20 不思議な温かさ
「……メアリ」
「!」
エドガルドが、初めてそんな風にメアリを呼んだ。
彼は目をすがめると、言い聞かせるような囁きを零す。
「これで分かったか? 俺は、お前に掻き乱された俺の気が済むように、お前を守り休ませている。お前がそれに報いるような必要は無い」
「ですが……」
エドガルドにそう言われても、メアリはなんとなく落ち着かない。
「私の魔法で、エドガルドさまに元気になっていただきたいです。今のこの感情は、私が先ほどまで感じていたような、『していただけたから返さねば』という思いとは違っているかもしれません」
「……」
「上手くは説明出来ないのですが……エドガルドさまがお疲れのご様子を見ていると、それをなんとかしたくなってしまって」
第一に、森でたくさん休養を取ったのだから、これくらいは本当になんでもないことなのだ。
「エドガルドさまのお疲れを、癒して差し上げたいと感じるのは、ご迷惑なことですか……?」
「……」
エドガルドはぐっと眉根を寄せたあと、低い声でこう紡ぐ。
「いま俺の疲れが癒えれば、すぐさま神殿を襲撃しに行くぞ」
「えっ!?」
「なにせ、はらわたが煮えくり返っているからな」
紫の瞳に映り込むランプの灯が、怒りの色を燻らせて揺れる。
「――……よくも俺の妃に対し、粗末な扱いをしてくれた」
「エドガルドさまにお会いする、それよりもずっと前の出来事ですのに……!」
本当に神殿を破壊しかねない雰囲気だ。エドガルドは、もう一度メアリの頬を撫でる。
「もう眠れ。……いいな?」
彼がメアリをこの部屋に転移させたのは、メアリを休ませるためだったのだろう。
「はい。エドガルドさま」
素直にそう頷くと、エドガルドは寝台から一歩離れた。
「エドガルドさまも、すぐにお休みになってくださいね」
「……分かった」
メアリを見ずにそう返した彼の姿は、次の瞬間に転移で消える。メアリは身を起こし、ナイトドレスに着替えてもう一度寝台に潜り込んだ。
「……」
左胸には、先ほどの苦しさと温かさがいまも残っている。
その感覚を抱き締めるように上掛けを抱き締めるうち、いつしか眠りについていたのだった。
***
それから数日後、メアリの部屋にたくさんの豪華な調度品が運び込まれたあとの夜に、メアリの希望した夜会へと参加出来ることになった。
シュニに手伝ってもらいながら、夜会のための装いや薄化粧を施す。やがてノックの音がして、廊下からエドガルドの声がした。
「メアリ」
「はい、お待たせしました!」
ちょうど支度を終えたメアリは、立ち上がってエドガルドを迎える。
シュニが開けた扉の向こうには、正装の軍服とマントを纏い、いくつもの勲章をつけたエドガルドの姿があった。
「まあ。エドガルドさま、そうした厳格な装いもよくお似合いで……」
「…………」
「あら?」
エドガルドの渋面に気が付いて、メアリは首を傾げる。
いまのメアリの装いは、紫色の髪によく映える紺のドレスだ。
エドガルドが黒色の夜なので、その隣に並ぶメアリが纏うならば、夜の始まりのような深いブルーにしようと考えた。
裾にいくにつれて黒色に移り変わるグラデーションは、陽が沈み切った直後の夜空を思わせるものである。
それでいて重苦しく感じないのは、ドレスの生地自体が軽やかで、裾もふわふわとしたものだからだろう。
首から鎖骨、肩口が開いているデザインだということもあり、肌が見えている部分とのバランスが絶妙だ。
身に着けている首飾りや耳飾りは、良質で小粒な宝石を使用しており、上品な輝きをもたらしてくれていた。
(つい昨日、この領地の商会長が訪ねていらして、私への挨拶にと献上して下さったドレスと宝飾。調整せずに着れそうだったから、早速纏ってみたけれど……)
エドガルドがメアリを見る表情は、とても苦々しいものだ。
「ど、どうかなさいました? ひょっとして、何かおかしかったでしょうか!?」
「違う」
エドガルドは地を這うような低い声で、メアリに説明してくれた。
「お前の見目があまりに良いので、それを忌々しく思っている」
「そ、それは一大事ですね……!?」
なんという複雑な心情だろうか。エドガルドはメアリから視線を外し、扉の横で頭を下げているシュニを見下ろした。
「使い魔。このドレスを仕立てた職人、並びに生地を織った者から糸の生産者に至るまで、すべての関係者を洗い出すよう他の使い魔に命じろ。見つけ出し次第その功績を讃え、その者の両手から溢れる量の金塊を渡せ。宝飾もだ」
「仰せの通りに、ご主人さま」
(エドガルドさま、お気を確かに……!!)
どう見ても魅了魔法による思考だが、いまは黙っておくことにした。
(魅了魔法の所為であろうとも、職人さんたちが褒賞を得られるのは良いことだものね。ここは何も言わずにおきましょう。夫に言うべきことを言わずに黙っておく、これぞ『怠惰』の悪女としての振る舞い……我ながら、なんという悪女なのかしら! ナイス悪女!)
「……?」
自信満々のメアリのことを、エドガルドが少々警戒した目で見ているが、そのことにメアリは気付かないのだった。




