5 契約をお受けいたします、旦那さま
※22時にも更新しています。前話をお読みでない方は、ひとつ前のお話からご覧ください。
使い魔の少年は、主君の目的をメアリに告げた。
「我があるじは、聖女としてのメアリさまを求めているのではありません。あの方がご所望なのは」
『「悪女」としての貴殿だ。――メアリ・ミルドレッド・メルヴィル』
「!」
水鏡から声がして、メアリは目を丸くした。
誰の声かは考えるまでもない。その冷ややかで鋭い双眸が、鏡の中からこちらを睨み付けている。
「すごい。まさか、監視魔法に勘付かれるなんて」
この魔法は、見られている側からは察知されないようになっているのだ。いまだって彼の方には、メアリの姿などは見えていないはずだった。
それでも怜悧な紫の目は、真っ直ぐにメアリを見据えている。
挙句にメアリたちの声まで聞こえているのだろう。これは恐らく、メアリの魔力を感知した上で、それを遡ってこちらに繋いでいるのだ。
『単刀直入に告げる。貴殿に金を積んだのは、俺と仮初めの婚姻を結ばせるためだ』
「婚姻……?」
それも、仮初めの。
思いも寄らない言葉を告げられて、思わず鸚鵡返しにしてしまった。
『夜伽の類は一切行わないものとし、そのあいだの衣食住は補償する。贅沢をして過ごしたいのであれば、宝飾だろうが絵画だろうが好きなものを買い漁れ』
「まあ」
『貴殿がつつがなく「悪女」を勤め上げ、その効果が十分に発揮されたと確認できれば、以降は自由にすればいい。一生遊んで暮らせる程度の手切れ金を渡した上で、後腐れなく離縁してやろう』
「手切れ金!」
鏡越しに聞くエドガルドの要望に、メアリはぱちぱち瞬きを繰り返した。
『神殿を追放された元聖女には、この上ない話だろう?』
「ご主人さま。一度にそうやってお伝えしても、メアリさまを怖がらせてしまうだけでは」
使い魔の少年が困ったように言うが、エドガルドに構う様子はない。メアリはゆっくりとくちびるを開き、慎重に言葉を選びながら彼に尋ねる。
「あなたさまは神殿に巨額を出し、私の身請けをなさったのでしょう? そのような条件を出して下さらなくとも、私に拒否権などは無いはず」
『金で買えるのは身柄だけだ。だが、その後の振る舞いまで俺の望む通りでなければ、貴殿を娶る意味がない』
エドガルドは、その美しい形をした双眸を僅かに伏せた。
『俺の妃となり、悪女として振る舞え』
影が燻ったような紫の瞳が、ますます冷たい雰囲気を帯びる。
『――国ひとつ滅ぼしかねないと、神すら危惧するような悪女を所望する』
「…………」
その言葉に、メアリは僅かに息を呑んだ。
「……メアリさま、申し訳ございません。我があるじは……」
「エドガルドさま」
使い魔の少年を遮って、メアリは水鏡を見詰める。
「私を追放したことで、神殿は今後これまでの運営が成り立たなくなります。すると神殿は各国に向けて、今以上の悪評と共に私へと責任を押し付けるでしょう」
火を見るよりも明らかな事実と共に、メアリは尋ねた。
「あなたさまはそれを見越し、これからますます『悪女』として名が知れる私に着目なさった。この考えは正解ですか?」
『……理解が早く、結構なことだ』
「あなたさまが私に望むことは、その悪女の名にふさわしい振る舞い。私は贅沢な暮らしが保証され、役割が終わったあとにも報酬をいただけるとのことですが……」
メアリは真剣に考えて、導き出された結論を口にした。
「――それは、私を悪女として雇ってくださるということでしょうか!?」
『…………は?』
これまで表情の変わらなかったエドガルドが、そこで初めて渋面を作った。
『……お前は、一体何を』
「私、本で学んだことがあるのです! これはいわゆる『三食まかない付き、住み込みの職場』というものですよね? しかも、夢の退職金まで出るという……!」
『…………』
「憧れていたのです、報酬の出る仕事というものに! これまでは自分の自由になるお金が無くて、室内着の一着、おつとめの時に髪を結う紐を一本買うにも神殿からお金をいただかなくてはならなかったので! 大量の申請書類を書くだけで、寝る時間もなくなるほどでしたし」
神殿から自由になり、自分を買った人から逃げ出したとしても、なかなかそんな仕事は見付からないと覚悟していた。
それがまさか、こんな好条件の待遇で置いてくれるところが見付かるとは。
「ちょうど私、これから立派な悪女を目指そうと思っていたのです。よかったあ、お互いにお互いがぴったりでしたね!」
『お前は、何を……』
「エドガルドさまからのその雇用、お受けいたします。立派に務め上げられるよう、頑張りますので」
メアリは微笑み、水鏡に映ったエドガルドに向き合う。
「悪女として、あなたの妃になりますね」
『――――……』