51 恋の魔法
「その通りなのです、お姉さま!」
頬を嬉しそうに紅潮させたニーナが、ドレスの裾を広げるように摘んではしゃぐ。異形の神の下でくるくると回って踊るその姿に、クリフォードがますます顔色を悪くした。
「クリフォード殿下におねだりして、レデルニアの神殿に招いていただきました。そこで一番得意な魔法を使ったら、レデルニア神とこんなに仲良くなることが出来たのですよ!」
「あなたの一番得意な魔法。それは……」
「ええ!」
ニーナがドレスの裾から手を離すと、それはまるで花びらのようにふわりと揺れた。
「――魅了魔法です。レデルニア神は今や、私の虜」
「……っ」
メアリの知る伝承のレデルニア神は、半人半竜の体を持ち、その背に美しい鳥の両翼を持つ姿をしていたはずだ。
聖国の守護神にふさわしい、荘厳な美しさを持つと語られていた。
けれどもニーナの背後に立ちはだかるレデルニア神は、禍々しいほどの魔力を全身に纏い、歪んだ姿形をしている。
全身を覆う醜い鱗も、その肌を不快そうに掻き毟る鉤爪も、神どころか魔物にしか見えないのだった。
「聖女ニーナさまが、レデルニアの神を魅了しただと……?」
「そんなことが可能なのか。なんという、凄まじい力をお持ちなのだ……」
ニーナの言葉を聞いた貴族たちも、恐怖に震えながら驚愕している。それを聞いたニーナは、満足そうに目を細めた。
「私に恋をして下さった途端、このような醜い姿になってしまわれましたけれど……」
ニーナはくすくすと笑いながら、レデルニア神の竜の尾に甘えて擦り寄る。
「恋とはそういうものなのですよね? 醜く浅ましい、ひどい欲望。ふふ、聖女には無欲さと清貧を求める神にも、そんな感情を持つことが出来るだなんて!」
クリフォードが項垂れて床に膝を突く。ニーナはそれに見向きもせず、幸福そうに笑った。
「レデルニア神は私のもの。お姉さまにすら出来なかった、神をも虜にする聖女の力を持っているのです!」
メアリは静かに目を伏せると、エドガルドの腕の中でこう言った。
「……エドガルドさま。お願いがあります」
「――――……」
妹に聞こえない小さな声で、そっと懇願する。
メアリがエドガルドに告げているあいだ、ニーナはクリフォードや貴族たちが怯える中で、ひとりだけ上機嫌に歌うように、竜の尾と踊るように歩いていた。
「ご覧くださいお姉さま、すごいでしょう!」
「…………」
「これで、お姉さまよりも私の方がすごいと証明できたはず! 私の方がずっと、ずっと……!!」
立ち止まったニーナが両手を広げて言い切った、そのときのことだ。
「――それで?」
「!」
メアリの肩を抱いていたエドガルドが、心底からどうでもよさそうな言葉を吐いた。
「くだらない茶番に、いつまでメアリを付き合わせるつもりだ」
「……なんですって……?」
メアリの肩から手を離し、エドガルドが庇うように歩み出る。メアリはそれを受け、密かに両手を組んで目を閉じた。
「七十二柱のうち、序列二十九位の神。確かにレデルニア神の力は『それなりに』強大であり、それを殺して国を奪おうと考える敵は少ないだろうな」
「当然です」
「だが、それがなんだと言っている」
ニーナはレデルニア神を背後に従え、エドガルドを強く睨み付ける。
「虚勢ですね。いかなエドガルド殿下といえど、私たちのことは恐ろしいはず……!!」
レデルニア神の開いた口から、ぼたぼたと赤い粘液が垂れた。それはニーナの傍に落ち、美しいドレスを汚す。
「偉大なる神を、人である私が服従させました。私の素晴らしさを、凄まじさを、分かりもしない愚者でもないでしょう!!」
「神の力は、貴様自身の力ではない」
エドガルドの声は冷ややかで、そこには蔑みすら滲んでいた。
「どうして貴様よりもメアリの方が、聖女として優れた力を持つのか教えてやる」
「なにを……」
「神どもは罪のない魂を好むらしい。その罪を生み出す根源とは、人間の持つ欲の心だ」
エドガルドの説明する内容を、ニーナはどうやら知らなかったようだ。
ニーナは大神殿から大切にされるあまり、聖女としての働きを免除されてきた。その結果として、幼いころに受けるべき聖女教育を、与えられてこなかったのではないだろうか。
「だからこそ、メアリのような欲を持たない聖女が強い。――そして、その逆が起きるのは道理だな」
エドガルドは、ニーナを挑発してこう言った。
「欲にまみれた醜い聖女が、メアリに勝てるとでも思うのか?」
「っ、レデルニア神さま……!」
エドガルドの断言に、ニーナが聞いたことのないような声音で言った。
「いまの言葉をお聞きになりまして!? アイゼリオン国の王太子が、レデルニア神さまの聖女たる私を侮辱したのです!!」
『う……あ』
「レデルニア神さま。どうかあなたの恋しい私のために、あの男に思い知らせてくださいませ!!」
上半身が人に似た竜の異形は、鉤爪のついた腕を大きく振り上げる。
夜会のホールいっぱいに膨れ上がったその体で、人間が攻撃されてはひとたまりもない。ましてやその爪はどす黒い紫に変色し、明らかな毒を帯びていた。
「まずは、お姉さまの今の居場所を奪うところから……!!」




