アンナの気持ち
お店に入って来た二人のカップルを見た時、私の心臓がギュッとしました。ケビン様とリリアンヌ様。
わたしは慌てて俯いて顔を隠しましたわ。わたしの様子を見た、ジャネットとジェイダン様も、わたしが見た視線の先にお二人がいることを確認しました。
「あの人たち、こんな所にまで二人で来ているの?」
ジャネットは声には怒りが孕んでいます。
「ジャ、ジャネット」
わたしは慌ててジャネットの手を握りました。もしお二人に気が付かれたら、とても気まずいですし、いろいろと問題が起こりますわ。
でも、人目に付く場所でデートをしていたら、知っている人たちに気が付かれてしまうのに。彼らは付き合っていることを隠しているんだと思っていましたが、そうではなかったんですね。
「本当に、何を考えているんだ彼らは」
ジェイダン様も美しいお顔に怒りを滲ませていらっしゃいます。やはり美しい方は怒りさえも美しいんですわ。わたしは、つい、そんなどうでもいいことを考えてしまいます。
「あれは、完全な不貞行為よ」
「仕方がありませんわ。二人は想い合っているんです」
「そんなの関係ないわ。想い合っていれば、婚約者を裏切ってもいいの?」
「そういうわけでは」
ジェイダン様が大きな溜息を吐かれました。きっとわたしに怒っていらっしゃるのね。わたしが煮え切らないから。
「ハムちゃんは、彼を愛しているのかい?」
「愛?もちろんですわ。わたしたちは幼い頃から一緒に遊んでいましたし、気心も知れていますし」
「今でも、幼い頃と二人の関係は変わらないと思っているの?」
「……それは」
「ハムちゃんのは愛ではないよ」
「そんなことはありませんわ!」
「そうだな、強いて言うなら情かな」
「情?」
「長く一緒に居たせいで、見捨てることが出来ない。それを愛してるって勘違いしているんだ」
「違います!」
わたしは思わず大きな声を出してしまい、慌てて口を手で隠しました。他のお客様がわたしをチラッと見ました。
「ハムちゃん」
「は、はい」
「僕ならね」
「はい」
「好きな人が自分を裏切っていたら、絶対に許さないよ」
「……」
「辛くて苦しくても、自分を犠牲にしてまで二人の幸せを願ったりしない。そんなのは偽善だよ。仮令君たちが政略結婚だとしても、相手を尊重し誠心誠意向き合うのは当たり前のことだ。裏切っているのに、その罪も問わずに、裏切り者の二人は幸せになって、ハムちゃんは苦しむのかい?」
「だって、私と婚約したことでケビン様の夢を台無しにしてしまったんです」
「本当に?彼の夢はハムちゃんと婚約したら絶対に何一つ叶えることはできないの?」
「……いいえ」
「なら、何のために?」
「何のために?……何のために……」
何のために、わたしは二人の幸せを願っているのでしょうか?あれ?なんでなのでしょう?わたしが二人の邪魔をしてしまったから?いいえ、わたしの方が先に婚約をしていますわ?わたしが意地悪でとんでもなく悪い女だから?いいえ、今、そうなろうと努力しているところですわ。ケビン様の夢を邪魔したから?いいえ、努力すれば叶えられる夢もあります。
「分かりませんわ」
「そうか」
「わたしは怒っていいのでしょか?」
「うん、そうだね」
「怒って泣いて、裏切り者って罵っていいのでしょうか?」
「うん、そうしていいんだよ」
「そうですか」
わたしは、涙を止めることができませんでした。わたしはきっと罪悪感があるんだと思います。
ケビン様は、騎士になって自分の力で叙爵したかったのだと知っているからです。わたしと結婚することで手に入れる爵位なんて欲しくなかったんだと思います。
ケビン様は伯爵家の三男です。自分の道は自分で切り開かなくてはならないことを、幼い頃から理解されていました。ですから、ずっと剣の鍛錬を欠かさず、幼い頃から騎士になるとわたしに話して下さっていました。
彼の夢は騎士団に入って自分の力で爵位を手に入れて、いずれは騎士団長まで上り詰めることです。それなのに、両親がわたしとの婚約を決めてしまったため、夢が一つ奪われたのです。
それに、前に言っていました。ご学友から、「お前は努力しなくても爵位を手に入れられていいな」と言われたと。「うまいこと女を誑し込めて良かったな」と。
彼のプライドが傷付いたのは言うまでもありません。彼は自分の力で自分の道を切り開こうとしていたのですから。
卒業すれば、我が家に通って領主としての勉強もしなくてはなりません。そうなると、騎士としてやっていくことは難しくなるでしょう。
成績が落ちていってしまったのも、きっとそういった悩みで色々と上手くいかないことがあったんだと思います。
わたしと婚約しなければケビン様は自分の思い描く道を進むことが出来たのです。
わたしは止まらない涙をそのままに、言いたいことをぽつりぽつりと話しました。
ジェイダン様もジャネットも何も言わずにずっと聞いていて下さいます。
随分と無言の時間が続いた頃ジャネットが漸く口を開きました。
「ケビン様は随分と甘ったれた性格なのね」
「え?」
「全くだ。ジャネットの意見には同意しかない」
お二人にはわたしの言葉は伝わらなかったのでしょうか?ケビン様は、苦しんでおられるのです。
「叙爵?騎士団長?小さい子供が口にするなら可愛い話だけど、夢が叶わないとかなんとか、未だに夢見すぎ」
「ジャネット?」
「全くだよ。大体、彼は学院の騎士科のレベルを知っているのかい?まぁ、それは進級したら分かるだろうが、普通科であっても授業に剣技があるんだ。学年を跨いでの合同練習だってあるし、将来は同じ職場に就く可能性があるわけだから、先輩後輩のつながりもある。お互いにレベルは大体分かっているが、はっきり言って彼は上位に名を連ねたことはないよ」
「そんなことはありません!ケビン様の腕前は学年でも一番だと……」
わたしは、そこまで言ってはっとしました。学年で一番は、わたしと同じクラスのダミアン様です。前に行われた剣技大会でも優勝されていました。
ケビン様はその大会に手を怪我していた為に出られなかったのです。でも、そう言えば、ケビン様はほとんど大会を欠場していらっしゃいます。理由は怪我だったり、体調不良だったり。
「本当に怪我をしていたのかしら?騎士なら、多少の怪我は押してでも出ようとしそうだけど?それに、怪我ばかりしてるって、それ強いの?」
ジャネットの棘だらけの言葉は、わたしのゆらゆらした心を容赦なく揺さぶります。
「僕は、怪我なんてしないからね」
ジェイダン様は学院一の実力をお持ちですから。
「普通科の授業で上位にいない人間が、騎士科に行って上に行けると思うのかい?叙爵なんてそう簡単な事じゃないんだ。本当に彼はその気があったのかい?騎士団長なんて、腕が立って信頼があって責任を負うに相応しい人間がなるんだ。そんな大役が彼に務まると?それとも既に諦めているのか?なら普通科でだって学ぶことは沢山あるんだ。それに、不満があるなら何故それを言わないで、あんな卑怯なことをしているんだ?」
ジェイダン様の頭の後ろには目が付いているのかしら?二人が交互に自分のパンケーキを食べさせ合っているのが見えます。
「申し訳ありません」
「なんで、ハムちゃんが謝るんだ?」
「いえ、こんな気分の悪くなる話を聞かせてしまって。折角楽しく過ごしていたのに」
わたしはまた泣きたくなってしまいましたわ。
「ハムちゃんは悪くない。あんな胸糞悪い奴に、ハムちゃんを取られた不甲斐無い自分が情けないよ」
「え?」
「兄様、ボロッと本音が零れまくってますよ」
「ああ、ごめんね」
わたしは今、とんでもないことを聞いたような気がしたんですが、多分空耳ですね。
「ハムちゃんは、彼と婚約を解消したいのかい?」
「いいえ、わたしの有責で破棄したいんです」
「……意味が分からないよ」
「私のせいですから」
「全く違う」
ジャネットが力強く首を振っていますが、お話したようにわたしと婚約しなければ……。
「婿養子にしてもらえただけでもありがたいのに、何の不満があるんだ。はっきり言って、彼は現実を何も分かっていない。ハムちゃんに有責の余地はない」
有責の余地はない?なんでしょう、その言葉は正しいのか正しくないのか?
「つまり、あなたが泣く必要はないってことよ」
ジャネットが綺麗な笑顔で笑いましたわ。
「さぁ、そろそろ店を出よう」
すっかり長居をしてしまったわたしたちは、カップが空になった頃カフェを出ることにしました。
秘密の恋人たちは、イチャイチャしながらのんびりとパンケーキを楽しんでいます。
「二人は先に行ってて、僕が彼等の気を引いておくから角の雑貨屋で待ち合わせしよう」
「ありがとう、兄様」
「ジェイダン様」
「大丈夫だよ、さ、行って」
ジェイダン様に促されてわたしたちは席を立ちました。先を歩いていたジェイダン様が、ケビン様に声を掛けるのを見てわたしとジャネットは外に出たのです。
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