30 幸せが回る
ぱちぱち瞬きを繰り返していると、エドガルドが僅かに苦い顔をする。
「どうした。もう食わないのか?」
「! いえ、いただきます!」
見ているだけでも美しいチョコレートだが、やはり食べてこそなのだ。意を決して、悪女らしく『暴食』に挑むことにする。
「チョコレートは、素手でいただくものなのですか?」
「それでもいいが、一定の温度下に留めなければ溶けるものだ。人間の体温にも耐えられないので、不安ならそれを使え」
エドガルドは視線で示したのは、金色のピックだ。先端が兎の形に彫り込まれていて可愛らしく、メアリはこのピックを借りてチョコレートを味わうことにした。
「んんっ、美味しい……!」
「…………」
一粒一粒がもたらしてくれる感動に、メアリは思わず頬を押さえる。
豊かなミルクの風味を感じられるものや、品の良い苦味を感じられるもの。真っ白で滑らかなチョコレートや、オレンジの香りがするものもあった。
中にはメアリのまったく知らない、とろりとした美味しいジュレの入ったチョコレートや、中にさくさくとしたナッツが入ったチョコレートも存在しているのだ。
一粒ずつ大切に楽しみたい気持ちと、次のチョコレートを早く食べてみたい気持ちに挟まれつつ、メアリはこの僥倖を噛み締める。
(お口の中に、幸せが溶け出していくかのよう……)
エドガルドはテーブルに頬杖をつき、そんなメアリの様子をじっと見詰めていた。
「エドガルドさまがみんなに言って、世界中からこのチョコレートを探して下さったのですよね。ありがとうございます……!」
「それほど難しいことじゃない。各国の情報を収集する中で、どの国のどの街でどんな事業が栄えているかが見えてくる。それを製菓に絞って分析し、あとは実際に使い魔たちへ足を運ばせれば良いだけだ」
「しれっと簡単そうに仰ってますが、とても難しいことでは……? 日頃から様々な情報に気を配る必要がありますし、それを的確に活用なさっているのもすごいです」
メアリが目を輝かせていると、エドガルドはふんと鼻を鳴らした。
「大袈裟だろう。やっていることは所詮、美味いチョコレート屋の情報収集だ」
「ふふ」
それは確かにその通りなので、メアリは笑ってしまった。
「言い換えれば、私を幸せにするためにお力を発揮して下さったのですね」
「ぐ……」
不本意そうに顔を顰めるエドガルドに、申し訳ない気持ちも確かにある。けれどもそれと同じくらい、メアリはどうしても嬉しかった。
(美味しいチョコレートを食べられたことも、そうだけれど。何よりもエドガルドさまが私のためにと手を尽くして下さった、そのお気持ちがとても嬉しい)
心の中がほわほわするのは、先ほどエドガルドのことを可愛らしく感じたときとおんなじだ。
「ありがとうございます、エドガルドさま」
「……訂正させろ。これは決して、お前のためにやったことじゃない」
それではどんな理由があるのかと、メアリは首をかしげる。
そして、自分の近くに置かれたお皿が、ほとんど空になってしまっていることにはっとした。
「ごめんなさい!! エドガルドさまもチョコレート、食べたかったですよね!? そんなこと当たり前ですのに私ったら、自分の前にあるお皿のチョコレートは私にいただいたものだと勘違いしてしまい……!!」
「違う」
エドガルドは額を押さえ、大きく溜め息をついた。
「お前の喜ぶ顔が見たいと思った、俺自身のためにしたことだ」
「え……」
メアリは驚いて、エドガルドを見詰める。エドガルドは顔を上げると、その美しい紫の双眸でメアリを見詰め返した。
「お前の口に合うものが何か、それを知りたかった。俺が用意させたものが美味かったとき、お前が一体どんな表情をするのかを想像して、その顔が見たくてたまらなかったんだ」
「エドガルド、さま」
「……想像以上に愛らしい顔をしたので、いまはそれに参っている」
「……!!」
忌々しそうな不機嫌顔なのは、『メアリの可愛い顔に参っている』からなのだろうか。なんだか恥ずかしくなってきて、メアリは自分の頬を覆った。
「……変な顔をしていた気がするのですが!!」
「愛らしいと言っただろうが。――あまり何度も繰り返させるな、お前が許しを請うまで止まらなくなるぞ」
「ごめんなさい!!」
ただチョコレートが美味しかっただけなのに、そんな風に評してもらえるなんて想像もしていない。落ち着かない気持ちになり、メアリはぎこちなく俯く。
「み……魅了魔法。やっぱりすごく、怖いですね……」
「本当にな」
溜め息をついているエドガルドには、心から申し訳ないと感じた。けれども胸に生まれた温かさを、なんとか言葉にしたくなる。
「エドガルドさま、どうしましょう」
「……なんだ?」
メアリは火照る頬を押さえたまま、どきどきしながらエドガルドに告げた。
「私が喜ぶ姿を、エドガルドさまは見たいと仰って下さるのですよね」
そう尋ねれば、エドガルドは観念したように口を開く。
「そうだ。悪いか?」
「そんな風に言っていただけると、私も嬉しくなります。私はいま、とっても喜んでいます!」
「…………そうか。それで?」
「つまり! 私が喜ぶとエドガルドさまが満たされて、エドガルドさまが満たされると私が喜ぶ…………これがこう、繰り返されますので……」
人差し指をくるくると回し、メアリは真剣な表情で説明する。
言いたいことが伝わった気がした瞬間、にこーっと微笑んで言い切った。
「私たち。ふたりで一緒に居る限り、ずうーっと幸せなのではありませんか?」
「――――――――……」
「エドガルドさまーーーーーーーーっ!?」
ごおん!! と大きな音と共に、エドガルドがテーブルに額を打ちつけた。メアリは大慌てで立ち上がり、突っ伏しているエドガルドの肩を揺さぶる。
「エドガルドさま、お気を確かに!! 大丈夫ですか、お怪我は!?」
「別に。ちょっと血を吐くかと思っただけだ、大事は無い」
「それは一大事と言えるのでは!?」




