13 『強欲』の悪女(2章・終わり)
「……そのような戯れ言は、何もいらない」
「ですが」
「お前の勤めは、俺を知ることなどではないはずだろう」
「あ!」
そう告げられて、メアリは反省する。
「仰る通りです。私、エドガルドさまのなさることに見惚れてしまって、悪女らしい振る舞いが十分に出来ていませんでした……今からでも、悪女の振る舞いは間に合うでしょうか?」
「ふん」
エドガルドは冷たい視線をメアリに向けたあと、ふいっと顔を逸らす。
「もはや見物人も居ない。無意味なことをする暇があったら――……」
「確かに」
彼の言葉を遮って、メアリは閃く。
「それでは、こちらに致しましょう!」
「は?」
中庭の中央を目指し、メアリはととっと数歩駆ける。そこで両手の指を組むと、静かに目を閉じた。
そして、いつものように祈りを捧げる。
「……これは……」
心臓の辺りから、温かな力が溢れるのを感じた。
左の胸を中心にして、その力がどんどん広がってゆく。
メアリの鼓動が脈打つ度に、その魔法が体の中を満たし、光となって外へと溢れ出た。
「聖女による、豊穣の祈りか? ……違う。これはそんな曖昧なものではなく、もっと強力な……」
(エドガルドさまはやっぱり、魔法の知見が深いのだわ)
生まれ持っての才能だけでは、メアリがいま使っている魔法について見抜けるはずもない。エドガルドの言う通り、メアリがここで使っているのは、神殿でささげていた祈りとは別物だった。
(豊穣の祈りは、通年を通して土地を豊かにするもの。持続的な代わりに効果が弱い、そんな魔法だけど)
目を閉じて祈るメアリの胸元に、ふわっと光の球が生まれる。
それはどんどん大きく膨れ上がり、メアリたちだけでなく屋敷を取り込んで、結界よりも大きな光となった。
「恵みを。祈りを。とこしえに足らずとも、この地の民が飢えを癒し、明日に怯えることのない豊かさを!」
「……っ」
メアリが唱えた瞬間に、ひときわ強い光が満ちる。
眩しさが消えたのを瞼越しに感じ、メアリがゆっくりと目を開ければ、辺り一面は青々とした植物に埋め尽くされていた。
「……上手く、いきましたね」
「……」
ほっとすると同時に、メアリの頬を汗が伝う。
呼吸が乱れ、上手く声が出しにくくなっているものの、軽い咳払いと共に誤魔化して笑った。
「エドガルドさま! ここに生えた植物はみんな、ご覧の通りの食糧です。お芋にごぼう、人参や玉葱。キャベツやカブ、お豆とかぼちゃ、茄子! それからトマトと苺と……」
これは豊穣の祈りではない。短期的だがもっと強力な、そんな魔法なのだ。
あれもこれもと指差してゆくと、エドガルドがぽつりとこれだけ呟く。
「…………作物に、季節感の統一性が無さすぎるだろう」
「そ、そうかもしれないのですが!」
一応自覚はあったので、メアリは慌てて補足した。
「エドガルドさまの先ほどのお話だと、領民の皆さまは飢えて痩せていらっしゃるのでしょう? 必要な栄養素が分りませんので、とにかく思い付く限りの収穫物があるようにと……」
「……」
「お野菜だけではなく! たくさんの食べ物があると分かれば、森の動物さんたちも近寄ってくるはずです。ここに罠を仕掛けたり猟をすれば、きっとお肉も食べられるはず」
「……言わんとする理屈は、分かったが」
エドガルドは形のいい眉を歪め、解せないものを見る目をメアリに向けた。
「一体どんな理由があって、こんな魔法を使ってみせた?」
「だって私、悪女ですから!」
「…………」
自信満々で言ってみせたのに、エドガルドはますます渋面を険しくする。
「エドガルドさまは領主を排除して、この地をご自身の物になさるのでしょう?」
「まだそうと決めた訳ではないが」
「妻である悪女たるもの、夫の領地から得られる利益を最大限にするべきです! 領地でたくさん収入を得るには、何はなくとも領民の健康あってこそ。元気な稼ぎ手がたくさんいなくては、税金が入らない上に生産物も減りますからね」
「…………」
もちろん本で読んだだけなのだが、その考え方には賛成だ。
「私は悪女なので、強欲なのです。エドガルドさまが得られる利益を最大限得るために、お手伝いいたします!」
「…………お前は……」
「あら? あそこ、何か物音が……」
崩れた屋敷の一角から、がたんと音がしたのである。メアリが近付こうとすると、エドガルドがそれを後ろから叱った。
「危険かもしれないものへ、不用意に近付くな」
「大丈夫ですエドガルドさま。ここにいるのは小さな子供たちのようで……」
「子供?」
領主がいた部屋の奥には、五歳から六歳くらいの少年や少女が、蹲ったまま震えていた。
身を寄せ合って泣いている彼らは、領主の血縁ではなさそうだ。ひょっとしたら、領民たちが領主に逆らわないように、子供を連れ去って人質にしていたのかもしれない。
どうやら怪我はしていないようだが、その様子はひどく怯えている。
「ひっく……た、たすけて……」
「なんてひどい……。待っていてね、今……」
「待て」
「!」
駆け寄ろうとしたメアリの肩を、エドガルドの大きな手が掴んだ。
「怪我もしていないのだから放っておけ。どうせ領民共が異変に気付き、子供を助けるためにやってくる」
「離してくださいエドガルドさま!」
「……っ」
メアリが願うと、エドガルドはすぐさま手を離してくれた。どうやら彼の本意ではないが、メアリの願いへ咄嗟に反応してしまったらしい。
「おい!」
「心配なさらずともご安心ください。せっかく目撃者に会えたことですし、ちゃんと悪女らしく振る舞いますから!」
「っ、本当だろうな……!?」
子供たちに駆け寄ったメアリは、彼らに目線を合わせるために床へ座った。それでもびくりと肩を跳ねさせた子供たちを観察し、体調を確認する。
(魔力の乱れは無さそうだけれど、後で念のため治癒魔法を使いたいわ。とはいえ、今は何よりも……)
メアリは深呼吸をする。
「エドガルドさま。今回ご指示いただいた悪女のお仕事は、『エドガルドさまのしていることを隣で喜びながら、美しく微笑む』ですよね」
「……待て。やはりお前、どう考えても解釈を間違って……」
「小さなみんな。安心してね」
メアリは怯える子供たちに向け、ゆっくりとやさしい声音で語り掛ける。
「エドガルドさまが、皆さんを苦しめる悪い領主をやっつけて下さったわ。私、隣で見ていたの」
「ほ……ほんとう?」
「っ、待てと言っている!」
「本当。これでみんなおうちに帰れるわ! なんて喜ばしいことかしら」
「……!」
子供たちが目を見開いて、信じられないという表情をする。
「怖かったのに、みんな頑張ってくれたのよね」
メアリはくちびるを綻ばせ、まさしくエドガルドに言われた通り、美しい微笑みを浮かべて告げた。
「……けれどもう、大丈夫だから」
「……っ」
その瞬間、硬直していた子供たちの体から力が抜ける。
「う……うわああんっ、お姉ちゃん……!!」
「怖かった、怖かったよお……!!」
「よしよし、みんな良い子。……すぐにお迎えが来るはずだから、家族みんなでお腹いっぱいご飯を食べましょうね」
メアリに縋り付く子供たち、ひとりひとりの頭を撫でる。この小さな子供たちが安心できて、本当によかった。
(エドガルドさま! 私、ご指示の通りにやれましたよ!)
そんな思いで顔を上げるが、メアリを見ているエドガルドの表情は、想像していた『よくやった!』という顔ではなかった。
「………………」
「……あらら?」
何故なのか、心底げんなりしたまなざしを向けられている。
どうやらこの日の『悪女のお勤め』は、雇い主の期待には添えなかったようなのだった。
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2章・終わり




