5.ノアの事情
期待してるように見せかけて利用されているのは知っている。
優しくしているように見せかけて利用されているのは知っている。
素晴らしいと持ち上げるように見せかけて利用されているのは知っている。
大事だなんて声をかけて利用されているのは知っている。
俺の存在全部、生まれた時から利用されるために生かされている。
ただ秘密裏に存在を隠して俺の価値を最大限に利用する時を待っているのだ。
物心ついた時から山深いイガの郷に居て、少ない集落の人間たちからは「ノア様」と呼ばれて異常に大事にされていた。
「あなたはこの国を救う第三王子なのです。」と。
イガは俗世から外れた隠者の郷で、他の街とは基本的に深く関わらず薬や密偵などの独自産業で成り立つバンギセル王国の中でもかなり特殊な郷だ。
その山郷のイガの人間はみんな優しかった。
幼い頃から自分の生い立ちは聞かされていたけど、両親なんて見たことがなかったし、クドウ家は俺を家族同然に面倒見てくれたからそれでいいと自分を納得させていた。
俺を取り巻く事情も知識として聞いていたけどみんな普通に接してくれたから、ずっと気持ちを押し殺して何も考えないことにした。
学校にも普通に通い、友達も出来たし、周りは常に俺だけに必要以上の知識や訓練を施してくれた。
だから幼い頃は好かれているんだと思った。みんな俺が純粋に好きなんだと。もちろん俺もみんなの期待に応えようと必死で全てを必要以上にこなしていった。
でもある時、何がきっかけだったのか。
気付いたんだ。
いや、もう無理だったんだ。
「ノア様」
「あなたは素晴らしい」
「立派な第三王子」
「将来の希望」
そうやって俺を国の安寧のためにみんな利用している。
13歳の暑い夏の日、訓練後に顔を洗った川の水面に映る自分の姿は、水に透けそうな程に色素の薄い金髪。二重の瞼に黄色のまつ毛と紫色の瞳だった。
自分だけが違った。
この郷で髪も目も骨格も俺は1人だけ違う。
イガの人間は皆漆黒の髪に切長の漆黒の瞳。二重瞼など見たことがなかった。
俺は今までなんで気づかなかったのだろう。ただ好かれていると自惚れていたからだろうか。
こんなにも、異物なのに。
それからなぜかわからないけど俺は走った。
頬を涙が伝ったが気にせず走った。
走って走って気がつけば、イガの郷の村長の家の前だった。
何がしたいのかわからない。どうしたいのか自分でもわからないけど俺はドアノブを握ると中に入った。
その途端に開けっぱなしの窓からドアの方まで強い風が流れ込んで、村長の机の上の分厚いノートがパラパラとめくれていった。
ヤバい!
と思った時、分厚いノートに挟まれた資料が風に吹かれて無造作に床に落ちてしまった。
その光景にただ立ち尽くしていると、
不意にトンっとつま先にぶつかってきたそれを拾い上げた。
一枚の写真だった。
そこに写るのは、薄い桃色をした少し癖のある長い髪に鮮やかな黄緑の瞳をした自分と同じ歳くらいの少女だった。
明らかにイガの人間では見たことのない風貌。
俺1人だと思っていた漆黒ではない瞳だった。
その衝撃に頬を伝っていた涙はいつの間にか枯れていた。
写真の裏を見ると左下にアメリアと書いてある。
この少女の名前だろうか。
俺は他の資料に目もくれずに、その写真だけポケットにしまうと訓練に戻った。
それから毎日俺は自分の存在意義を確かめるようにその写真を眺めた。
イガではないどこかにいるこの子はもしかしたら、俺を俺として見てくれるかもしれない。
このなんとも言えない気持ちを、もしかしたら慰めてくれるかもしれない。
いつか会って話してみたい。
何日後、その日も勉学の間にアメリアの写真を眺めていたらクドウに見つかった。
そしてこの頃俺の補佐官として村長の家に出入りしていたクドウから、アメリアは俺の花嫁候補だと聞いた。話しながらニヤついていたので一発殴っておいた。
花嫁候補!
これは運命かもしれない。
運命なんて考えたこともなかったけれど、ドキドキと胸の高鳴りを感じた。
そしてクドウからアメリアは俺の一個下で首都ナンバのアンティークという見世物小屋にいる踊り子だと聞いた。
イガには見世物小屋は無く時折王都に出て仕事をしているクドウにどういうところだと聞くと、女性が踊って働きショーをしているところだと聞いた。
それを男たちが夜な夜な品定めして、踊り子が年頃になると金を持つ者が自分の女にする為にひとりひとり買っていくところだとも。
それを聞いて俺は愕然とした。
アメリアは俺の花嫁候補なのだろう?
この写真に映るアメリアもそのうちに誰かに買われていくのか⁈
この薄い桃色の髪を誰かに掬い取られ黄緑の瞳を男たちに向けるのか⁈
そう思うと頭が沸騰してくる。
第一に、ナンバに見世物小屋などという施設があることから意味がわからない。
どういう目的で?
アメリアをそんなところに入れる主人とも話し合いが必要であろう。俺が王子として公式に王族に返り咲いた際にはそれが一番最初の仕事となるだろう。
そのためにはーーー。
俺は、がむしゃらに努力した。
写真を手にした半年後にはイガを離れて王国郊外で実地訓練をする王都軍に加わり魔獣と戦った。
訓練を前倒しにしすぎて不覚にも過労で倒れた時に、初めて第三離宮の医務室に運ばれた。
その時はあまりの煌びやかさに驚いたが、俺のためにあつらえられたという第三離宮に馴染むのは早く、それからはイガには帰らず離宮の自室で過ごして訓練や勉学に励み王族のマナーを全て身につけて行った。
イガから共についてきたクドウは補佐官から執事兼俺の専属医師となった。
「アメリア…。」
早くしないとこうしている間にもアメリアは他の男の目に晒されている。
そう思うと大事な写真を握りつぶしてしまいそうになる。苦しい。早く迎えに行きたい。
しかしその為にはこの国の王になる為の器が必要だった。
今までは皆に利用されていると分かっていながら生きていた。
でも今は違う。この立場を利用してやる。利用してアメリアを早く、この手に。
血反吐を吐く思いで手に入れた陛下との正式な面談の約束を果たす為に、王都軍として約一年に及ぶ魔獣との戦の勝利した。
そして1週間前に王都に帰還した俺は完全に浮き足立っていた。
「やっと帰ってこれましたね〜、ノア様」
帰還のファンファーレが響く中、10数名の兵士を連れて俺とクドウは行進の列から離れていく。
それを驚くように見つめながら道を開ける観衆には興味すらない。
「あぁ。」
俺は戦中よりも今昂る心を落ち着かせるのに必死だ。
「やっと4年も思い続けた写真の中のアメリア様の実物に会えるわけですが、どんなお気持ちで?」
「あぁ。」
「ククッ、昨日まで美しい鬼神と呼ばれていたノア様がこんなにも震えるなんて」
「うるさい。」
「でもアメリア様にお会いしてなんとおっしゃるんです?4年間も一枚の写真を毎日見ていたよ、アメリア。とでも言うんですか?」
「アメリアと呼ぶな…。」
確かにそうだな。会ってなんと言えばいい?見世物小屋から買うつもりで来たとは言うべきだろう。
買うなんてかわいそうだが、それがここの流儀だろうからな。
俺が悩んでいると
「だいたいノア様はアメリア様のことを名前で呼べるんですか?無理でしょ、独占欲強いくせに強情だから。」
「なんっっ⁈⁈」
「ノア様はその女性百人斬りみたいな顔して恋愛レベル0ですからね。アメリア様を前にしたら動揺で多分地雷踏みまくってしまうと思いますよ。」
「は⁈」
「下手に4年間の気持ち爆発させるよりは、何も知らないふりしていた方がいいんじゃないですか?」
「そう…いうものなのか?」
俺とクドウのやり取りに周りの兵士がビクついている。王族にこんなにフランクに話せるものはいない。
クドウはそんなこと気にも留めずに
「見世物小屋の一番の踊り子は舞姫と言うらしいですよ。アメリア様は多分舞姫なんじゃないですかねぇ〜!一番だから競争率も激しいんじゃないですかねぇ〜?」
とニヤニヤして煽ってくる。
「なっ!!」
俺だって焚き付けられてるのは分かっているけどそう言われると慌ててしまうだろうが。
「ま、そうやって言ってるうちに着きましたよ。3日後の陛下との面会前にアメリア様と、ここの主人のソフィア殿に会って話しつけときましょう。」
そう言われて俺はアンティークの前で足を止めた。
「ここに、アメリアが……」
と小さく口を震わせると同時にクドウはニヤけた目元を甲冑で隠すと
「この小屋で1番秀でた踊り子は誰だッッッ‼︎」
と楽しそうにドアを蹴り上げた。
それからはアンティークに無理やり囚われていると勘違いしていたアメリアを助ける為に必死でソフィアさんに無礼を働いてしまったし、アメリアをドアで挟むし、初めて声を聞いて顔を見たアメリアが美し過ぎて慌て過ぎて思わず薄気味悪いなどと言ってしまうし、もう無茶苦茶だった。
医務室で目醒めて細腕を振り上げてくるアメリアが可愛過ぎて噛み付いてしまったし。
はぁ〜。でもあれは仕方ない。可愛すぎる方が悪い。
彼女のあの羞恥で赤く染まる目元を思い出すだけで胸が苦しい。
しかし、アメリアを傷つけてしまったのは本当に申し訳なかったが、こんなに早く第三離宮に連れて戻ってこられたのは本当に嬉しくてどうしようもない。
アメリア。俺が買ったアメリア。
これからは優しくしたい、一生をかけて優しくしたい。
ようやく掴んだ運命を。