29 魅惑の味わい
エドガルドは咳払いをし、こう言った。
『……適当な使い魔に、食事を用意させる』
『ありっ、ありがとうございます……』
普段食事を用意してくれているシュニは、まだこの城に戻っていない。メアリは夜会での出来事を思い浮かべ、改めて反省した。
(エドガルドさまは許して下さったけれど、失敗は次に活かさないと。それから夜会での振る舞いも……)
そんなことを考えつつも、メアリは小さく呟いた。
『……あの「ちょこれーと」や「けーき」なるものとは、また再会することが出来るでしょうか……』
『…………』
ボタンを片手で外し、襟元を緩めていたエドガルドが、メアリに向けてこう尋ねる。
『……食べてみるか?』
『!!』
お腹が空いているのとも相まって、メアリは思わず目を輝かせてしまった。
『よ……よろしいのですか!?』
『そんなに興味があるのなら仕方がない、数日待て。使い魔たちに調査させ、この世界で最も美味とされるものを探させる』
『エドガルドさま……!!』
文字通り甘美なその提案に、すべてを理解して立ち上がった。
『分かりました!! これは次なる計画、その始まり……!』
『は?』
『つまり!』
怪訝そうな顔を向けられるが、メアリは自信満々に胸を張る。
『――「暴食の悪女」、と! そういうことなのですね!』
『…………』
***
到着した城の中庭には、無数の薔薇が咲き乱れていた。
メアリが名付けた春の精霊は、盛大にその力を発揮してくれたようだ。可愛らしいピンク色を中心にした薔薇たちが春の庭を彩り、暖かな陽射しを受けて輝いている。
中央にある東屋の円卓についたメアリは、そこで思わず声を漏らした。
「わああ……っ」
レースのような模様の入った愛らしいお皿に、甘い香りのする宝石が並んでいる。薔薇にも負けないくらいに美しく可愛らしい、つやつやのお菓子だ。
「ようやく間近でお会いすることが出来ました、こちらが『ちょこれーと』さま……!」
「おい。何故チョコレートに『さま』の敬称をつける……?」
メアリの向かいに座ったエドガルドは、腕を組んで顰めっ面のままそう言った。
彼がこうして傍にいるのは、メアリにとって意外なことでもある。
チョコレートの約束をしてくれたとき、てっきりそれがメアリに贈られて終わりだと思っていたのだが、なんとこうしてお茶会が開かれてしまったのだ。
エドガルドは公務に忙しいはずなのに、不出来な雇われ悪女に付き合わせるのは申し訳ないとも感じる。
けれどもシュニたちに、「むしろメアリさまが傍にいて下さった方が」と諭されて、その言葉に甘えることにした。まったくもって、魅了魔法の効果は恐ろしい。
「初めまして、ちょこれーとさま。私はメアリと申します」
改めて背筋を正したメアリは、お皿に並ぶチョコレートたちに自己紹介をした。
「ちょこれーとさまのお噂はかねがね。なんでもとても甘くて蕩ける、魅惑のお菓子でいらっしゃるとか……! お目に掛かれて光栄です。今日はよろしくお願いいたします!」
「何故チョコレートに挨拶をする」
「だってこちら! エドガルドさまが探して下さった、世界で一番美味しいちょこれーとさまなのでしょう?」
一体どんなものだろうと想像していたが、対面してみると納得した。
「一粒一粒が輝いていて、こんなに美しいだなんて……。こちらはお花の形、こちらは三日月を模したもの。白いしましま模様が入っていたり……ももももしや、こちらは金粉では!?」
「……」
このチョコレート一個だけで、聖女として働いていたメアリの一年分の給金分に匹敵するかもしれない。
「いいから食え」
「この美しいきらきらをですか!?」
甘い香りがするのは感じているが、本当にこれが食べ物なのだろうか。メアリから見ると宝石のようでしかなく、なんだか不思議な心地だった。
「ですがちょこれーとさまはフラムいわく、口に入れると……とろけて? しまうのですよね? せっかくこんなに綺麗なのに、消えてしまうのは一大事です!」
「……」
メアリが必死に言い募る中、無言のエドガルドはチョコレートを指でつまむ。
「エドガルドさま。ひょっとして食べ物と仰ったのは冗談で、実のところ芸術品なのではありませんか? それでこんなに美し……んっ!?」
「いいから」
エドガルドは手を伸ばし、メアリのおとがいを掴んで口を開かせる。
「さっさと食ってみろ、と言っている」
「!」
その上で、そこにチョコレートをころんと放り込んだ。
「…………!!」
世界中から集めた幸せが、舌の上で溶け出した。
「んむ、む……!?」
芳醇な香りと共に、濃厚な甘さが広がってゆき、ほんの僅かな苦味が上品なコクを産んでいる。とんでもない口当たりの良さに、メアリは手のひらで口を押さえた。
本当にとろけると思わなくて、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
その素晴らしい味わいが、メアリには信じられなかった。
(……おいしい……)
宝石のように見えるけれど、宝石ではなかった。
メアリはこくんと飲み込んだあと、頬を火照らせながらエドガルドに言う。
「エドガルドさま、これは間違いなく食べ物です! 世界一美味しいちょこれーとさま……いいえ、チョコレートさまでした!!」
「…………」
エドガルドにとってはきっと、当たり前の事実なのだろう。
それが分かっていても、この感動を伝えずにはいられない。するとエドガルドは、メアリを見て珍しい表情を浮かべる。
「っ、は」
「!」
あのエドガルドが、笑ったのだ。
メアリを眺め、肘掛けに頬杖をついて、満足そうに目を眇めて口の端を上げる。
「だから言っただろう? ……さっさと食ってみろ、と」
(……悪戯が成功したみたいな、そんなお顔……)
その表情を見て、きゅうっと胸が締め付けられるような感覚が生まれた。
(かわいい)
素直にそう感じたあとで、自分の感想にびっくりする。
(……エドガルドさまのことが、可愛い……?)




