28 空腹の悪女
【4章】
大誤算のあった夜会から、十日が経った午後のことだ。
午後の陽射しが降り注ぐ中、春らしいミモザ色のドレスに身を包んだメアリは、フラムと回廊を歩いていた。
片側に寄せて結び、サイドアップにした淡い紫の髪が、ふわふわと華やかに波打っている。
編み込みを作り、本物の花を使った髪飾りで留めた髪型は、ほどよい遊びと緩やかさを持った可愛らしいものだ。
隣を歩くフラムが、メアリを見上げて誇らしげに言う。
「うんうん、今日のメアリも可愛いぞ! さすが俺たちのあるじの妃だな」
「ありがとうフラム。街で流行している女の子の髪型を、フラムがよく観察して絵に描いてくれたお陰よ」
「えへん! こ、これくらいの役に立たなきゃ、大精霊の名折れだからな!」
恐らく大精霊の仕事というのは、本来もっと凄まじいものの筈である。けれどもフラムたちにとっては、こうして人と関わる仕事こそが嬉しいのだ。
「シュニが髪を結うのも中々のもんだろ? 茶会の支度は他の奴らがやったみたいだけど、今日は特別なんだぜ!」
「特別って?」
「『春』の使い魔が庭に来て、たくさん花を咲かせていったらしい。メアリが名前をくれたお礼にって、張り切ったみたいだぜ」
「まあ。嬉しい、今度お礼を言わなくちゃ」
森で出会った精霊たちは、メアリの名付けを本当に喜んでくれていた。ひとりひとりを思い浮かべながらも、メアリはふと思い至る。
「……一応聞いてみるけどフラム。ひょっとして春の使い魔さんって、この世界の春そのものを司る大精霊だったり……」
「ん? そうだな! あいつが存在するから春が生まれたとかなんとか、シュニのやつが言ってたっけ」
「………………」
やはり全員例外なく、人に使役されるような格の精霊ではない。そんなことを思いつつ、メアリは庭に続く回廊の先を見遣る。
「それにしても。エドガルドさま、ご公務は大丈夫なのかしら……」
メアリはぽつりと呟きつつ、十日前の夜会のことを思い出す。
転移魔法で城に戻ったあと、エドガルドは足早にソファーへ近付いていくと、メアリを無言でそこに降ろしたのだ。
『え、エドガルドさま……!』
メアリが恐る恐る見上げた彼は、思いっきり眉間に皺を寄せている。
どう見ても不機嫌全開の表情を見て、メアリは心の底から申し訳なく思った。
『申し訳ございません。私、どうやらまた悪女業務を失敗しちゃいましたよね……?』
『……』
傲慢の悪女を演じたつもりが、妙な空気になったことは察していたのである。
メアリの方を見る周りの目は、なんだか神聖なものを見つめるようなまなざしだった。エドガルドが不機嫌なことを鑑みても、作戦の失敗は明らかだ。
『どのような罰でもお受けします。その上で、必ずや挽回させていただきます……! もっと世間のことを勉強して、どんな振る舞いが悪女なのかを掴んで。これからすぐに次の作戦を考えますので……!』
『…………もういい』
『!!』
エドガルドの言葉に、メアリはがあんと衝撃を受ける。
(ついに私、悪女をクビになってしまうのだわ……!!)
だが、これまでの自分の働きを振り返れば当然だ。ソファに降ろされたメアリの前で、エドガルドは額を押さえている。
(こんな心労を負わせてしまったのも、すべて私が出来損ないの悪女だから……)
そう思い、申し訳なくて顔が上げられなくなった。
『……このような私を今日まで雇っていただき、本当にありがとうございました。エドガルドさま』
『……?』
『さまざまな配慮をいただいたのに、ご期待に応えることが出来ず申し訳ございません。心苦しいですが、私は……』
『おい』
エドガルドの声に遮られ、メアリは恐る恐る彼の方を見る。
目が合ったエドガルドは眉根を寄せて、確かに怒っているはずだった。しかしそれは、メアリが思っていた理由とは違うらしい。
『待て。お前は何故、このままここを去るような雰囲気の話をしている?』
『え……それは』
『離してやれるとでも思っているのか? ……お前を逃す気になったなど、俺は一言も言っていない』
『!!』
メアリがびっくりして目を丸くすると、エドガルドは深く溜め息をつく。
『「もういい」と俺が言ったのは、お前はこれまで通りにしていろという意味だ』
『え……』
ぱちぱち瞬きを繰り返すメアリに、エドガルドはこう説明した。
『挽回など考えるな。今後もそのままの路線でいい、変わる必要は無い。これからは俺がお前に合わせる』
『わ……』
メアリはそこで理解して、背筋を伸ばした。
『分かりました、エドガルドさま!』
これはまさしく、挽回など考えなくて良いと言ったエドガルドの方が、メアリに挽回の機会を与えてくれているのだ。
『その作戦を教えて下さい! エドガルドさまが私に合わせて下さるというのであれば、私も私に合わせてくださるエドガルドさまに合わせます! そうしてなんやかんやこう、気合を入れて悪女しますので!』
『そのままの路線でいい、と言っただろう。下手に俺の策を説明して、お前に別の動きを取られると困る』
『ですがそれではあまりにも、雇用主の負担が……っ』
そのとき、大きなお腹の虫の音が、部屋にぐうう……と響き渡った。
『……』
『…………』
メアリは顔を赤くして、自らのお腹をぱっと押さえる。エドガルドは何故か口元を押さえ、メアリから顔を背けた。
『あっ、あの、これはその……!!』
『…………』
実はお腹がぺこぺこなのを、絶対に気付かれてしまったはずだ。そしてエドガルドは、何故か少し肩を震わせている。
(ど、どうしましょう。お腹をぐうぐう鳴らすお妃さまなんて、はしたなくて魅了魔法の効果も解けてしまうわ……!)
『くそ。どうなっているんだ、腹の虫がこうまで愛らしい人間が居てたまるか……』
『はい?』
『なんでもない』
思わず聞き返してしまったが、実はばっちり聞こえていた。どうやらメアリがお腹を鳴らしても、魅了魔法の効果に変化はないようだ。




