな。クセになりそうだったんだ」

「…………ワフ?」


ソルとシロが不思議そうに首を傾げる。


「正義ってのはつまり“悪”とか“正しくない”ものを否定する言葉でさ。それ自体何か価値のあるものじゃない。誰かにとって不都合なものを叩き潰してゼロに戻してるだけなんだ。……正しさを楽しむようになっちまったら、人としてもう終わりだろ」


正義とはつまり“悪”を否定するための言葉であり概念だ。他の何かを否定し攻撃する時にだけ人は正義という言葉を使う。


正義それ自体が人を幸福にすることはないし、滅ぼすべき“悪”がいなければ正義に意味はない。


正義の価値は、滅ぼすべき“悪”によって決まる。


正義の使徒と持て囃され、“悪”を倒すことに快楽を感じるようになっていた時、ナイトハルトはふとそこに思い至り、正義でしかない自分に愕然とした。


何かを否定することでしか、否定したものの悪性によってしか自分の価値を見出せない空っぽな自分に気づいてしまった。


「だからきっと……正義の味方じゃない自分ってものを見つけたくなったんだろうな」


ナイトハルトが冒険者になろうとしたこと、それ自体に特別な意味はない。自分に正義以外の価値を見つけたかった。しかし彼にできるのは戦うことだけ。剣を振るって為せる何かを探し、思いついたのがたまたま冒険者だったというだけのことだ。


「…………?」

「……ワフ?」


しかしナイトハルトの言葉は、日々を生きるのに精一杯なソルとシロには全く理解の外にあったようだ。大きく首を傾げて目を白黒させている。


「……いや、忘れてくれ。まあ成り上がり者の道楽だと思ってくれれば間違いない」


ナイトハルトは苦笑して言葉を収め、誤魔化すように話題を変えた。


「それより受付のからは、中層からは危険度が跳ねあがるからファーストアタックは上層までに留めとけと言われたが、具体的に何か違いがあるのか?」


ソルは「ふむ」と少し考えるようにして口を開いた。


「……上層──一〇層までは冒険者が概ねフロア中を開拓して制圧が完了したエリア。魔物は湧くし危険がないわけじゃないけど、支配権は人間側にある」


そこでソルは言葉を区切り、指を舌に向けて続ける。


「だけどここから下はそうじゃない。人間がコントロールできない脅威が存在する」

「へぇ……」


上層の魔物の手応えのなさに拍子抜けしていたナイトハルトはソルの言葉に唇の端を吊り上げた。


「お前らは下に潜ったことは?」

「……十二層までは。魔物とは一度も戦ってないし、ホントに潜ってみただけ」

「なるほど、なるほど……」


ナイトハルトはソルの言葉にしばし考え込むと、いたずらっ子のようにニヤリと笑って口を開いた。


「……試しに行ってみるか」

「行かない」

「ワン」


ナイトハルトの提案を、ソルとシロは予想していたように即座に拒否した。


その反応にナイトハルトはワザとらしく口を尖らせて拗ねて見せる。


「なんだよ~。いいじゃないか、お前さんらの案内でここまで想定以上にスムーズにこれたし、時間も体力も余ってる。ちょっと一、二度戦って中層の雰囲気を体験するだけだって。俺の腕は分かってもらえただろう?」

「やだ」

「ワン」


ナイトハルトはポンと腰に下げた剣を叩くが、二人の反応は取り付く島もない。


「あんたが幾ら強かろうと、俺らが安全だって保証はないだろ。何より中層以下じゃ、基本的に不要な戦いは回避するもんだ。体験のためにわざわざ戦うとか正気の沙汰じゃない。依頼の範疇外だし、絶対行かない」


ソルの論理は明快だった。

それでもナイトハルトは食い下がってみる、が。


「……どうしても駄目か?」

「駄目」

「報酬に色付けるけど?」

「そういう問題じゃない」


その態度があまりに頑ななので、ナイトハルトは大きく息を吐いて諦めた。


「そうか…………じゃ、ちょっと俺一人で行ってくるから、二人はここで待っててくれ」

「はぁ?」

「ワフ?」


困惑する二人を無視して、ナイトハルトは軽い足取りで安全地帯から見える中層へ続く階段へと向かった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


ナイトハルトが一人中層へと突入して数分。彼は来た道を見失わないようマッピングしながら、不意打ちへの警戒を怠ることなく慎重に中層を進んでいた。


戦闘力が高くとも、戦場ではちょっとした油断が死につながる。そのことを熟知していた彼は良くも悪くも戦士であった。


その警戒の甲斐あって、ナイトハルトは相手に気取られることなく最初の魔物を発見する。


大蜥蜴ジャイアントリザードか……少し鱗が金属めいて見えるが、あれは迷宮ダンジョンの固有種か……?)


水場の近くでのんびり横たわる体長五メートル、体高二メートル弱の蜥蜴。並の冒険者であれば戦闘を避けるだろう大物ではあったが、ナイトハルトは周囲に他の魔物の気配がないことを確認した上で無造作に大蜥蜴の前に進み出た。


『キシャァァァッ!!』


ナイトハルトに気づいた大蜥蜴が起き上がり、咆哮を上げた。ナイトハルトはそれに怯むことなく正面から突進する。


大蜥蜴の巨体を活かした体当たりを想定していたナイトハルトだったが、敵の行動はその想定とは異なるものだった。


──カッ!!


大蜥蜴はその場で大きく口を開くと、そこから酸のブレスを吐き出す。完璧なカウンターであり、回避不可能なタイミングではあったが、ナイトハルトは一切動じることなくボソリと呟く。


「【聖鎧セイクリッド・アーマー】」


濃硫酸のブレスの直撃を受け、愚かな外敵がボロボロに溶け落ちる様を想像していた大蜥蜴だったが、彼が目にしたのは光の鎧に包まれ、傷一つなくブレスを突破したナイトハルトの姿だった。


切り札であったブレスを突破されてなお、大蜥蜴の戦闘本能はブレることなく最適の行動を取る。敵は既に眼前。一撃を受けることは避けられない。しかし人間の武器では強固な己の鱗を一撃では貫けない。一撃を耐え、接近してきたところを視界の外から尻尾の一撃で殴りつける。


それは並の戦士、並の武器への対処としては間違いなく最良の対処だった。


しかし。


──ザシュ!


『────!?』


そこにいたのは人類最高峰の戦士と、ドワーフの名匠が鍛えたミスリルの名剣。ナイトハルトの一撃は強固な大蜥蜴の鱗を紙のように切り裂き、その首を胴体から斬り離していた。


ナイトハルトは大蜥蜴の胴が動きを停止し、崩れ落ちたのを確認してから残心を解く。


「……ふぅ。なるほど、確かに上層までの魔物とは格が違うな。対人と対魔物じゃ大分勝手が違うし、しばらくこの辺りで戦って勘を掴んだ方がいいか……」


余裕のある戦いではあったが、油断はしない。


少なくともナイトハルトはそのつもりだった──が、見る者が見れば、それは迷宮ダンジョンにおいて致命的な油断だったろう。


──プクプクプク


今後を考えて頭の中で当面のスケジュールを組み立てている、と水場の中から泡が湧き出てくる。水の中に仲間がいたか、とそちらに向き直った。


──ザバァァァァァァン!


「………………は?」


しかし水の中から現れたのは先ほど見た大蜥蜴に数倍するサイズの巨躯──銅竜カッパー・ドラゴンの成体が、悠然とナイトハルトを見下ろしていた。


唐突な遭遇に驚くナイトハルトだったが、訓練されたその肉体は遅滞なく反応し、無意識に最適化された行動を取っていた。


(竜種──お目にかかるのは初めてだが、所詮は大蜥蜴の延長、浅い階層の魔物だ)


──そう。戦い、敵を倒すための最良の動きを取ってしまった。



もしここにソルが同行していれば、竜種とは人が戦うものではないと即座に撤退を進言していただろう。



「うぉぉぉぉっ!!」


ナイトハルトは自身に呪文で攻防のバフをかけ、銅竜カッパー・ドラゴンに向かって突進する。


竜種であろうと所詮は生き物。自分に斬れないものなどないし、斬れば殺せる。そう確信して飛びかかる──が。


「────は?」


次の瞬間、何が起きたのかを理解することもできず、ナイトハルトの上半身は下半身と斬り離され、地面に転がっていた。


「あ……え…………」


そしてそのまま、何も理解できず、小さな呻き声だけを残して息絶えた。


仮に彼が銅竜カッパー・ドラゴンの攻撃を目で捉えることができたとしても、ただ無造作に振るわれた爪の一撃で、無数の防御術式とミスリルの鎧ごと肉体を両断されたなどとは、信じることができなかっただろう。



ナイトハルトの失敗はただ一つ。

ここが──迷宮ダンジョンが人間の道理が通じる場所だと勘違いしていたこと。


人としてどれほど鍛え、卓越した技量を備えようと、人が人である限り超えられないものは当然にある。


蟻が象に勝てないよう、彼我には超えられない壁があったという、ただそれだけの話だ。


あるいはそれは、正義や悪といった人の営みの中でしか自分を測ることができなかった彼の限界だったのかもしれない。



──ズズズズッ……


銅竜カッパー・ドラゴンはナイトハルトの死体を無感情な眼でしばし見つめた後、再び静かに水の中へと姿を消す。


その場に残された彼の死体はそのまま朽ち果てるかと思われた──が。


「…………」

「……ワン!」


何時まで経っても帰ってこないナイトハルトを心配して──一応捜索したという言い訳を作るために──やってきたソルとシロに運良く発見され、蘇生所に運び込まれた結果、運良く生還を果たすこととなる。


その後、彼はすぐに迷宮都市を離れ、生涯において二度と迷宮ダンジョンに関わることはなかった。


後世において発見された彼の手記には、このような一文が残されている。



『私は結局、正義の味方にしか成れなかった』



一方、英雄の死という迷宮ダンジョンの過酷な現実を目の当たりにしたソルとシロは、死体回収の報奨金としてナイトハルトが保有していた現預金の三割を得ることになり、死体回収は儲かると学習。


後に死肉喰スカベンジャーの二つ名で呼ばれ、迷宮都市に悪名を轟かすこととなるのだが、それはまた別のお話。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 悪名を轟かすということは成功率の高い回収屋であり、有能でしたたかな子どもたち。 [一言] たぶん、油断ですらないのだろうな。 生き方の違いとでも言うべきか、少年らのほうが迷宮という人生?に…
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