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『笑うことはこの世の処世術。
どんな時でもその美しい顔でにっこり笑えばこの世は平和になるのですよ、私の可愛いアメリア。』
大好きなお母さんのその言葉を信じて16年。
幾度の困難も確かに救ってくれたこの笑顔を、目の前の見目麗しい男はこう言った。
「汚い顔でヘラヘラするな、薄気味悪い。」
ーバンギセル王国中核部首都ナンバ。
そこで踊り子の端くれとしてサテンのドレスに身を包み、見せ物小屋"アンティーク"で曲に合わせて舞いながら今日を生き延びる。
それが身寄りのない私の生活。
「おはよう、アメリア。今日もギリギリよ。早く控室で準備しな。」
2階の自室から階段を気怠げに降りている私に、アンティークの女主人は急かすようにそう言った。
「はぁい。ふぁぁ。」
あくびをしながら今日の予定を考える。
えぇ〜っと、今が12時だから控え室で朝兼昼ごはんを軽く食べて、ドレスに着替えてメイクしてっと。
ここの女主人ソフィアは街で有名な慈善活動家だ。
その昔は名のある踊り子だったようだけれど、引退した今は此処アンティークを作り、その収入の一部を孤児院や教会に寄付している。
またアンティークで身寄りのない孤児を集めて自分の舞を教えて、生きていくための職を与え独り立ちできるようにしてくれている。
アンティークは踊り子たちの舞う姿のみで人々を魅了し、過度な露出や演出をしないが売りのこの街で1番健全な見世物小屋だ。
その健全で上品な舞台にソフィアのこれまでの功績も相まって客層は子爵や侯爵など立派なもので、最近は公爵の祝いの席などにも呼ばれるようになった。
アンティークの踊り子たちがこのような身分の差も歴然な貴族の前で舞うということは、貴族側は自分たちの寛大さを周囲にアピールすることができ、アンティーク側は貴族たちの多大な寄付を期待できるのでWin−Winだ。
時には貴族に気に入られてそのまま妾になれたり…ということもあり、踊り子たちは毎日自分を磨き切磋琢磨していた。
まぁそんな中で毎日寝坊を繰り返すのは私くらいで、10歳で両親を無くして以来これ以上を知らない私はこれ以上を望まずただひたすらに今日もアンティークの中で生きていく。
とそう思っていたのだ。
「わぁ、もうすっかり春の陽気だな。」
控え室に入り先に準備をしているみんなに挨拶を済ませてサンドイッチをつまみながら開いた窓辺を眺めると、揺れるレースカーテンの隙間から、大通りに春の花々たちが咲き乱れて輝いているのが見えた。
さてと、椅子に座り鏡越しに自分を確認していると大袈裟なくらいに窓の外からファンファーレが鳴り響く。
その後すぐにザッザッという狂いのない足音と金属音、それにつられて歓声と拍手が聞こえる。
それは学のない私でもわかる、王の帰還を意味していた。
戦に出ていたバンギセル王率いる王国軍がこの街に帰還したのだ。
と言ってもこのアンティークに何か影響があるわけではない。
あっ、兵士客は増えるから小遣いが多少あがるかな?
とぼんやり思いながら揺れるカーテンを纏めて窓を閉める。
夕方の公演に向けて鼻歌を歌いながら着替えを済ませて頬に粉を叩き、丁寧に髪を梳かしていた。その時、
ドガンッッッ‼︎‼︎
と激しくドアを蹴り上げた音、それから複数の足音と金属音が近づいてくる。そして小屋中を揺らすような野太い声で
「この小屋で1番秀でた踊り子は誰だッッッ‼︎」
と聞こえた。
その瞬間、ソフィアは慌てた様子で控室の私たちの元に来て動かないように伝えると何事かと玄関先に出て行った。
「え、何?」
「まだ公演まで時間あるよね?」
「怖いよ」
控室に残された私たちはお互いの安否を確かめるように小声で話すと
「どこだ⁈早く出てこいッッッ‼︎‼︎」
と再び野太い声がする。
女社会のアンティークでこのような野太い男性の声には皆免疫がなく狼狽えている。
張り詰める空気の中誰も喋ることができず、しんと静まり返った。
廊下側から金属音と刃物が擦れる音がする。
その中でソフィアの抗議するような声とそれをねじ伏せるような男の罵声が交互に聞こえ、だんだん声量が大きくなっていく。
恐怖からか、気づけば私は両手で自身の肩を抱き震えていた。周りを見渡すとみんな青白い顔をして俯いている。
いきなり何が起こったの?誰がきたの?
全く状況が飲み込めず、わからないと混乱する頭を抱えながら髪をくしゃくしゃと痛いくらいに握るとまた恐怖が倍増する。
そのまま何分だったのだろう。
動けずにいるとあれだけの声量で罵り合っていたソフィアと男の声がしなくなった。
「〜〜。」
かわりに涼しげな声が聞こえるけれど、うまく聞き取れない。
状況を掴みたい。そう思い、氷漬けにされたようにその場を動けずにいる皆を横目で確認すると、私は意を決してゆっくりと移動しそっと控室のドアに耳を傾けた。
「〜〜、ここか?」
という声と近づいてくる足音にマズい‼︎と反射的にドアから身体を離した時にはもう遅く、誰かが控室のドアを蹴り上げ勢いよくドアが開いた。
そう、内開きのドアが。
ドンッッッ‼︎ガダンッッッ‼︎
一瞬にして私の顔面にドアがぶつかり、反動で背中を壁に押し付けられた。額と後頭部に衝撃が走り目の前に星が舞う。そんな姿を見て誰かが「ヒッ!」と小さな声を上げた。
「木製だがかなり重いドアだ。なるほど、ここに舞姫が隠されていたのか。」
私の事故に気づかなかったのか、涼しげな声は平然と話し続けた。
いった〜。かなり重いドア?いやいやいや、私が押された重みじゃないのそれ⁈…あれ、なんか口の中鉄の味がする。
色々突っ込みたいけど痛すぎて言葉が紡げない。
「この中で1番舞うのが上手いのは誰だ?あんまり手荒なことは趣味じゃないんだ。早く名乗り出て欲しい。」
手荒なことは趣味じゃないってアンタがドアを蹴り上げたせいで既に被害者出てますけど?
「震えてないで早く名乗り出なよ。私も時間がないんだ。こんなことで女主人を牢に入れて口を割るまで痛ぶるのも面倒だ。」
もうどの痛みがどこの痛みかわからないくらい痛い。鼻も曲がったんじゃないのこれ?
…っていうか今牢に入れるって言った?
…私たちを育ててくれたソフィアを?
その瞬間、私は煮えたぎる心で反射的に目の前にあるドアを渾身の力を込めて蹴り上げた。願わくば顔に当たれ‼︎
バンッッッ‼︎‼︎
すっっごい大きい音はした‼︎音はしたよ〜‼︎っと思いながら目の前を確認すると、涼しげな声の主の白い手袋をはめた華奢な指先がいとも簡単にドアを止めているのが見える。
「ふふっ、挟まっておきながら威勢がいいな。」
…ん?
挟まっておきながらって言った?
えっ、この人私を挟んだの知ってたの?
知ってて謝りもしないで、平然として笑ってるの?
ドアを押さえる白い手袋の生地から声の主が上等な身分だとは窺える。
ハッ、どこの貴族サマよ。
営業前のアンティークに土足で入り、
ソフィアを牢に入れると脅し、
私1人ドアに思いっきり挟んで痛い思いさせて。
なんなのよコイツ!!
私は涼しげな声の主の顔を覗いてやろうと壁からゆっくり身体を起こし、ドアを握る白い手袋に自身の左手を重ねて身を乗り出しながらこう言った。
「申し遅れました。私がこの小屋で一番の舞姫、アメリアでございます。」
生前のお母さんに教わった大切な処世術、いつも私を守ってくれたとびっきり無敵な笑顔を添えてー。
しかし目の前の涼しげな声の主は
「は?汚い顔でヘラヘラするな、薄気味悪い。」
ハッキリとそう言いい、眉間に皺を寄せて嫌悪感滲ませた。
その言葉に驚いて細めた目を思わずパッと見開くと、目の前にいたのは銀の甲冑を纏ったこの世のものとは思えぬほどの美の結晶だった。
金色の直毛を真ん中で分けて顎の辺りで切り揃え、襟足は少し長いのか後ろに短く一つに結ばれている。
形の良い眉の下には紫の妖艶な猫目を光らせ、鼻筋の通った鼻の下には控えめな薄ピンクの唇。両目の下にある僅かなそばかすは、もはや神がもたらした少しのイタズラ…
いやいやいや、頭打ったせいでおかしくなってるよ私。しっかりしろッ!
と自分を鼓舞しながら邪念を払うために素早く横に頭を振ると視界がぼやけて目の前の美貌が薄れていく。
「おい、そんなに揺すると意識飛ぶぞ。」
少し慌てながらそう言うこの人を否定したくて、
例え貴族でもアンティークに、ソフィアに、私に対する非礼を謝らせたくて、目の前の美の結晶の上等な作りの甲冑の肩を掴むと私は精いっぱいの抗議をした。
「…おい…ぶん殴らせろ、その美貌ーー。」
そう言い終わると、周囲の悲鳴のような声を耳にしながら私の意識はプツリと途切れた。