ハムスターなのでございましょ?
ジェイダン様と過ごせる時間はたった一泊ととても短いので、さっそくお出掛けをすることにしましたわ。
まずは遠乗りです。遠乗りと言ってもゆっくり走って一時間ほどの草原です。花が咲いていてとても綺麗ですが、何もないので殆ど人が来ない場所です。わたしのお気に入りで、お二人が来たら是非案内したいと思っていたのです。
「本当に綺麗な所だね」
「気に入っていただけましたか?」
「うん、とても気持ちいいし気に入ったよ」
「嬉しいですわ」
アーケーディア領は雨季が長く湿度も高めです。気温が上がってくるじっとりと汗ばみますが、大きな樹の陰に入れば風が気持ちよく、目の前に広がった草原を眺めながら食べるサンドウィッチはまた格別です。
「うん、美味しい」
「ふふふ、実は自信作なんです」
なんて言ってしまいましたが、朝早く起きてシェフと一緒に作ったサンドウィッチは、今日のために毎日練習してきた努力の結晶です。頑張ったかいがありました。
「え?ハムちゃんが作ったの?」
「はい、シェフにも手伝ってもらいましたが」
「それじゃ、大切に食べないとね」
ああ、その笑顔。本当に素敵です。
「まぁ、そんなことを言わずにどんどん食べて下さいませ。特にトーストしたパンに玉子とハムとチーズと野菜を挟んだサンドウィッチはわたしの大好きな贅沢サンドなんですわ」
「ああ、この飛切り厚めのサンドウィッチだね」
ジェイダン様はニコニコしながら大きな口を開けて食べて下さいます。
「ふふふ、ジェイダン様がそんな大きな口を開けるなんて」
「ああ、可笑しかったかい?」
「いいえ、嬉しくて」
実は、ケビン様にも一度だけ作ったことがありましたが、いっさい手を付けて頂けませんでした。だから嬉しいんです。大きな口を開けて美味しいと言って食べて下さることが。
わたしも贅沢サンドを手にして大きな口を開けて食べましたわ。こういうところでは、お行儀は二の次三の次。美味しく頂くことが大切ですわ。
「領での生活はどうだい?」
「のんびりと楽しく過ごしていますわ」
「そうか、よかった」
「ジェイダン様はお忙しいですよね?」
「僕かい?うーん、そうでもないよ。騎士団への入団も決まっているからね」
ジェイダン様は今年度で学院を卒業し騎士団に入団されるのです。優秀なジェイダン様は、早期に騎士団への入団が決まり、エリート街道をまっしぐらだとお友達から聞いたことがあります。
ただでさえ、学年が違うためなかなかお会いする機会がなかったのに、新人騎士たちは騎士団の宿舎に入り、丸々一年は外泊禁止だとか。そうなれば、益々お会いする機会など無くなってしまいます。
それにわたしはジェイダン様の妹の友達。普通なら、こうして二人で過ごすことなんてあるはずが無いのです。そんなことを考えてしまうと、急に寂しい気持ちになります。
「ジャネットは元気ですか?」
「ああ、元気だよ。でもやっぱり寂しそうだよ。ハムちゃんがいないと」
「そうですか、ジャネットに会いたいですわ」
ケビン様との婚約破棄が成されたことで、現在お父様の元にはわたしとの婚約の申し込みが殺到しているそうです。爵位を継ぐ予定の方は沢山いらっしゃいます。わたしと結婚すれば伯爵位持ちとなるのですから、婚約者に浮気をされた醜聞令嬢ではありますが、それを気にしない方には優良物件となるのでしょうか。
爵位を継げない方々は多かれ少なかれ将来に不安を抱えていらっしゃいます。そんな子息の中には、どうしてもわたしと縁付きたいと焦り、直接わたしに求婚してくる方もいらっしゃるだろうとお父様が危惧されていました。その為、領地に帰って来たのです。勿論わたしが領地に居ることは一部の方のみが知ること。公には王都の屋敷で療養中となっています。
「婚約者が決まるまで戻れないそうです」
「そうだったね」
「わたしは早く戻りたいです」
「大丈夫だよ。もう少ししたら王都に戻れるから」
「え?」
ジェイダン様はその顔を私に向けたかと思うと、わたしの髪を掬い口付けをなさいました!
「え?……え?えー!」
そしてニコッとされています。
なんですのー!!
「じぇ、じぇいだんさま……?」
キャパオーバーですわ。何事ですの?顔から火が出ていますわ。間違いなく。
「ふふふ。ハムちゃんは可愛いね」
「な、な、にを、されましたかしらですわ?」
もう、何を言っているんでしょうかね、わたしは。
「ハムちゃんの髪に口付けを」
「い、いけませんわ、そんなこと」
わたしの頭が混乱して真っ白なのに、ジェイダン様は笑ってばかり。
「ごめん、ごめん。つい、欲が出たよ」
「は、はいぃ?」
もう、分かりません。何が何だか。
「今日はね、僕がここに来たことをしっかり考えて欲しくてね」
「ここにいらしたことをですか?」
「そうだよ。ハムちゃんにそろそろ僕を意識してもらいたいんだ」
意識ならしていますわ!メチャクチャ意識しまくってます!
わたしは身体中が熱くて、口はパクパクと声にならず。
一体ジェイダン様が何を仰りたいのかは分かりませんが、髪に、髪に、口付け……!もう、その笑顔、心臓に悪いですわ。
それからは始終ジェイダン様のペースでしたわ。「心臓が止まりそうです」なんて呟いてしまったら「それはいけない」と言って、何故かわたしの頭をジェイダン様の太ももに!
「はい?」
「心臓が止まる前に休んだ方が良いよ」
と、微笑まれて私はジェイダン様の太ももを枕にコロンとしました。ジェイダン様の太もも……。
「そ、そんな、いえ、わたしは」
「ハムちゃん、君の心臓が止まったら私は、伯爵と夫人とジャネットに殺されてしまうよ」
「そんな、止まりません!心臓!」
もう、わたしの言葉はおかしい。
「大丈夫?やっぱり少し体調が悪そうだ。ゆっくり休んで」
そう言って何故か太ももを枕にしたわたしの頭を撫でています。
「はー、もう……」
真っ赤になった顔の熱がどんどん上がってくるのが分かります。わたしは恥ずかしくて両手で隠して固まっていました。
「はぁぁぁ……」
「ふふふ、長い溜息だね」
「だって」
夢のようで信じられませんわ。ジェイダン様の太ももを枕にして頭を撫でられているわたし。まるで猫にでもなった気分です……、猫?あ、違います!私は、ハムちゃん。つまり今のわたしはジェイダン様のハムスターと言うことですわ。
盲点!ジェイダン様の『ハムちゃんは僕のペット』願望を、今果たされているのですね。なら納得ですわ。わたしをハムスターとしてナデナデしたかったと、そう言うことです。ふふふふ、ジェイダン様って案外可愛らしいですわ。
「おや、ハムちゃんは何か楽しいことがあったのかな?」
わたしが笑っていることに気が付いたジェイダン様が、わたしの顔を覗き込んできました。いくらペットでもジェイダン様の輝きにはまだ耐性がありませんわ。
「近いです、ジェイダン様!」
わたしはプイッと横を向きました。心臓はドキドキマックスですし。
「ジェイダン様がわたしをペットとして甘やかして下さっていることが、ちょっと可愛らしいと思っただけですわ」
「は?ペット?」
「わたしは今、ジェイダン様のハムスターなのでございましょう?」
「……、はぁ、そう来たか」
やれやれと首を振る。
「なかなか手強いな」
「どうされましたか?」
「いや、僕のハムちゃんは本当にハムスターになりたいらしいからさ」
「まぁ!」
わたしは吃驚して起き上がりました。
「わたし、ハムスターになんてなりたくありませんわ!」
「だって、君は今ハムスターなんだろう?」
「それはジェイダン様がわたしを、ハムちゃんとかペットとか言うからですわ。わたしはハムスターじゃありませんのに」
「ハムちゃんは嫌かい?」
「嫌じゃありませんけど、名前を呼んで欲しいですわ」
「名前、呼んでもいいの?」
「……あ」
思わず言ってしまってから、とんでもない言葉を口にしたことに気がつきました。名前を呼ぶことは特別ですわ、特に異性に対しては。でも、ジェイダン様になら。
「……呼んで欲しいです、わ」
わたしがそう言うと、ジェイダン様がぱぁっと笑顔になられました。もう、すごい眩しすぎます。そして。
「アンナ」
「……」
はぁぁぁ、鼻血出ます、天に召されます。
「アンナ」
二度目!なに?この破壊力!
「アンナ、返事は」
「……は、い」
わたしが返事をするとジェイダン様がクスクスと笑い出しました。
「アンナの顔が真っ赤だ」
そう言って伸びてきたジェイダン様の手がわたしの頬に。
「ヒャい」
わたしが吃驚して変な声を出すと、「ブッ」と吹き出したジェイダン様。
「何、それ?」
「だって、いきなりジェイダン様が触るからぁ」
「ふふふ、アンナは可愛いね」
揶揄われていますわ、わたし。
「でもジェイダン様は、前は名前を呼んでくださいませんでしたわ」
実は幼い頃に「アンナと呼んでください」とお願いしましたが、呼んでもらえず「ハムちゃん」と呼ばれてしまいました。それからずっと「ハムちゃん」だった、わたし。どうして今になって名前を呼んでくださるのでしょう?
するとジェイダン様がまたわたしの頬に触れて。
「だって、名前を呼んだら我慢できないでしょ?」
と、微笑まれました。
何を我慢するのでしょうか?わたしにはわかりませんが、目の前のジェイダン様の熱っぽい瞳から、色気がダダ漏れしていることだけは分かります……!眼福!
読んで下さりありがとうございます