思いがけない訪問者
屋敷に到着するとドアの前にどなたかいらっしゃることに気が付きました。ケビン様です。
馬車に気が付いたのか、こちらに顔を向けたケビン様は先に降りられたジェイダン様を見て目を見張り、ジェイダン様に手を取られて下りて来たわたしに、さらに目を大きくされました。
「ア、アンナ」
「ケビン様……」
なんでここに居るのでしょうか?できれば、今日はお会いしたくありませんでしたわ。
「やぁ、ケビン」
「ジェイダン先輩……」
ケビン様が何故か目を逸らしました。あ、そうでしたわ。先ほどジェイダン様はケビン様とリリアンヌ様にお会いしたのでしたわ。
「さっきも会ったのに、偶然だね」
「は、はい……」
ケビン様は顔を僅かに歪められたような気がします。
「ケビン様、今日は何かお約束がありましたでしょうか?」
「い、いや」
「わたしに御用でも?」
「ああ」
ケビン様はジェイダン様をチラッと見て、わたしを見ました。
「少し話でもしようかと」
「おやおや、君は約束もせず先触れも出さずに勝手に来たのかい?」
「え?いや…」
こんな時間に来て、話をしようと?ケビン様は何を仰っているのでしょうか?
「いくら婚約者だからと言って、こんな遅い時間に勝手にやってくるのはどうなんだい?まぁ、僕は部外者だが、先輩の立場で言わせてもらうなら、マナー違反だよ。ケビン」
ジェイダン様の仰る通りですわ。
「くっ」
ケビン様はキッと鋭くわたしを睨みました。
「え?」
何故、わたしを睨むのですか?
わたしには全く分かりません。それに、先ほどからわたしの内にあるのは、嫌悪感でしょうか?ケビン様を見ると腹が立ってきます。
「ハムちゃん」
「は、はい」
「伯爵に、またチェスで勝負をしましょうと伝えてくれる?」
「チェス、ですか?」
ジェイダン様はいつからお父様とチェスをする仲に?
「うん、お願いね」
「はい」
「それと」
ジェイダン様がチラッとケビン様を見ましたわ。
「まぁ、いいや。さ、もう遅いから邸に入りなさい」
「え?」
「ケビンも、もう帰りたまえ。いくらなんでも、こんな時間にやってくる婚約者を伯爵も歓迎はしないだろう」
「……」
ケビン様は悔しそうなお顔をされています。正論を言われて返す言葉が無さそうです。
「ハムちゃん、早く邸に入りなさい」
ジェイダン様に再び促され、わたしは挨拶をして家に入りました。
「ケビン、君も早く帰りたまえ」
ジェイダン様はそう言って馬車に乗り込み帰っていかれました。
ケビン様も多分、帰られたと思います。
わたしは、ドアの前からしばらく離れることが出来ませんでした。
「お嬢様」
わたしの様子を見ていた執事のネイサンが、声をかけてきました。
「お帰りなさいませ」
「ただいま、ネイサン」
「いかがなさいましたか?」
わたしが動かずにいることに心配したようですわ。
「ケビン様がドアの前にいらしていたんだけど、あなたは知っていたかしら?」
「ケビン様ですか?」
ネイサンは少し驚いています。知らなかったのでしょう。
「申し訳ありません。気が付きませんで」
「ううん、いいのよ。先触れも出さずにいらしたんだから。わたしも居なかったし」
「しかし、なぜいきなりいらしたのでしょう?」
「何故かしらね」
きっと、カフェでジェイダン様に会って、秘密がバレたと思って慌てたのですわ。わたしがジェイダン様の馬車で帰ってきて、益々心配になったのかもしれない。
「お父様はいらっしゃるかしら?」
「はい、執務室にいらっしゃいます」
「そう、お話があるの。時間を作っていただけるかしら?」
「畏まりました。確認してまいります」
「お願いね」
そう言ってわたしは部屋に戻りました。部屋で過ごす柔らかい生地のドレスに着替え、メアリーが淹れた紅茶を飲んでホッと一息つきました。
「可愛らしいリボンですね」
メアリーが鏡台の前に置いたリボンに気が付きましたわ。
「ジェイダン様に頂いたの」
「ま、まぁ。そうでしたか、お嬢様にぴったりの色ですわ」
何故かメアリーは大喜びしていますわ。
「メアリー」
「はい」
「わたしは、悪い女になるのを止めるわ」
「ま。いかがなさいましたか?」
メアリーはそんなに驚いていません。何故かしら?あ、わたしがあまりに悪かったから、止めると聞いてきっとホッとしたのね。
「婚約を解消しようと思うの」
「左様でございますか」
あら?反応が期待と違うわ。
「驚かないの?婚約破棄じゃないのよ?解消よ?」
「ええ、本当は破棄して欲しいですけど、クソ…ケビン様の有責で。でも、それは私が言えることではありません。それに、悪い女になるのを止めると言うことは、クソ…ケビン様の有責で解消なさると言うことですよね?」
「……うん」
「なら、私はそれで満足です」
「そうなの?」
「はっきり言えば、何故お嬢様があんなクソ野郎……、失礼しました。最低野郎を」
言い直しても、言葉の悪さが変わっていないわ、メアリー。
「クソ…ケビン様を庇おうとしているお嬢様の行動が、わたしには理解できませんでしたので」
「え?悪い女になることを応援してくれていたんじゃないの?」
「応援はしていました。お嬢様が可愛らし過ぎて、いつまでも見ていたい思いがありましたので」
「……」
何でしょう。小さい子を見守る母のような目線で、わたしを見守っていたと言うことでしょうか?
「それは、わたしの有責で婚約を破棄することを応援していたわけではないと言うこと?」
「はい、当然でございます。何を間違ってそのような結論に至ったかは存じませんが、クソ野…ケビン様が全て悪いわけであって、お嬢様が気に病むべきはあくまでも、クソ野ろ…ケビン様の浮気に対してです。そしてそれに対して、それ相応の対処をするべきであってお嬢様が、クソ野郎にとって有利に動く必要は一ミリも無いのです」
結局最後はクソ野郎と言い切りましたわね……。
「ふふふ、そうなのね。やはりそうなの」
「いかがなさいましたか」
「ジャネットとジェイダン様もわたしが泣く必要はないと言って下さったの」
「左様でございますか」
メアリーは全てを分かっていたのでしょうか?
「お父様は悲しむかしら?」
「どうでしょうか?私はお嬢様の気持ちを汲んで下さると思っています。旦那様は、お嬢様をとても愛していらっしゃいますから」
そうですわ。お父様を悲しませるのは辛いですが、きっと理解して下さるわ。
「お母様にも手紙を書いた方がいいわよね?」
領地に残っていらっしゃるお母様にもちゃんとお伝えしなくてはなりません。
「そうですね。まずは旦那様としっかりお話をして、それからお手紙を書かれるのが宜しいでしょう」
「そうするわ」
そう言って、少し冷めてしまった紅茶を一口飲みました。実はカフェで食べたパンケーキと紅茶でお腹がいっぱいで、ディナーは食べられそうにありません。
「メアリー、わたし今日はフルーツだけでいいわ」
「畏まりました。それにしても、そのリボンの色はとても綺麗ですね」
ふふふ、と笑うメアリーの目はリボンに向かっています。
「そうよ」
「とても、分かりやすいですね」
「何が?」
「あら、お嬢様はお気づきになりませんか?」
「何かしら?」
「いえ、気が付いていらっしゃらないならいいのです」
「なーに?メアリー」
「いえ、まだまだ彼の方が本気を出していないだけですので、大丈夫ですわ」
「え?」
メアリーの言っていることが全く分かりません。もっとはっきり言ってくれればいいのに。メアリーの意地悪。
メアリーが見つめていたのは、ジェイダン様から頂いた水色に銀糸の美しいリボンです。これに一体どれだけの秘密が隠されているのでしょう?そしてその秘密に気が付くメアリー。よく分からないけどメアリーは凄いですわ。
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