幸せいっぱいです
メリンダも観客令嬢たちもいなくなった宿舎の隅に、都合よく置かれたベンチ。ジャネットも「ごゆっくり」と言って馬車に乗り込んでしまった。
不味い、これは不味いぞ。
「ア、アンナ。もしかして心配していた?」
僕が恐る恐る聞くとアンナがコクンと頷いた。そうでなかったらここまで来るはずがないか。
「ごめんね」
「何故、会って下さらなかったのです?どうして宿舎に来てはいけないのです?ご実家にもお帰りになっていらっしゃらないし」
「ごめんね」
「会いたいと手紙に書いてくださっても会いに来てはくださらない。こうして会いに来られる距離なのに、どうして?」
またもやアンナがウルウルし始めた。さっきは可愛いだけだったけど、今回は心臓が痛い。
「ごめんね。僕はアンナが大好きなんだ」
「わたしも、大好きですわ」
「ああ、嬉しいよ。でもね、きっと僕の好きとアンナの好きでは重さが違うんだ」
「重さですか」
これを知られるとアンナに嫌われちゃうかな。そうなったら辛いな。
「僕はね、アンナが大好きすぎてね。誰の目にも触れない所に閉じ込めてしまいたいくらいなんだ」
「まぁ」
アンナが大きな目をさらに大きくして驚いている。これ以上は言わない方が良いかな?そう思うのに、アンナのが次の言葉を待つように覗き込むから隠すことが出来ない。
「宿舎に来て欲しくない理由は手紙に書いているよね」
「はい」
そう返事をしたアンナの頬が仄かに赤くなる。可愛いなぁ。
「それは本当のことだよ。こんなに可愛いアンナを見たら、男どもが蜂蜜に集る蟻のように寄って来る。僕はそんなの耐えられないんだ」
「はい」
「それにね。僕は隠しておきたいだけじゃなくて、一緒に居たら触れたくなるんだ。僕の触れたい思いはとても淫猥でね。アンナには知られたくなかったんだ」
「ま、まぁ。そんな……」
引かれたかな?まぁ、それでも逃がすことは無いんだけど。
「でもね、伯爵からも夫人からも結婚前にアンナに触れたら、即婚約解消と言われているんだ。信じられないよ。髪への口付けまでは許してくれたけど、頬にも額にも唇もダメだって言うんだ。勿論それ以上のことは、結婚するまでダメだってわかっているよ。でもね、僕は我慢できる自信が無いんだ。完全に拗らせているからね。今すぐにでもアンナに触れたい。本当はすぐにでもアンナの全部を僕のものにしたいんだ」
僕は一気に喋ってからアンナをチラッと見た。アンナは本当に真っ赤な顔をして俯いている。
「だから、今はアンナに会わないで我慢している」
「……」
アンナはコクンと頷いた。
「ごめんね、こんな僕で」
何も言わずに首をブンブン横に振っているアンナ。
「……嬉しいです」
「アンナ」
「早く、わたしの全部をジェイダン様のものにして欲しいです……」
はー、死ぬ、僕はもう死ぬよ。まだ死ねないけど、死にそうだよ。
「アンナ」
僕はアンナを抱きしめて、匂いを嗅いで頭上に口付けを落として、存分にアンナを堪能して。
「あー、これからしばらく会えないなんて」
「会いに来て下さればいいのに」
アンナは桃色に上気した顔に、ウルウルと瞳を潤ませてそんなことを言う。
「アンナは酷いな。僕に出来そうにない我慢を強いるのか?」
「だって、寂しいですわ」
「僕も寂しいよ。でもね、もし会いに行ったら夫人の思う壺だ」
「お母様の?」
「まだ、僕たちの婚約解消を狙っている」
「ふふふ、お母様ったら」
普通なら笑うところじゃないよね、ここは。
「お母様は、ジェイダン様を気に入っていらっしゃるんです」
「そうとは思えないよ」
「ふふふ、お二人は似ているんですからお分かりになるはずです」
分かっているよ、本当は。
「ちょっと愚痴を言いたくなっただけ」
そう言ってアンナの頬に僕の頬を寄せると、アンナが徐に僕の頭を撫でて来た。
「アンナ?」
僕はちょっと驚いたけど、気持ちがいいから動く気はないよ。
「いっぱいわたしに愚痴を言って下さいませ。わたしだって、ジェイダン様を甘やかしてあげることは出来ますわ」
「うん」
僕の頭を撫でるアンナの手は優しくて、時々髪を梳くとくすぐったくて気持ちがいい。
「アンナ、帰るよ」
折角の至福の時間をヒョコッと顔を覗かせたジャネットの声で台無しにされた。
ワザとか?ワザと僕の至福の時間を壊しに来たのか?
「あまり遅くにアンナが帰ると、兄様が不利になるわよ」
「……」
ジャネットが正しい。
「ジェイダン様」
「アンナ」
「わたしもう、我儘は言いませんわ」
「それは寂しいな。僕には沢山我儘を言って欲しいよ」
「我儘はお好き?」
「アンナ限定で大好きだよ」
僕がそう言うとアンナは顔を赤くした。そしてジャネットに引っ張られるようにして帰っていた。
◇◇◇◇◇
わたしは卒業と同時に社交界デビューしました。令嬢の中ではかなり遅い方ですが、ジェイダン様がどうしてもエスコートをしてファーストダンスを踊りたいと仰ったので、お父様が苦笑いをしながら了承してくださったのです。
お母様は、「そんなのんびりと構えてられませんわ」と言って、わたしをお父様のエスコートでデビューさせようとしていましたが。
あの時の、ジェイダン様の絶望的なお顔は今でも忘れられません。
そんなお母様に向かってお父様が、「わたしが母様をデビュタントでエスコートした時、誰よりも美しくてみんなが母様を見るから、わたしは誇らしかったよ。僕が婚約者だ!って胸なんか張ってしまってね。母様がわたしを見て微笑んだ顔は、それはそれは可愛らしかった」と言われて、お母様は扇で桃色に染まったお顔を隠して、何も言わなくなってしまいましたわ。
お母様もお父様一筋ですし、実はお父様に対してだけとても恥ずかしがり屋さんなんです。こっそりお父様がわたしにウインクなさったのは秘密ですわ。
そして結婚式もすぐに行われました。
領地にある唯一の教会で静かに式を挙げ、屋敷でガーテンパーティをしました。沢山の方々に祝福していただき本当に幸せな時間でした。
ガーネット伯爵夫妻からはお手紙を頂きました。ケビン様について何度も謝られているので、もうそのことで謝るのはお止めくださいとお伝えしていますから、今回のお手紙はお祝いの言葉だけが綴られています。
幸せになって欲しい、出来ることならいつかまた顔を見せて欲しい、と。わたしにとっても大切な方たちですので、いつかは必ずお会いしたいと思いますわ。
ジャネットの結婚式もとても素晴らしかったです。新郎新婦は美男美女ですし、盛大な結婚式は外国からも来賓がいらっしゃるほど。最近大きな結婚式が無かったこともあって、久しぶりの公爵家の結婚式はとても話題になりました。そんな注目の結婚式でもジャネットは堂々としていて本当に綺麗で、わたしはボロボロと泣いてしまいましたわ。
パーティーの席でもボロボロと泣いてるわたしの顔をジェイダン様が覗き込んで、笑っていたのはちょっと解せませんけど。
「なんでアンナがそんなに泣くの?」
「だって、ジャネットが綺麗で素敵で、わたしは幸せなんですわー」
うんうんと頷くジェイダン様はわたしのお腹を撫でています。
「君のお母様はとても泣き虫だね。しかも悲しい時より嬉しい時の方がよく泣くよ」
「そんなこと、この子に教えないでくださいませ」
わたしはちょっとジェイダン様を睨みました。
嬉しいことに結婚して二ヵ月もした頃に、わたしのお腹に新しい命を授かったことを知りました。最初、ジェイダン様はとても複雑なお顔をされていましたけど。
「子供が出来たのは嬉しいけど、もっとアンナと二人きりでイチャイチャしたい」ですって。
それでもやっぱり喜んで下さっていて、毎日お腹を撫でて話しかけています。そして今まで以上にわたしに対して過保護です。心配のあまり、わたしを一切歩かせないようにしようとした時は、流石にちょっと怒ってしまいましたわ。妊婦には適度な運動も必要なんです。最近ちょっと顔の周りがプクッとしている気がしますもの。
「だって、アンナ。転んだらどうするんだ。滑るかもしれないだろ?変なものを触って病気になるかもしれない」なんて真剣に言われた時は、「これ以上変なことを仰るなら、お母様の所にお世話になりに行きますわよ?」って言ってしまいましたわ。
それを聞いたジェイダン様が泣きそうなお顔をして謝っていました。ちょっと可哀そうでしたね。
因みにお父様とお母様は爵位をジェイダン様に譲ると、嬉しそうに領地の端に用意していた屋敷に移り住んでしまわれました。二人でのんびりと楽しむんだそうです。
出産は二日にも渡る難産でした。もう何度「イタイー、無理ー、もう無理ー」と叫んだことか。最後には声は枯れ、叫ぶ気力もなく必死に陣痛に耐え、産まれた時には気を失いそうになりました。
わたしがはっきりと意識を取り戻した時、ジェイダン様は大泣き。わたしがジェイダン様のあんなに泣いた姿を見たのは、後も先にもあの時だけですわ。
わたしが死ぬんじゃないかと狼狽え、可愛い女の子が産まれて喜び、朦朧とするわたしを心配し、わたしが漸くジェイダン様のお顔を見て笑った時、堪えていた涙が出てしまったそうです。何度も「ありがとう」と繰り返すジェイダン様は、暫くして落ち着かれた時に「一年分の体力を使った」と言って恥ずかしそうに笑っていらっしゃいました。本当に使ったのはわたしですけどね。
娘はアンジェニカと名付けました。わたしの名前とジェイダン様の名前が入っていますの。ジェイダン様は大満足されていましたけど、二人目以降の名前には苦労されていましたわ。だって、わたしたち、それから三人の子供に恵まれましたから。
そう言えば次男のジョアン(四歳)の恋人、マライア令嬢(三歳)は悪役令嬢なんだそうです。これからしっかり準備をしてバッドエンドを回避するんですって。三歳のお嬢さんなのに難しい言葉を知っていますのね。ジョアンはマライア嬢を助けるヒーローになるそうです。虫を見て泣いてしまうような子ですけれど、ヒーローになれるのでしょうか?
騎士団の騎士団長になられたジェイダン様は、王都と領地を行ったり来たりと忙しい日々を過ごしています。末の娘が産まれた時、領地から離れたくなくないから騎士団を辞めると大騒ぎしましたが、皆様の説得でどうにか思い止まってくださいました。
「アンナ」
ジェイダン様が帰ってこられました。今日は少し早く帰ると聞いていたので、外で花を見ながら待っていたのですが、ちょうどよかったようです。
「ジェイ、お帰りなさいませ」
いつも愛馬から飛び降りると駆けてきてわたしを抱きしめて下さいます。
「ただいま、アンナ」
そしていつものようにわたしの頭上に口付けをして頬を寄せます。わたしがジェイダン様の頭を撫でて満足すると漸く離れて、それからわたしの顔中に口付けをするのです。
もう、子供たちも使用人も慣れていますから、さっさと屋敷に入って二人きりにしてくれます。わたしも慣れましたけどね。
「あー、アンナ、会いたかったよ」
そう言ってわたしに啄むような口付けをするジェイダン様。
「わたしもですわ」
「愛している」
「わたしも愛していますわ、ジェイ」
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『寝取られアンジェニカと鬼畜伯爵 ~随分と我慢しましたし、これからはやりたいことだけします~』
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