19 恋の在り方
「み……」
メアリはこくりと喉を鳴らしたあと、エドガルドをおずおずと見上げて尋ねた。
「魅了魔法は、それほどまでに……?」
「!」
すると、エドガルドははっとしたように目を見開く。
「……魅了魔法」
小さな声で呟いた彼は、ぐっと眉根を寄せてメアリを見つめた。
「そうだ。……そのはずだ。なのに、何故俺は……」
「……?」
何処か苦しそうな彼の様子に、メアリもなんだか胸が苦しくなる。
(こんなお顔をさせてしまうのも、やっぱり私の所為だわ。なるべくエドガルドさまに心労をお掛けしないよう、勉強しないと)
何しろメアリは人生において、神殿から出ることもほとんど無かった。世間を知らない自覚はあるので、それを学びで補わなくてはならない。
「エドガルドさま」
メアリはそっと手を伸ばし、エドガルドの頬をくるむように触れた。すると、エドガルドの肩が僅かに跳ねる。
「恋とは一体、どのようなお気持ちになるのですか?」
「……」
彼の心情を理解したくて、メアリは寝台に寝転んだまま小首をかしげた。
「……お前が俺に、それを言わせるのか?」
「ご、ごめんなさい……!」
ひとまずこれでひとつは分かった。
誰かに恋をしている場合、その張本人に恋心について問われるのは、とても苦い心情になることのようだ。
「私、これまで生きてきた中で、どなたかに恋をしたことが一度も無いのです」
「……」
そう告げると、エドガルドの眉間の険しさが僅かに和らぐ。
「そうか」
(なんだかちょっとだけ、エドガルドさまのご機嫌が直られたような……)
それに気が付いて、メアリはその法則に思い当たる。
「私の過去のことを知ると、エドガルドさまは嬉しいですか?」
「俺の感情ではなく、魅了魔法の所為だ。……間違いなく」
「でしたらええと、元婚約者のクリフォード殿下との古い思い出について……」
「その話はまったく聞きたくない」
「む、難しいです……!」
やはり恋心とは複雑だ。想像だけで判断すると、エドガルドにまた迷惑をかけてしまう。
「教えて下さい、エドガルドさま」
「――――……」
そう懇願すると、エドガルドは言葉に詰まった様子で顔を顰める。
「恋というものは、一体どのようなお気持ちになるのでしょう……?」
「……っ、くそ……」
エドガルドは観念したかのように、何処か自棄になった様子で口を開いた。
「――そんなものは、俺自身にも分からない」
「分からない?」
意外な答えが返ってきて、メアリは彼の言葉を繰り返す。
「俺だって、他人に心を奪われたことなどは、一度も無かった」
「…………」
シーツに散らばったメアリの髪を、エドガルドの綺麗な指が梳く。
「少しでも気を抜けば、お前のことしか考えられなくなるんだ。お前の笑った顔を見て、それ自体に何かままならない苛立ちを感じもすれば、同時にもっと見ていたくもなる。お前を傍に置くのは耐えられないが、離しておくのはもっと耐えられそうにない」
エドガルドが教えてくれたのは、矛盾しているようにも感じられる感情だ。
けれども彼のまなざしが、その焼け付くような真摯さを物語っている。
「お前の声が、俺に向けられるのが心地良い。……それなのに、いますぐにでも俺の名を呼ぶなと命じて、そのくちびるを無理矢理に塞いでやりたくもなる」
「!」
そう告げられて、メアリの心臓がどきりと跳ねた。
「頭では馬鹿げていると思うが、理屈ではどうやってもねじ伏せられそうにないんだ」
「エドガルドさま……」
紫色の瞳には、さまざまな強い感情が揺らいでいる。
「こんな滅茶苦茶な感情など、自分自身で理解できるはずもないだろう」
エドガルドは、メアリが寝台の上に投げ出した無防備な手を取ると、彼の指を絡めながら言った。
「……掻き乱される、としか言いようがない」
恨みがましそうな響きを持つのに、メアリへの憎しみなど感じられない声音だ。エドガルド自身が振り回されているその感情に、メアリも落ち着かない気持ちになってしまう。
「私に、ですか……?」
「他に、誰がいると思っている」
エドガルドの美しい双眸は、本当にメアリのことしか見ていなかった。
「お前の所為だ」
「…………っ」
真っ直ぐな言葉が、メアリの鼓動を大きく揺らした。
心臓の辺りが苦しくて、きゅうきゅうと締め付けられるようだ。
(これは、魅了魔法の力)
メアリが使ってしまった魅了魔法が、エドガルドに迷惑を掛けている。すべてがエドガルドの本意の感情でなく、メアリによってもたらされた偽物のはずだ。
(分かっているわ。……けれど、それでも)
こんなに強い感情を、誰にも向けられたことは無かった。
聖女としてのメアリにではなく、メアリ自身に向けられた、生まれて初めての鮮烈な想いだ。
それを真っ向から受け止めて、少しだけ泣きそうになってしまった。
魔法の効力が切れたとき、終わってしまうものだとしても。




