スリリングな恋の代償 ケビン
ケビン様とのお茶会の日。
ケビン様のお父様、ガーネット伯爵の大きな声が屋敷に響きました。
「何を言っているんだ!婚約破棄だと!!」
「そうだ」
ガーネット伯爵とは反対にお父様はとても冷静に答えていらっしゃいます。
「しかもケビンの有責だと?一体どういうことだ?ケビン!!」
ガーネット伯爵がケビン様を睨み付けていらっしゃいます。ケビン様はガーネット伯爵の剣幕に蒼い顔をされています。
「父さん、これは、何かの間違いで」
ケビン様がそう言うと、わたしを睨み付けました。
「アンナ、一体何を言っているんだ。俺の有責なんて随分な言い掛かりだな」
ケビン様は動揺なさっているのか、わたしの両親が目の前にいるのに、普段の物言いでわたしに文句を言っています。
「なんですって?」
お母様の恐ろしく冷たい声が響きました。全然張り上げていないのに、みんなの意識を集中させてしまう、そんな声です。ケビン様もその声に我に返ったようです。
「宜しいでしょうか?」
わたしは口を開きました。
「わたしはケビン様とリリアンヌ様が愛し合っていることを存じております」
「何?リリアンヌ?」
ガーネット伯爵が初めてそのお名前を耳にしたのか、驚いていらっしゃいます。
「何を言っているんだ。そんなこと……」
「ケビン様、もう、大丈夫ですのよ」
わたしのことは気にせず、二人の愛を貫いてくださいませ。わたしは、言葉にはしませんでしたが、この目に全てを詰め込んで伝えました。ですが残念ながら、ケビン様には私の心の声は届かなかったようですわ。
「アンナ少し二人で話さないか。君は随分と勘違いをしている。リリアンヌ嬢とは、ただの友達なんだ。このまま誤解されては俺も悲しいよ」
「大丈夫です、ケビン様。わたしは勘違いも誤解もしていません」
「いや、しかし」
「ちゃんとわたしはこの目で見て、この耳で聞いています」
「は?」
ケビン様、ちょっと今まで拝見したことのないおまぬけな顔をされていますわ。
「四阿で二人きりで口付けされているところも見ましたし、図書館で二人きりでリリアンヌ様に慰めて欲しいって言って甘えているのも、見ていましたし聞いていました。勿論、口付けされているのも。カフェで二人でパンケーキを食べさせ合っているのも、しっかり見させていただきましたわ。その時はジャネットもジェイダン様もいらっしゃいました」
ケビン様は蒼い顔が白くなってきましたわ。大丈夫でしょうか?
「わたしは、ケビン様の気持ちに寄り添うことが出来ず、それどころか嫌われていることさえ気が付かない無神経な女でした。申し訳ございません」
「ち、違う!違うんだ!!」
「大丈夫です、ケビン様。もう、無理はなさらないで。ケビン様のお気持ちを分かって下さるのは、リリアンヌ様だけだとケビン様が仰っているのを聞いて、心臓が締め付けられる思いでしたわ。わたしは一体ケビン様の婚約者として何をしてきていたのかと!ですので、わたしはケビン様に幸せになってもらうためにも、この婚約は破棄しなくてはならないと思っているのです。わたしが縛り付けるわけにはいきませんもの」
「ま、待ってくれ」
「ですが申し訳ございません。お二人の幸せは願っておりますが、浮気は浮気。これに関してはケビン様の有責で破棄と言うことにさせて頂きますわ。仮令、お父様とおじ様がお友達でも、ここはしっかり線を引いて、ケビン様も新たなスタートを切って下さいませ」
「……違うんだ、聞いてくれ」
「問題ありませんわ。リリアンヌ様も婚約を破棄されたそうです。これで、お二人は晴れて一緒になることが出来ます。そして、ケビン様はご自分の夢をしっかり追いかけて下さいませ。騎士になって自らのお力で叙爵して騎士団長!わたし、ずっと応援していますわ。あ、リリアンヌ様の元婚約者様には新しい婚約者をご紹介させて頂いたので、ケビン様は心配なさらないでください。全て、問題なく解決していますので」
「……」
わたしがすっかり言いたいことを言い終えた時、ガーネット伯爵は真っ赤な顔をして身体を震わせ、ケビン様は真っ白な顔をして小さく背中を丸めていらっしゃいました。
「あぁ、申し訳ございません。口付けをしていたことは言わなくてもよかったですわね。あまりに衝撃的でついつい。だってわたしたちは小さい頃に手を繋いだことしかありませんでしたから。わたしったら、はしたないことを。本当に申し訳ございません」
「本当に、ケビンがそんなことを……?」
ガーネット伯爵は真っ蒼な顔をされて、ケビン様を見ています。
「信じられませんか?」
お母様はそう言うと、テーブルの上に沢山の手紙を置きました。
「これは?」
「わたくしの親切な友人たちが教えてくれた、ご子息の不実な行いですわ。ご子息はちょっと羽目を外し過ぎましたわね」
お母様の冷たく通る声に、ケビン様はビクンと肩を震わせました。
「一枚一枚読み上げてもいいけど、ガーネット卿を追い詰める気はありません。なので、皆様からの手紙をあなたにお渡しします。勿論全ての手紙にはそれぞれどなたからの親切か、分かるように名前も入っています。それは嘘偽りを言っていないことを表し、納得が出来なかったら直接話をしてもいいということを了承されているからです。それから、手紙は燃やしてもいいけど、渡すのは写しですから、なかったことには出来ませんわよ」
「……勿論です」
ガーネット伯爵はグッと歯を噛んで耐えていらっしゃいます。
「申し訳ない。私がしっかり管理をしていなかったばかりに」
そう言って深々と頭を下げられました。
「ケビンから話を聞かなくていいのか?」
お父様がガーネット伯爵にお訊ねになりました。
「こいつが今やるべきことは、頭を下げて謝ることだ」
そう言ってケビン様の襟首を掴んでソファから床に放りました。
「グッ」
テーブルに鼻をぶつけてしまったようで、鼻血を出しています。
「ケ、ケビン様」
わたしは慌ててハンカチを差し出しました。ケビン様はそれを受け取るとそのままわたしを見つめ、目で訴えてきます。
「?」
何でしょう?全然何が言いたいのか分かりませんわ。
「早く鼻血を拭いてくださいませ」
絨毯に鼻血がついてしまいますわ。
「情けない奴だ。この程度のことも躱せず鼻血を出すなんてみっともない」
ガーネット伯爵が吐き捨てるように仰いました。相当お怒りのようです。ガーネット伯爵はわたしたちの婚約を喜んでくださっていましたから、こんなことになって本当に心苦しいですわ。仕方がありませんけど。
「ア、アンナ」
ケビン様は目に涙を浮かべていらっしゃいます。鼻が痛かったんですのね。いえ、違うわ!婚約破棄が出来て喜んでいらっしゃるのですね。良かったですわ。でも、申し訳ないとか思わないで欲しいです。わたし、お二人に負い目を感じて欲しいわけではありませんの。形は婚約破棄ですけど、もう一度ゼロから頑張るお二人のことを心から応援しているのは本当なんですから。
「か、考え直してくれないか?」
「?」
「俺が悪かった。反省して心を入れ替える。だから、リリアンヌとのことを水に流して、やり直してくれ」
「……?」
まだ、わたしが傷ついていると心配して下さっているんですね。
「ケビン様」
「アンナ」
わたしはケビン様を安心させるために飛切りの笑顔で言いましたわ。
「大丈夫です。ケビン様。わたし、全然未練なんてありませんのよ。ですから、わたしのことはお気になさらず、リリアンヌ様と幸せになって下さいませ」
「……違うんだ。アレは」
ケビン様がそこまで言いかけた時、ガーネット伯爵がケビン様を思い切り蹴りつけました。
「キャ!」
「なんて往生際の悪い奴だ。謝ることもせずに、やり直して欲しいだと?お前はどこまで俺に恥を掻かせれば気が済むんだ」
ガーネット伯爵は鬼の形相です。あれは、ええ、鬼という言葉がぴったりですわ。
ケビン様は、声も出ずに苦しんでいらっしゃいます。なんで、こんなことになっているんでしょうか?
「すまんが今日はこれで失礼させていただく。後日、改める」
「分かった」
「……本当に、すまない。アンナにも嫌な思いをさせて申し訳ないな」
「……おじ様。わたしは大丈夫です」
「……アンナが娘になるのが楽しみだったんだが」
「おじ様」
「今更だな」
そう言って、ガーネット伯爵はケビン様を引き摺るようにして馬車に乗り込んでいかれました。
「ケビン様は大丈夫でしょうか?」
「気にする必要はないわ。自業自得よ」
「そうだぞ、アンナ。私も、あいつがあれ程に情けない奴だと思わなかったから驚いているよ」
「ケビン様はどうなるのでしょうか」
「さぁな。お前が気にするようなことじゃない」
まさかあんなにガーネット伯爵がお怒りになるとは思いませんでしたわ。わたしのことは、気にしないで欲しかったのですが、失敗してしまったんですわ。もっと、上手に言えばよかったと反省してしまいます。
「まぁ、正直に言えば、アンナが可愛い顔をしながら、アイツを奈落に叩き落として、さらに傷に塩をかけながら抉ることができるとは思わなかったぞ。さすがは母様の娘だ、ははは」
と、ブルッと震えながらお父様が呟いていたとかいないとか。
それにしても、沢山の方たちがお二人の逢瀬を目撃しているなんて。恋をすると周りが見えなくなると言うか、脇が甘くなると言うか、勉強になりますわ。
読んで下さりありがとうございます