31 自覚の有無
体を起こしたエドガルドの額を、メアリはなでなでとさする。
「お可哀想に……。魅了だけではなく治癒魔法も、エドガルドさまに効けば良かったのですが……」
「心配を掛けたのは分かったから、その可愛いのをやめろ……!」
何かを耐えるような様子のエドガルドに申し訳なく思いつつ、メアリはふと気が付いた。
「エドガルドさま」
「すぐ傍で俺の名前を呼ぶんじゃない。……なんだ」
エドガルドの額から手を離しつつ、こう尋ねる。
「大神殿から、何かお手紙などがありましたか?」
「――――……」
彼が僅かに目を眇めたのは、単なる肯定の意味だけではないようだ。
「俺に残った僅かな魔力の流れで、読み取ったのか」
「なんとなくではありますけれど……神殿に仕える神官の方々が、お手紙などを転移するときの魔法の気配が」
本当に些細ではあるものの、気付いてしまえばはっきりと感じ取れる。これは恐らく、エドガルドが神殿とやりとりをした痕跡なのだろう。
「お前が気にすることではない。神殿の連中など放っておけ」
「エドガルドさま。教えてください、お願いです」
「……っ、『お願い』は、よせ」
懇願でじっと見詰めると、エドガルドの眉間の皺がどんどん深くなってゆく。どうやらこうやって見詰めることは、エドガルドを説得するにあたって効果的なようだ。
「はあ……」
エドガルドは小さな溜め息をついた後、やがてこう口を開いた。
「お前の異母妹とやらが、俺に目通りを所望しているという内容だ。くだらない」
「まあ、ニーナが?」
意外な内容だったので、メアリは首を傾げる。
「あの子、後日の夜会に来るのではなかったのですか? 何故それを待たず、わざわざエドガルドさまにお手紙を……」
「さあな。手紙はそのまま焼き払った」
「え! 焼いちゃったのです?」
「お前を虐げてぞんざいに扱った神殿の連中に、時間を費やす意味もないだろう。会う気は無い」
エドガルドはそう言うものの、メアリとしては気になる所でもある。
神殿ではあまり交流を持つことも出来なかった妹だが、一体なぜエドガルドに会いたいのだろうか。
「私とエドガルドさまが結婚する話を聞いて、義兄となるエドガルドさまにお会いしたいのかもしれません。ニーナはなんというか、甘えっ子なのです」
「……神殿で、お前と異母妹には親密な交流があったのか?」
「いえ、それはあまり。司教さまたちは私たちが聖女のおつとめに関係ないところで会うことを、滅多に許可して下さらなかったので……そもそも私はお勤めで、自分の時間は殆どありませんでしたし」
そう言うと、エドガルドはますます機嫌の悪そうな顔になる。
「やはり潰すか。神殿を」
「どうしてです!?」
エドガルドは目を眇め、更に尋ねてきた。
「聖国レデルニアの王太子は、忌々しいことにお前の元婚約者だな。異母妹は今、その王太子と婚約中なのだろう?」
「はい。私が婚約破棄されちゃいましたので、必然的にニーナが次の婚約者になるはずです」
「つまりはお前から筆頭聖女の座と、王太子の婚約者の座を引き継いだということになる。その異母妹が、お前の現婚約者である俺に会いたいと言い出すなど、厄介ごとの予感しかしない」
言わんとしていることに気が付いて、メアリは納得する。
「確かに普通に考えれば、『ニーナが私からエドガルドさまをも略奪しようとしている』という図にも見えますね」
「その女の真意がどうであれな。ますます会う気が失せた、神殿からの手紙は二度と俺の元に運ばせないこととする」
「そ、それはご公務に支障が出るのでは? それにエドガルドさまがニーナに略奪されるとは思っていませんので、お気になさらずお会い下さっても」
そもそもが、メアリは悪女として雇われただけの契約結婚なのだ。略奪も何も、最初からエドガルドはメアリのものではない。
(私に恋をなさっているのも、事故で魅了魔法を掛けてしまった所為だもの)
そんなことを考えると、胸の奥がほのかに苦しくなった。何故か分からずに首を傾げる一方で、エドガルドは再び溜め息をつく。
「婚約者がいる立場で他の女にわざわざ会うなど、俺がそんな迂闊な真似をすると思うのか?」
「迂闊、ですか?」
心なしか、エドガルドが拗ねているようにも見えた。彼は金色のピックを手にすると、テーブルの上に飾られたチョコレートを刺す。
「たとえこれが、俺がお前を無理やりに買った上での契約婚とはいえ」
「んむっ」
口の中に再びチョコレートを放り込まれて、メアリはぱちぱち瞬きをした。
「……お前の夫になる自覚くらいは、持ち合わせている」
「!」
左胸が、再びきゅうっと苦しくなった。
そうかと思えば温かくなって、心臓が早鐘を刻み始める。食べさせてもらったチョコレートは、他のものよりも随分と甘い蜂蜜入りだ。
(神殿では、絶対に食べられなかった素敵なお菓子。エドガルドさまが私の為に探させてくださった、宝石みたいな食べ物……)
それを味わい、こくんと飲み込む。
(……エドガルドさまに食べさせていただくチョコレートが、一番美味しい……)
「メアリ」
テーブルについたままのエドガルドが怪訝そうに顔を顰め、傍らに立つメアリを見遣る。
「どうした。熱でもあるのか?」
「え?」
それは思わぬ問い掛けだった。けれどもメアリが驚いたのは、エドガルドの大きな手に頬をくるまれたからだ。
エドガルドの持つ神秘的な紫の瞳に、メアリの姿が映り込む。
「随分と、顔が赤い」
「――――……っ!?」
それは自分でも分かるほどに、とても明確な熱だった。




