33 彼の作戦
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その日、エドガルドに連れられてこの国の神殿を訪れたメアリは、またも発生した計算違いに愕然としていた。
(ど、どうしてこんな。……こんなはずでは……!)
メアリの想定では、エドガルドの手を借りて発動したこの魔法を使えば、集まった見物人たちも恐れ慄いて逃げ出す予定だったのだ。
(神殿の広場に集めていただいたのは、病で瀕死になった牛さんや鶏たち。私はこの国に漂っている穢れを吸収し、反転させる魔法で、世にも恐ろしい光景をお見せするはずだったのですが……)
けれども彼らは手を取り合い、興奮と歓喜で大騒ぎしている。
「素晴らしい……!! なんてすごいんだ、これが聖女さまのお力なのか……!?」
「偉大なる聖女、メアリさま! お陰で流行病の死を待つだけだった牛がみんな、元気を取り戻しました!」
牧場主であるという男性が跪き、バルコニーに立ったメアリに祈りを捧げながら叫んだ。
「――まさかそのお力で、動物たちの『病の源』をすべて消し去ってくださるとは……!!」
(どうしてそんな恐ろしい殺生をしでかした私が、怖がられず感謝される事態に……!?)
こんなに崇められる訳は無かったのである。人々を見下ろす形でバルコニーの手摺りを掴んだメアリは、ふるふると震えながらエドガルドを振り返った。
「え、エドガルドさま……」
「こうなるに決まっているだろう。お前はいま、穢れの持つ強い毒性を利用して、家畜どもを蝕む病魔だけを殺してみせたんだ」
メアリに付き合わされたエドガルドは、当然だと言いたげに目を閉じて言う。
「それを感謝する飼い主は居ても、恐れて気味悪がる者など居はしない」
「勇気を振り絞って行った、私の病魔さんへの殺生が!!」
メアリがここで行ったことは、すべてエドガルドの言う通りである。
穢れの持つ悪しき力は、対象を殺すことが出来る。メアリはエドガルドの力を借り、聖女のときに考案した魔法によって、動物たちを苦しめる病の源に作用させた。
「途中まで! 途中まであんなに良い感じだったではありませんか、それなのにどうして!?」
「いきなり『病に罹った動物を大量に集め、この国の神殿まで連れて来るよう』という通達を出したからな。家畜たちを怪しげな儀式の生贄にすると思われたことは否めない」
「その路線のまま、ずっと怖がっていていただきたかったのですが……!」
メアリの落胆を知るよしもなく、下では人々が口々に言い合っている。
「穢れをその身に引き受けて下さった上に、こんな素晴らしいものに変えてしまうとは! これを奇跡と言わずしてなんと呼ぶ?」
「メアリさまー!! 今度うちで採れたチーズを献上しに参ります、本当にありがとうございました!」
(チーズ!)
暴食の悪女にふさわしい単語を耳にし、メアリは少し身を乗り出した。するとますます歓声が上がり、驚いてしまう。
(皆さまが、あんなに喜んでくださっている……何よりも、牛さんや鶏さんが元気になって)
悪女として雇われた身の上で、その喜びを表に出す訳にはいかない。口元が綻ばないよう、むんっと力を入れて結んだメアリの肩に、誰かの手が触れる。
「え……」
エドガルドが、メアリのことを抱き寄せたのだ。
人々の目を遮るかのように、エドガルドのマントで隠される。腕の中に閉じ込められる状態になって、メアリの心臓がどきんと跳ねた。
けれどもこれは見上げる人々にとって、手を振る対象を奪われたことになるのだ。
彼らはエドガルドの行動にどよめいて、狼狽した様子だった。
「エドガルド殿下……?」
「な、なぜ聖女さまをお隠しに……」
そんな人々を見下ろして、エドガルドが告げる。
「――メアリの名を、貴様ら如きが呼ぶことは許さない」
「!」
エドガルドの放つ冷たい声音に、すっぽりと抱き込まれたメアリも息を呑んだ。
「これはただの披露目に過ぎないものだ。お前たち民衆に許されるのは、この聖女が俺の所有物であるのを知ることのみ」
(……この振る舞いも、魅了魔法の効果……?)
エドガルドの言葉だけ聞いていれば、強い独占欲の現れとも取れるものだ。
けれど、メアリは確信した。
(違うわ。エドガルドさまは、わざと演じていらっしゃる……)
「俺はこの聖女を囲い、誰にも渡さない。……無論今日これ以降、メアリの力による恩恵を他者に与えるはずもない」
ざわめきが大きくなってゆく。メアリはエドガルドの腕の中で、以前言われたことを思い出していた。
『挽回など考えるな。今後もそのままの路線でいい、変わる必要は無い。これからは俺がお前に合わせる』
(それはつまり。私が悪女になれない代わりに、エドガルドさまだけがこうして悪い王子さまを演じるということ……)
メアリが失敗する所為で。
それに気が付いて、メアリはとても悲しくなった。
「聖女さまは、エドガルド殿下に無理やり従わされているのか……?」
「あれほど素晴らしいお力を持ったメアリさまを、エドガルド殿下が独占しようと……」
恐らくはエドガルドの意図した通りに、暗いざわめきが伝播してゆく。
(だけど)
メアリはそれが、どうしようもない程にかなしかった。
「――俺に抵抗する仕草を見せておけ。メアリ」
「……」
エドガルドが身を屈め、メアリの耳元で柔らかく囁く。
「俺の言葉を拒絶し、腕を拒んで否定しろ。俺がそれを許さないことで、更に民衆の嫌悪感が高まる」
「…………エドガルドさま」
「ほら」
これは、強い力で抱き寄せるふりだ。
「早く、俺の言葉に傷付いた顔を見せてやれ」
「……っ」
本当のエドガルドの触れ方は、メアリが呼吸を忘れてしまいそうになるほどにやさしいのに。
「わかり、ました」
メアリは決意し、ふるふるっと頭を振ってエドガルドから逃れる。階下からバルコニーを見ている人には、それが必死で逃げ出したように見えただろうか。
「聖女さま……!」
「メアリさま、大丈夫ですか!?」
恐らくはエドガルドの目論んだ通り、心配そうで悲痛な声が上がる。
「エドガルドさま……」
だからメアリはエドガルドを見て、大きく息を吸い込む。
(エドガルドさまの『作戦』を破壊させる、魔法の言葉のような嘘を……っ)
そう決意し、みんなに聞こえるほどの声量で言い放った。
「――皆さまの前で『いちゃいちゃ』するのは、恥ずかしいから嫌ですとお伝えしたではありませんか……!」
「…………は?」
その瞬間、メアリ以外の誰もが言葉を失う。




