魔法使いスランプ
そこはかとなくファンタジーの血が流れるか、あるいは流血する世界。
魔法使いのルーフは、妹のメイと一緒に休日のショッピングを楽しんでいた。
「なんか落ち込むなあ」
ルーフは妹のメイに愚痴をこぼしていた。
「どうしたの?」
メイはルーフに問いかけてみる。
「悩む何てらしくない、……って言えるほどポジティブでもなかったわね。どっちかって言うと、常に階段の下の物置に発生した黒カビみたいにじめじめしているわね」
「ずいぶんとあんまりな評価だけど」
しかしルーフは妹が素直に悩みごとを聞き入れてくれている。その体制を整えてくれていることを、純粋に喜んでいた。
「魔力が凝る感じがする…………」
「もっと分かりやすく言って」
ルーフは妹の要求にすぐに答える。
「五連勤で散々デスクワークをしまくった後の肩の肉みたいな感じ」
「それは大変ね!」
メイはルーフのことを心配する。
「そんなに体調が悪いのに、なんだか悪いわ」
メイはルーフにチラリと視線を向ける。
「それとも、なにかやましい気持ちがあって、わざわざ苦行に身を投じたのかしら?」
「そうでなかったら、わざわざ妹のブラジャー選びに付き合ったりしないよ」
「ブラジャーじゃなくて、キャミソールといって欲しいわね」
「どっちでも良いよ」
「良くないわ、魔法陣をデザインするお仕事をしているなら、すべてのデザインに籠められた名前、意味を理解できるようにならなくちゃ」
「ンなこと……」
どうでもいい。
そう言おうとして、ルーフは自分が現実から逃げようとしている事に気付かされる。
辛いこと、嫌なことから逃げようとする。
普段の生活。
例えば、自室でスマートフォン片手にユーチューバーが高級な牛肉を良く分からない謎の料理にする動画を眺めたりする時。
あるいは、流行りのネットミームに身を委ねてソーシャルネットワーキングサービスに呟く時。
何とはなしに、安心感を覚える。
のは、恐らくだが他人の創作物に身を委ねて、好き勝手に文句を垂れる立場に包まっているからにすぎない。
だがルーフは、あたたかい海の水よりもう少し奥深く、冷たい場所に挑もうとしている。
「ねえねえ、これとかどうかしら?」
メイがブラ、もといキャミソールを胸元に合わせている。
肉の少ない未発達な胸元で、黒色にレースがあしらわれた下着がゆらゆらと揺れている。
「あなたにも似合うんじゃないかしら?」
メイはルーフに下着を押し付けてくる。
メイのそれと同じくらい薄い胸の上、ルーフは居心地が悪そうに視線をそらしている。
目蓋の裏に下着のレースが思い浮かぶ。
その繊細なつくりを思うと、ルーフは自らの内に潜む醜い感情と対面させられるようなこころもちになってきていた。
「あら」
メイは身内の違和感に気付く。
「いつもだったら、まるで自分の服を選ぶようにランジェリーを観察するのに」
メイは、事の深刻さを形の良いまゆに自覚する。
「悩みがあるなら、早めにお話しした方がいいと思うわ」
アドバイスはつまり話を聞いてくれる、という意思表示であった。
厚意に感謝をする意味も籠めて、ルーフはメイに話してみる。
「絵を描いていて、いつも嫉妬ばかりするんだ。
最近じゃみんなSNSをバンバンに使いこなして、みんなで仲良くしながら、やれ賞を獲っただの、やれ商業デビューだの、すごい話ばっかりで、そう言うのを見るたびにこころのなかで悔しいと思ったり、時には成功を憎らしく思ったりする」
言葉にしてみると、なんともちんけな悩みごとであると、そう思いそうになる。
ルーフは自己嫌悪に陥る。
…………いや、あるいはそう思いたがっているだけなのかもしれない。
言葉を発する行為が、肉体を実際に使う肯定が、あるいはルーフに別の視点をもたらしているようだった。
「分かってるよ」
ルーフは独白する。
「ええ、分かっているのね」
メイは、ただルーフの言葉に耳をかたむける。
聞いてくれている状況に安心感を覚えているのか。
あるいは彼女の無関心さに自由を錯覚しているのか。
どちらとも言えないし、ルーフにとってはどちらでも構わない事柄のようだった。
「彼らだって、最初から最後までずっとすごい訳じゃない。
苦しみだって、あったはずだ。納得がいかない作品を作って、悩んで、後悔した筆の先にようやく花のような完成品を作り上げているんだって。
悲しみだって、たくさんあるはずで、血を流すよりも辛いことだってあるかもしれない」
幸せは辛いという字に似ている、などという使われ過ぎて擦りきれた、王道の価値観を使うつもりはなかった。
いや、使わないというわけではなく、もっと受動的な話、使えないだけだった。
使いこなせない方法が、ルーフにはまだまだたくさんありすぎていた。
「もっと、ちゃんと勉強しなくちゃなあ」
「あら、なんだか自己完結しちゃった感じかしら?」
メイはルーフに向けて、下着を片手に蠱惑的な微笑みを浮かべている。
「あなたの悩みが解決して、私は嬉しいわよ」
メイはルーフに、自らが選んだセクシーなランジェリーを見せつける。
「男の子に下着の買い物に付き合わせちゃうのも、ちょっと悪い気がしていたのだけれど」
ルーフは幾らかこころの余裕を取り戻したのだろう、ようやく羞恥心に頬を赤くしていた。
「でも、まあ」
ルーフは納得をしようとした。
「妹の下着を凝視する体験なら、今この瞬間、俺が一番リアルに絵に描く事が出来るだろうよ。
魔力が冴える感じがする」
「もっと分かりやすく」
「十時間睡眠をした後の正月休み初日の朝の眼球みたいな感じ」
「それは最高ね」
出来ることが増えたかそうでないかは、まだ彼には分からなかった。