7.反省してほしい
ーチュッ。
っはぁ。
ノアは自身の少し薄い唇で私の唇の輪郭を確かめると、欲情に染まった目をしながら短く息を吐いた。
私はあまりの出来事に思考停止してしまう。
でもノアの潤んだ瞳の中に映された真っ赤になって硬直している自分を見て、ハッと意識を取り戻す。
「な、な、な、なななな‼︎‼︎」
なんてことしてくれたんだー‼︎‼︎
という思いを上手く言葉にできないまま思いっきりノアの頬に向かって右手を動かす。
でもノアの私を抱きしめる力が強すぎて全く右手も、そして左手も言うことを聞かなかった。
ただノアの腕の下でグッと力が入っただけ。
無念です。
「アメリア。今俺のこと殴ろうとしなかった?」
うん、見逃さないよねー。
この勘が鋭い筋肉発達しまくり男が、今の私の微かな動きを見逃すはずなかった。
「…さ、さぁ??」
紫の瞳の中の自分が、目を泳がせてヒクついた笑みを浮かべてる。
ノアはククッと笑い
「殴ろうとしたら、噛み付くって言った。」
頭を下げると私の首をぺろりと舐めた。
「ひゃっ。」
思わず情けない声が出る。
熱い舌が首を舐め上げる感覚がザラザラとしてくすぐったい。
その声を聞いたノアは私の左頬に自身の陶器のような左頬をすり寄せて耳元で囁く。
「はぁ、可愛い、俺のアメリア。他のところを舐め上げたらどんな声が出る?」
他のところとは⁈⁈
ドッドッドッドッと自分の鼓動が大きな音を立ててどんどん速くなっていく。
「はっ、はっ、はっ。」
呼吸の仕方も忘れてしまいそう。
その様子を見てうっとりとしたノアがぬるりと舌を出す。
さながら捕食前のウサギと蛇のよう。
「アメリア、緊張しているのか?嬉しい。嬉しすぎて死んでしまいそう。」
いや、こっちが死にそうだよ!!!
わたしはうさぎのようにぶるぶる震えた。
『ノア様の美貌は余りにも危険‼︎用法容量を間違えれば動悸‼︎息切れ‼︎鼻血‼︎失神‼︎などの症状を起こしてしまいます。』
クドウさん‼︎
今まさに私は用法容量を完全に間違えてしまったようです‼︎
でも用法容量間違えたのは不可抗力というか‼︎
処方した側のミスというか‼︎
脳内のクドウさんに謎の弁解をしていると。
ーガリッ。
「あぁっ!!」
ノアが私の首筋に甘く噛み付いた。
その瞬間痛みと高揚感で目頭が潤む。
全身の体温が一気に上がるような感覚に襲われた。
「…右腕の噛み跡。無くなってたからちょうど良かった。ずっと噛み付きたかった。」
恥ずかしがりながら猟奇的なことを言うノアは、両手の力を緩めると噛んだ首元に軽くキスをして私から少し距離を取った。
…噛みつきたいって。
吸血鬼か何かなのか、この国の第三王子は。
ならば私は明日からロザリオやニンニクで対抗すべきなのか。
極度の緊張と鼓動の速さからよくわからない思考に至っていると、
「アメリア。」
と目の前から呼ばれてハッとする。ノアは私の表情をうかがってきた。
離れたノアの体温とその表情を見ながら蕩けていた思考がだんだんクリアになっていく。
…いやいやいやいや。
あまりの顔面偏差値の高さと置かれた状況に圧倒されていたけど、よくよく考えてみなくても私キスされたよね⁈勝手に‼︎‼︎
今までのノアの勝手な行動を思い出して、ゆらりと椅子から立ち上がった。
「ノア、あなた。…私を買ったのよね?」
「…え?はっ⁈……あぁ。」
思いがけない質問に、今までの攻めまくりのノアはいなくなり、なんとなくしゅんとして歯切れ悪く答えている。
「だから、私に勝手に噛み付いてきたり(私が殴ろうとするからだけど)勝手にキスしたりしてもいいと思ってるの⁈」
「いや、違っ!ごめ…‼︎」
「ノアが言ってたオトモダチには何してもいいんだ⁈」
「いや!あの!あの時はオトモダチとか言ったけど、俺は!」
「…しのごの言わない‼︎」
「え?!」
ノアの言い訳を断ち切りたいのには理由があった。
「私…さっきのが生まれて初めてのキスだったんだけど!!!!」
そう、健全第一なアンティークにいた私はキスさえも経験がなかった。
そんな大事なキスを‼︎と一瞬泣きそうになるが
「…えっ?」
と言いながらノアの口元がふにゃりと緩むのを見て一瞬の涙も引っ込んだ。
「真面目に聞くッッッ‼︎‼︎」
「…っ!!」
ビシッとノアが綺麗に直立する。
そんなノアにゆらゆらと近寄りながら人差し指でノアを突く。
「…第三王子だから何してもいいんだ?」
私がわざと意地悪くそういうと
「…違うッッッ!!!!」
ノアは今まで聞いたことのないくらい大きな声で私に言い返した。
そのあまりの迫力にビクリと体を震わす。
そしてノアは拳を握ると俯くと全く喋らなくなった。とても悔しそうな顔をして。
あまりの静寂に耐えきれなくなってきた時。
「ごめん。本当にすまなかった。」
とノアは私に頭を下げた。
第三王子がド平民に謝罪している。
この国の権力者が1人の平民に頭を下げるなんて普通ならありえない光景だ。
「俺は、アメリアを買った。可哀想だと思う。俺なんかに買われて、勝手に婚約者にされて色々進められて。」
ノアが拳を強く握る。
「でも、もう離してやれない!」
ノアは真っ直ぐに私を見て強くいうと、美しい顔をグシャリと歪ませた。
「さっきのキスは…本当にすまなかった。大事なアメリアと俺のファーストキスを衝動的にしてしまった。次からもっと、色々気をつける。」
ん…?
「いや、それはそうなんだけど」
次って…?
私がまた固まるとノアは肩をすくめてすごく反省した様子で
「…頭冷やしてくる。」
そう言って私に背を向けると、足早に執務室から出ていった。
ノアがドアを閉めた後、ふうっと息を吐いて椅子に行儀悪くどかっと座った。
…ちょっと言い過ぎたかな。
でもでもでも、あんな、了解なしにいきなりキスとか困るよ!!
さっきの出来事を思い出して赤面する。
そりゃ、ノアにとっては軽いものなのかもしれないけど‼︎
…軽いのかな…
ズキっと心が痛む。
ノアはどうして私にキスなんてしたんだろう。
ただのビジネスパートナーなのに。
気を取り直してノアが書いた教科書をペラペラとめくる。ノアの文字は本当に綺麗で読みやすい。
でも頭の中がぐちゃぐちゃで内容が全く入ってこない。
少し疲れて教科書の上に顎を置いて休むと、さっきまでいたノアの甘い香りがほんのりとした。
その香りを嗅ぐとギュッと心が切なくなって、思わず立ち上がる。
『違うッッッ!!!!』
『もう離してやれない』
広過ぎる執務室をふらふらと歩きながらノアの言葉を反芻する。
気づけば私たちが勉強していた机よりももっと奥にある、ノアが普段使っているのであろうノア専用の机の前に来ていた。
2週間常にノアと一緒だったから、執務室にいる時は手前にあるいつもの机にお茶を準備されて2人で座っていた。
だからこの机までくるのは初めてだった。
『ごめん。本当にすまなかった。』
…なによ、謝れるんじゃないの。
それなら私をドアで挟んだ事もきちんと謝りなさいよねっ!
そう思いながら、おもむろにノアの机の上を見ると何やら難しそうな報告書などがたくさん積まれていた。
その中に一枚のピンクの封筒がある。
明らかに異質なその封筒は端にハサミが入り開封されていた。
思わず手に取り確認する。
宛名はない。
しかし次の瞬間、ドッと心臓が跳ねた。
送り主が2週間前まで生活していた見世物小屋の女主人であるソフィアの名前だったからだ。