8 本当にごめんなさい旦那さま
※本日3回目の更新です。16時にも更新しています。前話をお読みでない方は、ひとつ前のお話からご覧ください。
「エドガルドさまは何らかの理由によって、王位を継ぎたくないのですね? しかし、兄君をアイゼリオンの王にしたくとも、それは神の神託によってしか決められないことです」
エドガルドは噂によると優秀だ。けれども、第二王子エドガルドこそが次期国王だと称賛する声は少ないらしい。
他者からの魔法が通用しないエドガルドの体質は、いくら彼自身が魔法に長けていようとも、『神の贈り物』を受け取る資格がない人間なのだと解釈されてしまうのだ。
アイゼリオンの人々はそれを『呪い』だと恐れ、兄王子を次期国王にと望んでいるという。
そしてそれは、恐らくエドガルド自身の望みでもあるのだろう。
「王の素質のひとつには、どのような伴侶を得ているかというものがあります。王妃は未来の国母になるのですから、神託においては妃の存在も審判されるはず……」
するとエドガルドは、少々苦い顔で呟いた。
「歴代の傾向からも、その可能性が高いとみている。たとえどれほど能力がある王太子でも、ろくでもない女を妻に迎えた者は、神託による王の任命から外されやすい」
「だからエドガルドさまは、妃に悪女をお望みである、と」
「神とやらが王妃に望ましいと判断するのは、恐らくは『貞淑な妻』だ。……まるで、聖女のように」
「うーんなるほど……」
神の判断基準というものは分かりやすい。聖女だったメアリは神殿でも、同じように『淑やかで慎ましい女性であれ』と命じられた。
司教たちから遣わされた躾係の女性たちは、それは厳しくメアリを教育したのである。
「――俺は、王などにはならない」
エドガルドは、なんとなくぽつりとした声でそう呟いた。
「そのためならば、多少の苦労など厭うものか。神殿を追放された元聖女だろうとなんだろうと、妃にする」
「神が許さない妃の条件としては、確かにこの上ないかもしれませんねえ……」
「……だが」
エドガルドは再び額を押さえると、大きな大きな溜め息をつく。
「……よりにもよって、どうして魅了魔法なんだ……」
「…………」
心から可哀想だった。
だってメアリは、エドガルドの噂を他にも知っている。
(アイゼリオンの王太子エドガルドさまといえば、冷酷で有名なお方だもの。他者を寄せ付けず、興味も示さないと言われていたわ。本来なら、出会ってすぐの人間に恋愛感情を抱かされるなんて、有り得ないことのはずなのに)
メアリにとってエドガルドは契約結婚の夫であり、つまりは雇い主ということになる。
優秀な働き手というものは、雇い主にどんどん意見を出し、よりよい仕事を目指すものだと本に書いてあった。
そうであれば、出来る提案はあるはずだ。
「本当に申し訳ありませんでした、エドガルドさま。ですがこうなればいっそ、この状況を逆手に取ってみるのはいかがでしょう……?」
「……」
メアリは立ち上がって、椅子に座ったエドガルドの顔を覗き込む。
「神託を免れるために悪女を娶るなら、契約結婚にも真実味がある方が良いはず! 歴史に名高い悪女の影には、必ず時の権力者の寵愛があるではありませんか」
国を傾けて存続を危うくするほどの女、いわゆる『傾国の悪女』についても、何度も本で読んだことがあった。
「ですから、ね? エドガルドさま」
「……」
「エドガルドさまが私にめろめろになって下されば、神への説得力が増すというもの! 私には婚約者がいましたが、そのお方とはそれほど親しい接し方をしてきた訳では有りませんので、エドガルドさまの妻として上手く出来るか分からなかったのです。ですから」
メアリは微笑んで、じっとエドガルドの瞳を見詰める。
「……どうかこのまま、私に焦がれていて下さいませんか……?」
「…………」
その方が、『悪女』としての仕事を遂行できる可能性も上がる。
真剣な気持ちでそう請うと、彼はぐっと顔を顰めた。
「あ、とはいえエドガルドさま。もしかして既に、魅了魔法の効果は薄れ始めているのでは?」
「……何故そう思う」
「先ほどからのご様子を見ていると、無表情で私に素っ気なくいらっしゃるので。このお部屋に来た当初は何処か苦しげなご様子でしたが、きっと現時点では、そこまで私にめろめろでは無いのかなあと」
「…………っ」
「エドガルドさま……?」
首を傾げると、エドガルドは小さな舌打ちをした。そのあとに、目の前にいるメアリの手首を掴んで呟く。
「うるさい」
「わあ」
ぐっと強引に引き寄せられて、メアリはバランスを崩してしまった。
そうなると、椅子に座ったエドガルドの膝に乗る形で彼の胸へと倒れ込むことになる。
「っ、エドガルドさま……!?」
「……軽率に、何度も俺の名前を口にしやがって……」
なんだか少々お口が悪い。そのままぎゅうっと抱き込まれたが、そこには先ほどまでの苦しそうな様子が滲んでいる。
(それどころか、ますますお声が熱っぽくなったような……!?)
密着するような形で抱き締められて、緊張したメアリの頬が火照る。
生まれたときから神殿に預けられ、物心ついてからあまり他人との交流を許されなかったメアリは、男性どころか人間と触れ合った経験が乏しい。
「言っただろうが。触れればまた離してやれなくなる、と」
「あわわ、え、エドガルドさま!」
誰かに抱き締められたとき、普通はそれにどう応えればいいのだろうか。
分からずに、ただ心臓をどきどきと跳ねさせていると、大きな手がメアリのふわふわした紫の髪を撫でる。
愛おしそうに、大切そうにメアリに触れながら、エドガルドは耳元で囁いた。
「――これでも、必死に耐えている」
「……っ」
その声音を聞き、メアリも十分に納得する。
(お、お可哀想……!)
エドガルドはどうやら、本当にメアリにめろめろらしい。
こくりと息を呑みつつも、メアリはひとまず彼に尋ねた。
「エドガルドさま。とりあえず私は、これからあなたの妃となる悪女として、存分に振る舞えば良いのですよね? その認識で問題ないですか? エドガルドさま!」
「……っ、だから、軽率にその声で俺の名前を呼ぶな……!」
「エドガルドさまーーーーっ!? お気を確かに……!!」
縋るようにメアリを抱き締めたエドガルドが、心の底から辛そうな溜め息をついた。
魅了魔法は恐ろしい。メアリは今後、二度と軽率にこの魔法を使わないことを誓うのだった。
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