26 『傲慢』の悪女
「落ち着いてくださいエドガルドさま、これは絶好の好機なのです! 私はこの状況を利用して、なんとしても悪女を遂行せねば!」
メアリは小声で抗議しつつ、エドガルドにぎゅうぎゅうと抱き着いた。少し関心が引けたのか、エドガルドは思いっきり眉根を寄せる。
「……っ、おい、一度離れろ。俺に寄るな」
「いいえなりません、離せません! だってエドガルドさま、何かとんでもないことをなさるおつもりでしょう?」
「大袈裟に喚き立てるほどじゃない。お前に僅かでも害意を抱いた人間を、骨まで消し炭にするだけだ」
「悪女が! 私の考えた悪女像が霞みそうなことを、しれっと実行しようとなさらないでくださいませ!!」
周りに声が聞こえないようにしつつ、メアリは必死にエドガルドを引っ張る。そんなふたりの様子を見て、集まってきた人々が囁き合った。
「お、おい見ろ。くだんの『悪女』が、エドガルド殿下とあんなに親しそうに……」
「恐れというものを知らないのか? あるいはそれほどまでに、エドガルド殿下の寵愛を受けているということか……」
「あれほどまでに美しい女だ。性悪といえど、魅了されない男はいないだろう」
「――――……」
「ひっ!!」
エドガルドが静かに睨み付けると、男たちは慌てて口を噤む。その様子を見て、メアリはますます慌ててしまった。
「どうしてですかエドガルドさま、せっかく悪女っぽい噂をしていただいていましたのに!」
「お前に聞こえる場所で外見を審査しようという、あの不届きな精神が気に入らない」
「さようなら、エドガルドさまの本来の目的……!」
メアリへの過保護さが邪魔をして、悪女を利用するという計画がぐちゃぐちゃだ。メアリが魅了魔法などを掛けてしまった所為なので、心から申し訳なく思う。
エドガルドは、長い睫毛に縁取られた美しい双眸を細めると、静かにメアリのことを見下ろした。
「……お前が少しでも危険な目に遭う可能性がある策は、もう二度と許可しない」
「エドガルドさま……」
神秘的な紫色の瞳には、微かに彼の感情が透けている。何よりもはっきりと読み取れるのは、強い怒りと苛立ちだ。
けれど、エドガルドから真摯に注がれるまなざしからは、メアリを案ずる想いが感じられた。
(私のことを、とても心配して下さっている……)
そのことに、きゅうっと胸の奥が苦しくなった。
(エドガルドさまが望むことを、私は上手く叶えられていないのに)
メアリはエドガルドにしがみついたまま、顔を埋めて小さく呟く。
「……ご安心くださいエドガルドさま。作戦が変更になったとしても、雇われ悪女の責務は果たします」
「メアリ?」
エドガルドから離れたメアリは、バルコニーにへたりこんでいるミランダたちの方を見た。
途端にミランダははっとして、引き攣った笑みを浮かべながら声を上げる。
「め、メアリさま!! 私たち、メアリさまに心から謝罪いたします。本当にごめんなさい! ですからどうかもう一度、お友達になることを考え直していただけませんか!?」
「……」
ミランダの声はひどく震えていた。けれどもメアリは彼女ではなく、離れた場所で怯えている少女アイリーンの方に歩いてゆく。
先ほどまでのミランダたちは、このアイリーンを取り囲みながらひどい暴言を投げ付けていた。アイリーンは怖かったはずなのに、メアリを逃がそうと勇気を振り絞ってくれたのだ。
「アイリーンさま」
「ひゃ……」
メアリが彼女に微笑みかけると、アイリーンはびくっと肩を震わせた。
(出来ればお友達になりたかったけれど。私ではやっぱり、怖がらせてしまうわよね)
内心でそのことを残念に思いつつも、悪女である以上は当然のことだ。
さびしさを表情に出す代わりに、メアリは彼女に微笑んで尋ねた。
「アイリーンさま。今日お召しになっているそのドレス、刺繍がとても素敵ですよね」
「えっ、あの、その……」
「ひょっとしてその刺繍。私が今日着ているこのドレスと、同じ職人さんによるものではないでしょうか」
「!」
メアリがそう尋ねると、アイリーンが目を見開いた。
「え、た、た、確かに。よく見るとメアリさまのドレス、わ、私が刺繍した……」
「まあ。やはりそうなのですね!」
どうやらメアリが推察した通りだったようだ。
暮らしに困窮しているらしいアイリーンが、ドレスに上質な刺繍の入ったものを纏っているのは、刺繍を入れたのが彼女自身だからなのではないかと感じていた。
(少し親近感が湧いてしまうわ。私も祭事用の衣装には、すべて自分で刺繍を入れなくてはいけなかったもの。外の職人さんに頼むとお金が掛かるからと、私とニーナ、それに司教さまたち全員分……)
通常の役目が終わったあと、自室に戻ってから睡眠時間を削って刺繍をしなくてはならなかったため、毎年何日も睡眠不足になるのだ。
そんなことをしみじみ思い出しつつ、メアリはドレスの裾をひらりと摘んだ。
「この素晴らしい刺繍、本当に美しいです。ドレスを纏った瞬間は嬉しくて、心が華やぎました! 刺繍がアイリーンさまということは、仕立ても領地の方々なのでしょうか?」
「へあ、あの、はい。仕立ても機織りも糸を紡いだのも、領地の職人のおじいちゃんたちが……」
「素敵! エドガルドさま、どうぞお喜びください。たっぷりの褒賞を支払うお相手、シュニたちに探してもらわなくとも見付かりそうです!」
にこにこしながら振り返ると、エドガルドが何故か額を押さえている。
「……メアリ……」
「?」
そのことを不思議に思いつつ、メアリは再びアイリーンを見詰めた。
「こんな素敵なドレスを作って下さるのですもの。社交界に喧伝すれば、アイリーンさまのおうちの領地は豊かさを取り戻すはずです。この私が保証いたします」
「……め、メアリさま……」
(どうかしら! この、『自分が良いと思ったものを必ず流行らせる自信がある』という、とてつもなく傲慢な口振り! まさに悪女!)
メアリは己の悪どさを確信しつつ、アイリーンに説く。
「隅の方で怯えずに、どうか胸を張ってください」
彼女に向けて告げたのは、悪女らしい振る舞いというだけではなく、メアリ自身の本心だ。
「――あなたや領民の方々が生み出すものは、こんなにも美しいのですから」
「……っ!!」
その瞬間、アイリーンの両目からは、ぽろりと涙の雫がこぼれた。




