1 魔法で落ちた恋なのに
「っ、エドガルドさま……!」
抱き締めてくる男を窘めるために、メアリは彼の名を呼んだ。
メアリを捕らえて離さない黒髪の男性は、夜会に出ればすべての女性の視線を集めるような美丈夫だ。そんな彼から縋り付かれても、メアリは甘んじる訳にいかなかった。
体格の良い男の背中に腕を回し、上等な仕立ての上着を握り締める。心臓がばくばくと早鐘を刻むが、絶対にそれを気付かれてはならない。
「し……しっかりなさって! あなたが抱き締めていらっしゃるのは、聖女のくせに神殿を追放された、メアリ・ミルドレッド・メルヴィルですよ?」
「……」
「ほら、ね? いい子ですから、どうか離れて……」
メアリは言い、彼の毛先が跳ねた黒髪を撫でる。
すると、メアリを腕の中に閉じ込めた王子エドガルドは、拗ねた子供のように口にした。
「――嫌だ」
「嫌だ、って……」
少しだけ身を離したエドガルドが、メアリの顔を間近に覗き込む。
強い魔力を帯びた紫の瞳には、淡い紫の髪を持つメアリの姿が映り込んでいた。
「お前は、国をも滅ぼしかねない悪女なんだろう?」
「……っ」
エドガルドの何処か甘い声に、どうしても困ってしまう。
「それならば、俺をこのまま籠絡してしまえ」
「ご、ご存知でしょう……? 私が悪女をやっているのは、あなたに雇われたからです……!」
「そうだな。だが、俺がこうまでお前に焦がれる羽目になったのは、一体誰の所為だと思っている」
「そ、れは」
メアリはぎゅっと眉根を寄せ、エドガルドに答えた。
「私の、所為です」
もちろんそれについて自覚はある。メアリの所為で、エドガルドがどれほどの被害を受けているかもだ。
「……私の魅了魔法によって、エドガルドさまが一時的かつ強制的に、私のことを好きになってしまったから……」
「――――……」
「わ……!!」
エドガルドは先ほどよりも更に強く、メアリのことを抱き締め直した。
「……お前が悪い」
「……っ!」
耳元で囁く声は意地が悪いのに、何処となく不満げでさびしそうにも聞こえる。
「だから、さっさと諦めろ」
鼓膜を直接揺るがすような声に、メアリはぎゅうっと肩を竦めた。
「どんな魔法が使われていようと、傾国の悪女だろうとなんだろうと、手離せないのだからどうしようもないだろう」
「ほ、本当にお可哀想なエドガルドさま……!!」
心の底からそう思う。
なにしろこんな悪女と出会ってしまったばっかりに、うっかり魅了魔法なんかを掛けられて、不本意な溺愛をする羽目になっているのだ。
『雇った悪女』を活用し、彼の目的を果たそうとしているはずなのに、その悪女に籠絡されていてはいけないに決まっている。
不本意な魔法での恋なんか捨てて、さっさと別の悪女を見付けてくればいい。
(なのに、そんな正論を口に出来ないのは――……)
メアリは途方に暮れながらも、目を閉じた。
***