34 『色欲』の悪女
「……メアリ。待て」
「エドガルドさまったらヤキモチ妬きさんで、いつも私を独り占めしようとなさるのですもの! こんなに大勢の方々の前で独占欲を出されては、嬉しいけれど照れてしまいます……!」
メアリが叫んだその言葉に、人々はぽかんと口を開けている。エドガルドも絶句しているが、構わずに続けた。
もちろんこれは、わざとである。
(だって、エドガルドさまがひとりで悪役になってしまわれるから……)
そのことがとても悲しくて、半ば自棄になりながら演技を続ける。
「私に『聖女の力など求めない、代わりに傍に居ろ』と仰ってくださったエドガルドさまですもの。私の力ばかりが注目される状況を案じて下さっているのは、心から感じ取れますが……」
「待てと言って――……」
内心ものすごく恥ずかしいものの、わざとみんなに聞こえるように言った。
「独占欲を示してくださるのは、ふたりのときになさって下さいませ!!」
「メアリ!」
その途端、眼下のバルコニーがどよめきに包まれる。
「み、みんな聞いたか? つまりエドガルド殿下は、メアリさまを心から寵愛なさっていると……」
「独占欲……さっきのあれは、そうだったのね?」
エドガルドの冷ややかな視線が向けられるが、メアリはその腕をぐいぐいと押し遣って抜け出した。そして神殿の方に駆けると、居た堪れなさによる涙目でエドガルドを振り返る。
「私は今! これまでで最も悪い女として振る舞った、その自負があります!!」
「お前……」
その上で、ふんす、と宣言した。
「これぞ公衆の面前で『いちゃいちゃ』して人々を不快にさせる、『色欲の悪女』! ……それでは、お叱りは後で受けますので追わないでください!!」
「メアリ!」
バルコニーのエドガルドに背を向けて、神殿の中へと全力で駆け込む。
こうして後に残った民衆は、エドガルドの背中を見上げながらも、ざわざわとそれぞれにささめき合うのだ。
「エドガルド殿下は未来の妃殿下を愛するがあまり、俺たちに見せるのも嫌なんだなあ……」
「素敵! あんなに冷たそうでいらっしゃるのに、まさかの愛妻家だったんなんて!」
「常日頃からそうみたいなご様子じゃないか。メアリさまのことが、よほど大切で……ひいっ!!」
エドガルドが静かに睨み付けると、全員がそそくさと帰り支度を始める。
家畜たちを連れ帰ろうとしている民衆を見下ろして、エドガルドはくしゃりと前髪を掻き上げた。
「くそ。あいつは本当に、何処までも俺を……」
独白のあとに溜め息をつき、メアリを追うためにバルコニーを出ようとした、そのときのことだ。
「エドガルド・ヴィル・ハンクシュタイン殿下」
「――――……」
バルコニーに現れた人物を前に、エドガルドは足を止めた。
「……貴様は」
そして心から不快そうに、その姿を睨み付けるのである。
***
「……迅速に謝罪をしなくては……」
アイゼリオン国の神殿を、メアリはとぼとぼと歩いていた。
黒の大理石で作られた建物は、メアリが暮らした大神殿と雰囲気が違う。
けれどとても広いのは同じであり、足音が静かに反響して、辺りには誰も居る様子がなかった。
(エドガルドさまの計画を、悉く邪魔してしまっているわ。よくよく考えたら私、エドガルドさま限定の悪女になっているんじゃないかしら……)
そんなことを考えると、申し訳なさで胸が痛む。
(……エドガルドさまが悪者だと誤解されるのが嫌だなんて。一介の雇われ人が、雇用主に大それたことをしてしまった……)
けれども同時に、メアリは怒ってもいるのだ。
(大勢の前で私に意地悪のふりをして、それでご自身を貶めようとなさるなんて! こんなに大胆に計画を修正するなら、私にもやっぱり教えて欲しかった。契約内容の一方的な変更は、雇用契約に抵触するんじゃないかしら! やっぱりもう一度、これについては話し合いをしなくちゃ)
そう思ってきりっと背筋を伸ばすものの、数歩ほど歩いたあとですぐに萎れる。
(……変更せざるを得なくなったのは、私の悪女が下手くそだからだわ……)
ゆっくりと足取りが鈍くなり、ついには立ち止まってしまった。
(そもそも私。エドガルドさまが怖くて悪い人だと思われることが、どうしてあんなに嫌だったのかしら?)
けれども考えれば考えるほどに、あの『新たな作戦』が成功しなくて良かったという気持ちになる。
(嫌なのは、当たり前ね)
それに気が付き、メアリはゆっくりと目を伏せる。
(――エドガルドさまから頂いたようなやさしさを、生まれてから一度も知らなかった)
それを受け取ったときの温かさは、この先も忘れることが出来ないだろう。
(たとえそれが、魅了魔法での想いによるものだとしても)
メアリにとっては宝物だ。
どんなに凍えた場所を歩くときも、この温かさがあれば進み続けられると、そう思えるほどに。
(エドガルドさまの目的は、王にならないことだわ。……悪女業務が失敗する分、他の何かでお役に立てないかしら……)
長い長い回廊の途中で、メアリはそっと柱に寄り掛かる。
(エドガルドさまを選んだ守護神が祀られる神殿。本当に、大きな建物)
目を瞑り、大理石のひんやりとした冷たさを感じ取った。
(国ごとに違う神を祀るから、国ごとに神殿の内装や作りが異なってくるのよね? そのことを知識では知っていたけれど、こうして自分が訪れるのは不思議だわ)
神殿の大きさは、その国の守護神の強さに比例して大きくなる。
なにしろ人同士が戦争をする際には、相手国の神を狙うのだ。
神殿に祀る神を殺された国が負けとなり、敵国の神に取り込まれる。勝った国とその守護神はそうやって、国土や守護する対象を広げてゆくのだった。
(各国の神殿には神さまが居て、普段は目に見えないけれど、神殿が侵略されるような有事には姿を現して戦うのよね)
そのときだけは、触れることも声を聞くことも出来るのだという。つまりは攻撃や魔法も通用するということだが、人間の強さとは比にならないそうだ。
(神さまに勝てる人間は滅多にいない。だから、国が滅ぶような戦争が起きることは、長い歴史の中でも数少ないはずだけれど……)
アイゼリオン国はその中で、他国を侵略して自国に取り込んだ実績のある、数少ない国だ。
それも、その戦争にエドガルドも参加している。
(神さまを殺せば、その国も我が物に出来てしまう。……エドガルドさまには、そうしてきた過去がある)
そこでふと、メアリは気が付く。
(王になることを、あんなにも嫌厭していらっしゃるのに)
寄り掛かっていた柱から身を起こし、そこに刻まれた神の彫刻に目を向けた。
(エドガルドさまは、この国の守護神を殺そうとはなさらないのだわ――……)




