42 奪った者たち
ほっとしたあと、改めて彼に告げる。
「助けて下さってありがとうございました。エドガルドさま」
「……あんなもの、お前を守るのに足りもしない」
「いいえ。私は間違いなく、エドガルドさまに守っていただいたのです」
先ほどきちんと離せた手で、もう一度エドガルドの背に触れてしまう。
「救われました。――神ではなく、あなたのお心に」
「…………」
メアリが嬉しかったことが欠片でも、エドガルドに伝わっているといい。
かつての聖女でありながら、こんなにも何かを祈るのは、初めてのことかもしれなかった。
「……ですが。やはり、無責任だったのかもしれません」
ぽつりと溢せば、エドガルドがゆっくりと身を起こしてメアリを見下ろした。
「あの男の言葉を間に受けるな。お前に押し付けている間は問題がなかったという戯れ言に、耳を貸す必要はない」
仰向けにエドガルドを見上げながら、メアリは昔を思い出す。
「力を持っているのなら、それで人を救うべき義務があると教えられました。聖女からは解放されましたが、その義務は今も残っているように思うのです」
「お前ひとりの能力に依存した救いなど、機能としては最初から破綻している」
思わぬ言葉を告げられて、瞬きをした。
「そういう、ものですか?」
「優れた人間にしか出来ないことを、社会の仕組みに取り入れるべきではない。神が魔力を使ったことによる穢れを浄化したいなら、たったひとりの筆頭聖女に任せてのうのうと生きるのではなく、多くの人間に浄化が出来る方法を模索するべきだろう」
エドガルドは、痣がすっかり消えたメアリの肩を見下ろすと、ずらしていたドレスを直してくれながら続けた。
「この世界はその思考を放棄したからこそ、国々は自国に聖女が誕生しなくなる日に怯え、大神殿に媚を売る。その結果権力を持って増長した司教どもが、お前を苦しめていた」
「……エドガルドさま」
メアリはなんとなく理解して、そっと挙手をする。
「誰かひとりに仕事をさせるのではなく、誰が辞めても組織が運営できる仕組み作り。これこそが正しいお仕事ということでしょうか、私の雇用主さま!」
「……そういうことだ」
エドガルドが息を吐いたあと、メアリの隣に寝転んだ。何処か疲れたように仰向けになって、目を閉じながらおざなりに言う。
「俺に雇われている身なら、以前の労働場所のことなど考えるな」
「が、頑張ってみます……」
どうしても気になるのは否めないが、『雇われ悪女』の業務すら覚束ない現状だ。
「そもそも私が心配することは、ニーナにも失礼なのかもしれません。あの子がどのような力を持っているのか、私は見たことがないのです」
エドガルドの方に寝返りを打ち、横向きに転がった姿勢で彼を見上げる。エドガルドは視線だけでこちらを見遣り、メアリに尋ねた。
「お前とあの異母妹には、何か軋轢や確執でもあるのか?」
「私にとっては、唯一の妹ですが……そもそも私たちの生まれは、異母姉妹といえども隔たりがありまして」
大神殿では誰もが知っていることだったので、改めて説明するのは不思議な心地だ。
「私たちの父はレデルニア聖国の侯爵ですが、私の母は正妻ではありませんでした。一方でニーナのお母さまは、大神殿に仕えていた聖女のひとりだったそうです」
いまの大神殿にはニーナだけだが、聖国レデルニアは昔から聖女が多く生まれる国だ。
だからこそ大神殿との関係性が深く、古くから盟約が結ばれているのだという。
レデルニア聖国で生まれた聖女たちは、そのほとんどが大神殿で育てられ、聖国の王侯貴族と政略結婚をする。
そうやって生まれた聖女が妹のニーナだ。そしてメアリの誕生は大神殿にも侯爵家にも、想定外の出来事だった。
「正統な聖女の娘であるニーナと、出自の定かではない私の母。ニーナを筆頭聖女にとの声が大きいのは当然ですが、単純な魔力量を比較すると、ニーナよりも私の方が多かったのです」
「……司教どもも聖国も、さぞかし慌てたことだろうな。王太子と婚姻を結ばせるなら、魔力量を優先させるのが理にかなっている」
「最終的には国王陛下が、私を筆頭聖女にと後押しなさいました。その反面、大神殿の司教さまたちは全員が、筆頭聖女にはニーナをと望んでいたようです」
恐らくは、伝統的な価値観に則ってのことだろう。その他にも、大神殿と関係性の深い聖女の方が、レデルニア聖国との力関係を保つことにも苦心しない。
「小さい頃からニーナとは、あまりお喋りすることも出来ませんでした。お祈りは私ひとりきりでしたし、式典でもニーナは皆さまに囲まれて……」
遠目に見た愛らしい笑顔を見て、メアリはとても納得したのだ。ゆっくりと目を閉じながら、子供のときに抱いた寂しさを辿る。
「ニーナの代わりにお勤めを果たすよう言われても、私はお姉ちゃんなのだからと思えば、少しだって苦ではありませんでした。けれど」
「……」
エドガルドと向き合ったメアリは、寝台の上で緩やかに身を丸める。
「……本当はあの子のものであるはずだった全てを、私が奪ってしまったのかもしれません……」
だからニーナは、メアリを大神殿から追放しようとしたのだろうか。
メアリの声が少し震えたのを、エドガルドは察してくれたのかもしれない。その大きくて骨張った手が、メアリの頭にやさしく置かれた。
「エドガルドさま……?」
「……」
薄い紫色でふわふわしたメアリの髪を、エドガルドが緩やかに撫でてくれる。
その撫で方は、メアリを大切にしながら甘やかして、寄り添ってくれるようなものだった。




