48 沈黙の悪女
周囲の人垣が散ったことを、俯いたメアリは気が付かない。
後ろから肩に触れた手に抱き寄せられ、その声に呼んで貰えるまで、愛おしい人が傍に来てくれたことなんて知らなかった。
「メアリ」
「……っ」
振り返ったメアリは、神秘的な紫色の双眸を見上げて目を丸くする。
「エドガルドさま……」
「…………」
メアリの睫毛が濡れているのを、エドガルドにはきっと見抜かれただろう。
エドガルドはぐっと眉根を寄せ、舌打ちをしたあとで、メアリの手首を掴み歩き出す。取り残されてざわめく人々のことを振り返る余裕は、メアリにも無かった。
「あの、エドガルドさま……!」
無言の背中に声を掛けるも、前をゆくエドガルドは何も言ってくれない。彼の手がホールの壁に触れたかと思えば、魔力の光に体が包まれる。
「……っ!」
眩しさに目を閉じて開いたあと、メアリはその景色に息を呑んだ。
「ここは……」
メアリたちが立っているのは、穏やかな海の浅瀬に浮かぶ東屋だ。
東屋はウッドデッキのような形状をしており、長椅子の上にはふわふわとしたクッションが置かれていて、メアリはそこに降ろされる。
「隠し部屋だ」
「これが、王族の魔力にだけ反応する『お部屋』……」
透き通った水色の海と、晴れ渡った水色の空が広がっている。
エドガルドはメアリの前に跪くと、頬に手を伸ばした。
「どうして、泣きそうな顔をしている」
「……っ」
メアリは思わずくちびるを結ぶ。
それを見たエドガルドは目を伏せると、息を吐き出して立ち上がった。
「……あいつらか」
「!」
その声は冷え切っていて、聞くだけで身が竦むほどだ。メアリは急いで首を横に振り、エドガルドの上着を掴んだ。
「違うのです。皆さまには私が悪女であるという懺悔と告白を、聞いて頂いただけ」
「懺悔?」
地を這うような低い声に、辿々しく頷く。
「私は悪女です。……いつか本当に、国をも滅ぼしかねません」
決して偽りの悪女などではない。
(だってエドガルドさまは、神に選ばれて王になるのだもの。たとえ一度は王になることを回避できたとしても、またいつ神託によって玉座に引き戻されるか分からない、それほどまでに素晴らしいお方)
世界で最も優れていると言えるほどの魔法の力や、明晰な頭脳を持っている。
それらをどんな風に活かすことも出来る、そんな立場の男性なのだ。
(私が無理やりに、恋をさせてしまった人……)
抗えない魔法の力によって、エドガルドのすべてはメアリの望み通りになる。
先ほどみんなが言っていたように、あまりにも卑劣で、愛しい人の心を踏み躙るような行いだ。
「ずぴっ、ですから……!」
「!」
ぐすぐずになった鼻を鳴らしたら、エドガルドが目を丸くする。
「エドガルドさまの魔法を解いて、お別れしなくては――……」
その決意を口に出した瞬間、顔をくしゃくしゃにして我慢していた涙が、桃色の瞳からいくつも零れ落ちた。
「メアリ」
「ごっ、ごべんなざい」
ごめんなさい、とどうにか言いたかった。
手首で擦るようにして涙を拭い、必死に顔を隠す。小さな頃から泣いたことが少なくて、上手に涙を流す方法すら分からない始末だ。
「すんっ、お役目は、果たします……! エドガルドさまが望まない王にならずに済むよう、誠心誠意努める覚悟。ですが私のような悪女は、たとえエドガルドさまが玉座から離れようとも、妻の立場に居るべきではありません」
「…………」
「魅了魔法を解く方法も、いま全力で探しています。私の魔法なのですから、私がなんとか出来るはずなのです!」
先ほどのエドガルドは、メアリが疲れていると気遣ってくれた。
それは実のところ、魔法を解く方法を探すためなのだ。シュニたちに城内を案内してもらい、古い文献の眠る書庫を訪れたメアリは、そこにある本に深夜まで目を通し続けている。
愛おしい人と自分を繋ぐ鎖を、どうあってでも断ち切りたかった。
「――あなたは私に、新しい世界を見せて下さった大切なお方」
何処までも続く海と青空が、視界いっぱいに滲んでいる。
涙で揺れる世界の中でも、エドガルドだけは鮮明に美しい。
「だから私は、さよならを――……っ」
その先の言葉が口に出来ず、目を見開く。
メアリの体を、エドガルドが強く抱き締めたからだ。
「あ、の……」
「――うるさい」
苦しそうなエドガルドの声に遮られて、メアリはますます泣きたくなる。
エドガルドは、メアリの耳元に口付けそうなほどの近しさでこう囁くのだ。
「俺から離れると告げるためのくちびるなら、そのままずっと閉ざしていろ」
「……っ」




