18 与えられるもの
エドガルドは顔を顰めたあと、額を押さえながらその声を絞り出した。
「だから、離れろと言っている……」
「わあ。そうでした」
メアリは思い出し、長椅子の一番端に移動した。
だが、そうやってエドガルドの負担にならなさそうな距離を置くと、今度は何処か不満そうなまなざしが向けられるのだ。
「……離れたら離れたで面白くない。くそ、厄介だな……」
「恋心って、とっても複雑なんですね……」
こんな大変な心情に叩き落としてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
エドガルドは額を押さえて俯きながら、掠れた声でこう言った。
「お前の策が効くとは思えないが、夜会については調整する」
「まあ、ありがとうございます!」
気合を入れるものの、エドガルドは疲れ切ってそれどころではなさそうだ。
(どうしてこんなにぐったりなさっているのかは、原因をお聞きするまでもないわよね)
そのことに胸が痛んだメアリは、そっとエドガルドに懇願した。
「お願いがあります、エドガルドさま。エドガルドさまの今日のお疲れを、私の治癒魔法で癒せないか、試してもよろしいですか?」
「……」
「効かないのは分かっているのですが、挑戦してみたいです」
そう提案すると、エドガルドは眉根を寄せる。
「……どうしてそんなことをする」
「だって、間違いなく私の所為ですもの……」
それを理解しているので、メアリはしゅんとして俯いた。
「領主さまのところに乗り込むのも、私を守りながらでした。エドガルドさまほどのお力をお持ちであろうと、強力な魔法を使えば魔力を消耗します。それなのに、私は上手に悪女が出来ず、エドガルドさまのお役に立てませんでしたから」
「……」
「挙句の果てにはティストの森に行かせていただき、私だけ魔力をたっぷり回復させていただいて。せめてその分は治癒魔法を使い、エドガルドさまをお助け出来なければ、なにひとつ私の存在価値が無く……きゃあ!?」
「――……」
メアリが悲鳴を上げたのは、転移魔法がいきなり発動したからだ。次の瞬間メアリの体は、エドガルドに横抱きに抱えられていた。
「わああ、これがかの有名なお姫さま抱っこ……!」
びっくりして彼にしがみつきながら、ここが自室であることに気が付く。
エドガルドは、この部屋でいまのところ唯一の調度品である寝台に近付くと、メアリの体をぽすんと下ろした。
「エドガルドさま?」
「……」
彼の使った魔法によって、部屋のランプに火が着いてゆく。
シーツへ仰向けに転がされたメアリは、ぱちぱちと瞬きを繰り返しつつ、メアリの横に手をついているエドガルドを見上げた。
「あの、どうかなさって……」
エドガルドの形良く大きな手が、メアリの頬に伸ばされる。
そして彼は、こんなことを尋ねてきた。
「神殿の連中はことあるごとに、お前に見返りを要求したのか?」
その問い掛けに驚いて、メアリは目を丸くする。
「それは、どういう……」
「……俺がお前を守るのは、何があっても当たり前のことだ」
「!」
エドガルドの指は、メアリのまなじりにやさしく触れる。
そこから頬に掛けてをやさしく辿りながら、彼は淡々とした声音で言った。
「そのことで、お前が俺に礼をする必要は無い」
「……エドガルドさま」
「ティストの森に行かせたのも、お前が魔力を消耗したのだから補わせたのに過ぎない。そのことに対し、自分ひとりだけが回復したという負い目を感じることも必要ないんだ」
そう告げられて、メアリは息を呑む。
頭の片隅に思い出したのは、幼い頃から告げられていた言葉だ。
『お前に今日の休息が与えられたのは、クリフォード殿下のお気持ちによるもの。風邪を引いたお前を休ませるためにと、今月の寄付金を弾んで下さったのだぞ』
『……はい。司教さま』
『午前中だけは休むことを許す。午後になったらクリフォード殿下のお気持ちに報いるべく、殿下のレデルニア国の繁栄を重点的に祈るようにな』
司教たちも、教育係も世話係もみんな、メアリに口々にこう教えた。
『メアリさまの衣服は紐の一本に至るまで、各国からの寄付金で賄われているのです。感謝の気持ちを忘れずに。その分しっかりと、寄付金を払っている国々に豊穣をもたらしていただきますよう』
『怪我をした小鳥の治癒をしたいから、その分の魔力を取っておきたいだと? 何を甘えたことを言っている。自分の要求を相手に飲んでもらいたいのであれば、まずは自分の仕事を果たすのが先だろう』
そんな風に教わってきたことについて、深い疑問を持ったことは無かった。
『人に何かをしてもらいたいなら、まずお前がそれに見合う価値をこちらに示せ』
誰かに与えたときのみ、受け取ることが出来る。受け取ってしまったのであれば、同じだけを返さなくてはならない。
だからメアリにとって、『雇う側』と『雇われる側』という考えはとても明瞭だ。
(エドガルドさまは雇い主。私に衣食住や金銭を提供してくださるのだから、私はそれに見合ったら働きをしなくてはならないはずで……)
けれどもメアリは失敗している。悪女の振る舞いがままならなかったどころか、エドガルドに負担を掛けているのだ。
(契約通りの働きが出来なかった分、他の得意分野で貢献したかったわ。だけど……)
そのことに、どうやらエドガルドは憤っている。
「俺がお前を守ったのも、お前が少しでも早く回復するように動いたのも、何かの見返りを期待してのことではない」
その親指が、メアリの頬をあやすように撫でた。
「ただ、お前が愛おしいからそうしている」
「…………っ」
彼の言葉に、メアリは思わず息を呑む。




