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ジャネットの憤慨

学院の裏庭には、秘密の恋人たちが逢瀬の場所として使う『秘密の四阿』がありますの。とは言っても、誰でも知っているので、本当に秘密の恋人同士なら使うことはありません。だって、誰でも知っている場所ですから、秘密になりませんもの。


ですが、クレマチスの四方に伸びたツルと可憐な白い花が四阿の柱や屋根に絡みついて、二人きりの甘い時間を過ごすにはぴったりのロマンティックな場所なのです。ですから、本当の恋人同士はよく使っていますわ。


でも、その四阿で肩を寄せ合っている秘密の恋人がいたんです。


ケビン様とリリアンヌ様ですわ。


私は運悪くそんなお二人を見てしまい、二人が想い合っていることを知ってしまいましたわ。


リリアンヌ様は私と同じ金髪で、わたしより少し短い真っすぐな髪をしておられます。なので、後ろ姿だけでしたら、あまりご存知無い方でしたら、わたしアンナ・ウェスタンに見間違うかもしれません。


私でさえ、初めて見た時吃驚してしまいましたから。まぁ、わたしは自分を後ろから見たことが無いので、後姿がどうなのかはあまりよく分からないのですが。


お二人は肩を寄せ合って楽しそうにお話をしていらしたわ。それに、口付けも……。「ここは神聖な学院ですわ!」と心では叫びましたが、想い合うお二人にはそんなことは関係ありませんよね。角度を変え、情熱的に唇を重ねる二人は、完全に自分たちの世界に入り込んでいました。仕方がありませんわ。二人が燃え上がるには最高の場所ですもの。秘密の四阿は。


わたしは、見ていることが出来ずにすぐに教室に戻りましたわ。


その後の授業は全く耳に入らず、屋敷に帰ってからも食事が喉を通らず、皆に心配されてしまいました。


婚約者が自分以外の誰かを好きになって、いくつもの壁を乗り越えて結ばれる小説は何度も読んだことがあります。固く結ばれた二人の愛の物語は、実はこんなに残酷な話だったのですね。


自分がその立場になって初めて、奪われた令嬢の気持ちが理解出来ました。


わたしとケビン様は決して不仲というわけではないと思っていました。学院内では挨拶をして、お話をすることもあります。月に二度の二人きりのお茶会にも必ずいらして下さり、手土産に美味しいケーキやお茶を持ってきてくださることもありました。


手を、繋いだことはありますわ。小さい頃ですけど。口付けは、……したことなんてありませんわ。だってわたしたちはまだ結婚もしていないんですもの。


でも、ケビン様はリリアンヌ様と。


ううん、二人は想い合っているんですから、口付けなんてして当たり前ですわよね!そうですわ、わたしったら何を考えているのかしら。わたしはただの婚約者ですわ。


わたしは弱い心を滅却して悪い女になりますのよ。それがケビン様の為になるんですから。






授業が終わり、ランチを食べるために食堂に向かいましたわ。ジャネットは先生の所に寄ってから来るので、わたしが先に行って席を取っておこうと思いますの。


「アンナ」


後ろから声が掛かりましたわ。ケビン様です。


「まぁ、ケビン様、御機嫌よう」


お話をするのは三日ぶりです。同じ普通科でもクラスが違うため教室の階も違うんですわ。わたしはAクラスですので三階、ケビン様はDクラスですので二階。ですから、なかなかお会いすることはかないません。


あら?でもリリアンヌ様はBクラスで三階ですけど、ケビン様と楽しそうにお話をしている姿を何度もお見かけしていますわ。


……野暮ですわね。


「一人かい?よかったらランチを一緒にどう?」


まさかのケビン様からランチのお誘い!う、嬉しいですわ、でも……。


「申し訳ございません。ジャネット様と約束をしていまして」

「……そうか、残念だ。折角誘ったのに」

「あ、でも、宜しかったらご一緒しませんか?」

「は?俺に、女性二人の席に混ざれと言っているか?ふざけているのか?」

「いえ、ふざけてなど!」

「不愉快だよ。ついでみたいな扱いも、友達と同等の扱いも」

「す、すみません。無神経なことを言いました」


まさかケビン様が、これほどご立腹されるとは思いもよりませんでした。わたしはなんて浅はかなんでしょう。


「本当にすまないと思っているの?」

「は、はい……」

「どうせ俺が婿入りするからってバカにしているんだろ?」

「え?」

「アンナが俺のことを蔑ろにしていることがよく分かったよ」

「そ、そんなことは……!」


わたしはケビン様の冷たい瞳を前にして、次に続く言葉が出てきません。ケビン様は大きな溜息。


「……申し訳ございません」


わたしは頭を下げることしか出来ません。


「ま、いいよ。また、今度」



そう言って、ケビン様は行ってしまわれましたわ。


「……ケビン様」


いつからわたしとケビン様はこんな風になったのでしょうか。昔は、一緒に走り回ったり、本を読んだりしたのに。ああ、そうだわ、婚約してからね。婚約者になったと聞いた時。二人きりの時。


嬉しくて笑っていた私に「俺は騎士になりたいんだ」と冷たく言われましたわ。「騎士になって自分の力で偉くなりたかったのに、この婚約のせいでそのチャンスを失ってしまったよ」と。それから、二人の関係が少しずつギクシャクしてきたような気がします。


それでも学院に入学した頃は、今よりまだいい関係だったと思います。


わたしは幸せが逃げる大きな溜息を吐いてしまいましたわ。


「今日はリリアンヌ様とご一緒じゃないのかしら?」


この疑問はすぐに解消しました。本日はリリアンヌ様はお休みだそうです。


リリアンヌ様が居なければわたしに声を掛けて下さるんですね。わたしはまだ忘れられてはいないみたいです。



◇◇◇◇◇




「何よ、それ!」


わたしが先ほどケビン様にお会いをしてランチのお誘いを受けたことを話したら、ジャネットが怒ってしまいましたわ。やっぱり、もっとツンケンして言った方が良かったんですわね。わたしったら突然のことに吃驚して、悪い女になり切れませんでしたもの。


「リリアンヌ令嬢が休みだから、アンナをランチに誘ったってことでしょ?」

「え?ええ」

「バカにして!」


困りましたわ、ジャネットの声が大きいですわ。


「でも、お断りしたのよ。男性のお誘いを断るなんて、相手の面目を潰すも同然。しかも婚約者よ。かなり印象が悪いんじゃなくて?」


実際に、ケビン様はかなりお怒りになっていたし。わたしは先ほどのことを思い出して、心臓がギュッと痛くなりましたけど、よく考えてみればそれこそ婚約破棄の第一歩となるのだと気が付きましたわ。


「アンナ、女性でも断る時は断るのよ。別に悪いことじゃないわ。しかも婚約者。寧ろ相手が気を遣うべきよ。大体ね、私が居ない時に誘うなんて、気持ち悪いわ」


やだ、ジャネット。わたしの婚約者を気持ち悪いだなんて。


「わたしが一人だから気を遣って下さったのよ」

「あなたが一人の時なら声を掛けられる小心者なのよ」


しょ、小心者?確かに、ジャネットと一緒に居る時に声を掛けられたことはありませんけど、きっとわたしの邪魔をしないように気を遣って下さっているのよ。ケビン様はとてもお優しい方だから。


「アンナ、ダメよ。あなたは悪い女になるんだから、ケビン様をお優しいとか思っては」

「な?なんで?わたしの心が読めるんですの?」

「読めないわ、でも全部顔に書いてあるのよ」

「まぁぁぁ」


わたしは恥ずかしくて顔を両手で隠しましたわ。思っていることが全部顔に出ているって言われたんですのよ。淑女たるもの!淑女たるもの!!……失格ですわぁ。


「あなたって子は本当に、……可愛い子だわ」


ジャネットがお行儀悪くテーブルに突っ伏している私の頭を撫でて下さいました。


「わたしは可愛くありません」

「可愛いわよ」

「可愛くないから、ケビン様が浮気をしたんですわ」

「ふふふ、バカな子ね。ケビン様は、可愛くて優秀で誰からも愛されるあなたに気後れしているのよ」

「……そんなの信じられませんわ」

「はいはい」


ジャネットは暫く落ち込んだ私に付き合ってくれました。本当にありがたいことです。


「おや、どうしたんだい。ハムちゃんは」


わたしの頭の上から男の人の声が聞こえました。


「兄様」


ジャネットの二番目のお兄様で、ジェイダン様です。現在、騎士科に通う六回生で十七歳。いずれは騎士団に入団される美しい銀髪に藍色の瞳をした長身の美丈夫です。


未だに婚約者が決まっていらっしゃらないのですが、なんでこんな素敵な方に婚約者が決まらないのか不思議です。だって見て下さい。周りの女生徒たちの、わたしに向けられた恐ろしく突き刺すような視線。いつか、あの視線に刺されますわ。


「ジェ、ジェイダン様、御機嫌よう」


わたしは慌てて立ち上がり挨拶をしました。


「うん、こんにちは。ところで、僕のハムちゃんは元気が無いようだね」

「ハムちゃんではありませんわ、ジェイダン様のものでもありません」


ジェイダン様は何故かわたしのことを、ハムスターに似ていると言ってハムちゃんとお呼びになります。わちゃわちゃと忙しない感じがそっくりだって笑っていらっしゃいます。


「うんうん、ハムちゃんは可愛い妹の友達で、僕の可愛いペットだよ」

「ペットじゃありませんわ」

「兄様、アンナを揶揄うのはお止めください」


ジャネットも援護をしてくれましたわ。


「ごめん、ごめん。それで」


ジェイダン様がわたしの横にお座りになりましたわ。お食事は終わったのでしょか?


「どうしたんだい」

「い、いえ。特に何もありませんの。ちょっと眠たくて」


きっとお行儀悪くテーブルに突っ伏していたことを仰っているんだと思います。わたしはジェイダン様をチラッと見ましたが、ニコニコされています。


「そうか、僕はてっきり、淑女たるもの顔に心の内が出てしまってはダメよーって落ち込んでいるのかと思ったよ」

「な!」


わたしは勢いよくジェイダン様の方に向き直ってしまいましたわ。だって…。


「聞いていらしたの?」

「聞こえちゃったんだよ」

「酷いですわ」

「ごめんね、後ろの席に座っていたからね」


ジェイダン様が二ッと笑っていらっしゃいます。ジャネットを見れば、全て知っていたかのようにジェイダン様と同じ顔で笑っていますわ。この兄妹は……もう!


「さて、もうすぐランチの時間が終わるよ」

「あら、急いで戻らないと」


ジェイダン様の言葉に時計を確認するとあと十分ほどで予鈴が鳴りそうです。


「ジェイダン様、失礼いたします」


わたしが挨拶をすると、ジェイダン様がわたしの頭をポンポンと優しく叩きました。


「今度、学院の帰りにカフェに行かないかい?」


わたしは吃驚してジェイダン様を見上げました。


「カフェですか?」

「そう、ジャネットに連れて行けってずっと言われてたんだけど、ハムちゃんが良ければ一緒にどうだい?」

「それは良いアイディアよ!アンナ、そうしましょ!」

「ご一緒してよろしいんですの?」

「勿論よ」

「それでしたら、是非」

「よし、じゃ日にちが決まったら連絡するよ」

「はい」


わたしたちはジェイダン様と別れて教室に向かいました。


「わたし、帰りにカフェに行くなんて久しぶりですわ。しかも、ジェイダン様と一緒だなんて」

「あら。わたしはお邪魔かしら?」


わたしはジャネットの言葉に顔を真っ赤にしてしまいましたわ。そういうつもりで言ったわけでは。


「ふふふ、冗談よ。アンナはケビン様とも寄り道をしたことが無いしね」

「はい」


ケビン様とは幼少時代からお友達としてお付き合いがあり、十歳の時に私たちは婚約しました。勿論、恋愛とかそういう感情はありませんが、仲の良い友達でしたから婚約者という立場に変わっても、私たちは変わらないと思っていたんです。


ケビン様からはわたしとの婚約のせいで、夢を奪われたとは言われましたが。


学院に入ってからも、ケビン様とはそれなりに良好な関係を築いていたのですが、当時はまだ十二歳。寄り道なんてとても許されることではありません。


十三歳になると学院生活にも余裕が出てきましたが、気が緩んだのでしょうか。最初Bクラスだったケビン様が徐々に成績を落としていきました。その頃からでしょうか、帰りの時間が合わなくなり一緒に帰る回数が減って行きました。


十四歳の頃にはDクラスまで落ちてしまったケビン様と、なかなか顔を合わせることも出来なくなり、偶然お会いしても眉根を寄せて、お顔を逸らすようになられました。


十五歳になった今は、ジェネットやお友達と寄り道をしてカフェに行くこともあります。そんな時は、ちょっと大人になった気分だし、お友達との会話は楽しくて。でも、そんな素敵なカフェで幸せそうなカップルがデートをしている姿を見てしまうと、ちょっと寂しくなってしまうんですわ。


それでも、月に二回のお茶会もお誕生日のプレゼントも、ケビン様は欠かしたことがありません。


ケビン様の夢が騎士になることだと言うのは小さい頃から聞いていましたが、その志は変わることなく鍛錬に邁進している。そんな話を楽しそうに聞かせて下さったのは何年か前のお茶会ですが、昨日のことのようにその笑顔を思い出せます。


ここ一年、お茶会は一時間きっちりでお帰りになるし、大きな溜息を吐いて退屈そうですが、機嫌のいい時はご自分がどれだけ将来騎士として有望視されているかを話して下さいます。そんな時は、わたしは嬉しくてずっと聞いているんです。やはり、ケビン様は素晴らしい才能をお持ちなんだと思います。


わたしにケビン様の夢のお手伝いが出来たらよかったのですが。騎士になることをお手伝いすることは出来ず残念です。でも、ケビン様と結婚をしてウェスタン伯爵家を継いで下さった時には、わたしが全力でお支えしようと思っていました。



「アンナ」

「へ?」


ジャネットに急に声を掛けられて私としたことが、間抜けな声を出してしまいました。


「先生がいらっしゃるわよ。せめてテキストとノートを出さないと」

「あ」


わたしは慌てて授業の準備を始めました。


読んで下さりありがとうございます

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