37 聖女として
けれどもクリフォードはすぐにはっとして、声を震わせた。
「……なんという、愚かなことを……!」
燃え落ちた蔦から火が出ないよう、ドレスをたくし上げて踏み締めていたメアリは、顔を上げて首を捻る。
「クリフォード殿下?」
「分かっているのかいメアリ! 大神殿に叛いては、君は本当に戻れなくなる。それだけの力を持っていながら、もう二度と聖女として生きられなくなるんだ……!」
「そ、それが何か」
クリフォードの手がメアリの肩を押さえる。
「いけないよ。力を持って生まれたものが、それを果たさないなんて間違っている」
「!」
その言葉を聞いて、反射的に体が強張った。
クリフォードはそんなメアリを見下ろして、やさしくあやすように微笑みかけるのだ。
「私たちは幼い頃から、ずっと司教たちに教わってきたじゃないか。地位を持ち、能力を持った人間は、持たない人々を助けなくてはならないと」
「……それ、は」
そうして思い出してしまうのは、クリフォードの言う通りの教えだ。
『優れた力を持って生まれた、その時点でお前は幸運なのだ。あとのすべての人生が不幸であろうとも、それで帳尻を合わせられるほどに』
『司教さま……』
小さかったメアリに向けて、彼らは繰り返しそう説いた。
『安心して眠る場所がない民を思えば、お前が勤めのために眠れないのは些事であろう』
『次の食事が約束されているという事実だけで、この世界の大半の人間よりも恵まれているのだぞ。分かったら早くそのパンを食べて、次の祈りを捧げなさい』
『お前は人と違う能力を授かり、その恩恵によって努力せず生かされている』
『自分の生き方がどれほど幸せなものなのか、よく分かっただろう?』
足元が少しだけぐらぐらして、立っていられないような錯覚を覚える。
「君が聖女であることは、その力を持つ以上当然の義務なんだ……!」
メアリの双眸を覗き込んだクリフォードは、肩を揺さぶりながら続けた。
「司教たちには私から話しておく、すぐに大神殿に戻る手筈が整うよ。安心してくれ、今までの暮らしが変わらずに帰ってくるから」
「や……っ」
「ねえメアリ。君だって君の我が儘の所為で、民たちを苦しめたくないだろう?」
「!」
メアリが思い出したのは、エドガルドの元に来てから接した人々の表情だ。
大神殿で祈りを捧げるだけでは、民の言葉や笑顔に触れる機会などなかった。
下手くそな悪女ではあったものの、それによって見ることの出来た彼らの喜ぶ顔は、これまでのメアリには得られなかったものだ。
(……だからこそクリフォード殿下の仰ることが、前よりもはっきり想像できてしまう)
このアイゼリオンは、聖女を持たない国のひとつである。聖女がいない他の国々の国民も、メアリが今日まで出会って来た人と同じだろう。
(私が神殿に戻らなければ、各国の人々が……)
心臓の辺りに、翳りの感情が滲んでゆく。
クリフォードはメアリの表情を見て、ほっとしたように説得を重ねた。
「戻ろうね、メアリ。大神殿へ」
「私は……」
「そして今までの、無欲な筆頭聖女である君にも戻ろう」
その声音は、婚約していた頃と同様にとてもやさしい。
「自分のことばかり考えるような、欲深い悪女になんて、どうかならないで」
「……っ」
そのときだった。
「!!」
燃え盛るような殺気を感じ取る。メアリが咄嗟に振り返ると同時に、凄まじい雷光が迸った。
「く……っ!?」
クリフォードは咄嗟に反応し、自身の眼前へ結界を張ろうとしたようだ。それでも衝撃に耐え切れず、吹き飛んで柱に背中を打ち付ける。
「――貴様」
こつりと硬い靴音が響き、転移魔法の光から影が現れた。
「誰の許しを得て、メアリの肩に触れている?」
「っ、あなたは……」
「口を開くな。貴様如きの雑音じみた声が、メアリの耳に入ることすらおぞましい」
現れた青年はメアリに手を伸ばすと、クリフォードから庇うようにぐっと抱き寄せる。
「エドガルドさま……!」
「無事か。メアリ」
その声に、メアリは途方もなく安堵してしまった。
メアリの背中に回された腕の力は、先ほどのクリフォードよりもずっと強くて強引だ。
それなのに、この手は決してメアリを傷付けることがないのだと、心の底から実感してしまった。
「なんとも、ありません」
「なんともなくはないだろう」
大きな手がゆっくりと、メアリの頭を撫でるように触れる。
「……泣きそうな顔をしていた」
「……私が……?」




