9話 アルセイフ視点
アルセイフ=フォン=レイホワイトには、ここ数日、頭を悩ませていることがあった。
妻のフェリアに、近づく男がいるのだ。
……否、正確に言うと、レイホワイト家が奉っている神獣 氷魔狼なのだが……。
『フェリー♪ フェリー♪ ご飯まだ~?』
朝食の席、フェリアの隣に1匹の犬が座っている。
翡翠の毛皮が美しい大型犬。
神獣コッコロの犬の姿だ。
「コッコロちゃん。待て、待てですよ……」
『うん! ボク、フェリが待てっていうならいつまで待っちゃうもんね!』
フェリアは氷魔狼に微笑みを向ける。
「よしっ」
『わふー♡ おいしー!』
がつがつ、とご飯を食べ出す。
コッコロに慈愛のまなざしを向けて、あたまをなでるフェリア。
……そんな姿を見て、アルセイフはさらに眉間にしわを寄せる。
「おい」
「はい?」
フェリアがこちらを向いてくれた。
こちらに興味を持たせることには成功した……が。
「……特に用はない」
「はぁ……そうですか」
フェリアが不思議そうに首をかしげる。
『フェリー! ボク残さず食べたよー!』
「あら本当です。えらいえらい」
『えへー♡』
……相手はタダの犬。
そう、ただの犬なのだ。だというのに……なぜだか妙に気になる。
妻が、自分以外に笑顔を向けているのが……気に入らない。
「おい」
「なんでしょう?」
……自分以外に関心を向けているのが、気にくわないから単に呼んだだけだ。
しかしそんなことを言うのは恥ずかしいので、
「……なんでもない」
と返してしまう。
……まったく、なんなのだ、この間から。
神獣がフェリアの言うところの、思い出の犬コッコロであった。
フェリアは大いに喜んだ。そして、コッコロはどうやらオスであり、フェリアのことが好きらしい。
ふざけるな。
フェリアは自分の妻であって他の男には絶対に渡さない。
だがフェリアは決まってこう言うのだ。
『何をおっしゃいますか。コッコロちゃんはペットじゃないですか』
……神獣をペット扱いするのか、ということはさておき。
今のところ、フェリアはコッコロのことを、子供の頃に飼っていた可愛い愛玩動物以上の感情を向けていない。
だが……彼女は気づいていない。
コッコロは逆に、フェリアに飼い主以上の感情を抱いている。
ときおり、妖しく目が輝く時がある。
アルセイフからしたら、気が気では無い。
他の男に、妻を取られるなど、貴族として、騎士として恥ずべき事だ……。
「…………」
貴族として、騎士として?
……なんだか自分で言っておいて、何かが違う気がした。
「では、行ってくる」
朝食を済ませたアルセイフに、妻が玄関先まで見送ってくれる。
……もちろん、彼女に寄り添うように、ぴったりとコッコロがついている。
「おい犬」
『なんだよ駄犬』
「あ? 駄犬は貴様だろうが」
『へんっ。ボクはフェリを守る忠犬だもん』
「減らず口を……」
「はいはい、そこまで。あなたも仕事があるんですから」
ちっ、と舌打ちをする。
「いいか犬。俺の居ない間にあいつになにかしてみろ? その喉を氷の剣で串刺しにしてやるからな……あいたっ!」
フェリアが夫の頭を叩き、あきれたような顔になる。
「朝から物騒なこと言うのはおやめください」
「しかし……!」
「ほら、いってらっしゃい。あなた」
妻から弁当を差し出される。
彼女が自分の家に来てから、毎日欠かさずに弁当を作ってくれる。
『いいなぁ、フェリ! ボクもお弁当作ってよ!』
「なんだとっ!?」
しかしフェリアは微笑むと、コッコロの頭をなでる。
「コッコロちゃんには必要ないでしょう? お弁当は、外で頑張って働いてくれるアルセイフ様にだからこそ作るんです」
「…………」
なんだろうか。
なんだか、勝った気分になった。
フッ……。
『あー! 駄犬このやろー! 今勝った気になったなー!』
「いってくる」
『無視すんなばかー!』
アルセイフは屋敷をあとにする。
その足取りが……なぜか軽い。
「そうか……ふっ……そうか……」
弁当箱をニヤニヤと見つめる彼であった。
★
アルセイフは出勤したあと、騎士団の詰め所へと向かう。
彼は副騎士団長、部下と上層部との橋渡し的なポジションである。
「おはようございます、アルセイフ様」
詰め所で書類仕事をしていると、部下が声をかけてくる。
「ああ」
「昨日は奥様のクッキーありがとうございました」
「ああ」
以前までは、アルセイフに声をかけるものは、ほとんどいなかった。
部下達も怖がって、挨拶や簡単な報告の時以外は、話さない。
だが、フェリアが妻になってから変わった。
フェリアはやたらと、部下にこれを持っていけと言ってくるのだ。
最初は煩わしかったが、しかし……。
「おい。これを皆で食え」
弁当とともに、今日もフェリアからお菓子の包みを渡された。
「ありがとうございます! なんでしょうか、今日は?」
部下が喜んで言う。
「マフィンとか言っていたな」
「おお! おいしそうですね! ありがとうございます!」
「ああ……」
アルセイフは気づけば部下と普通にコミュニケーションが取れるようになっていた。
それもすべて、フェリアの作ってくれる、お菓子のおかげである。
彼女はお菓子作りが趣味であるらしい。
アイスクリームやクッキーなどを、暇を見つけては作り、その都度自分に持たせるのだ。
お昼になると……。
「アルセイフ様! 一緒にお昼食べましょう!」
部下達が食堂に誘ってくれるようになった。
以前は誰も声をかけてこなかったのだが……。
アルセイフは部下とともに食堂へと移動。
彼が妻から作ってもらった弁当を広げると……。
「「「うぉおお! うまそぉおおおおお!」」」
誰も彼もが、とても驚いてみせるのだ。
なるほど、確かに妻の作る弁当は、独身者たちの弁当や、食堂のメシより美味そうに見える。
それに、実際に美味い。
「貴様らも少しつまんでいいぞ」
フェリアは部下達の分を見越して、少し多めにおかずを入れるのだ。
そのまま一人で食べると食べ過ぎてしまうのである。
「「「あざーっす! いただきます!」」」
はふはふとハンバーグだの肉詰めだのを食べていく部下達……。
「うめえ! さいっこう!」
「やっぱ副団長の奥様のメシさいこーっす!」
「いやあ、うらやましいっすわ!」
……ふふん、そうだろう。
と得意になるアルセイフ。
「ふん。俺がうらやましいなら貴様らも結婚するんだな」
「「「したいっすよぉ!」」」
……ふと、アルセイフは窓の外を見やる。
今頃はフェリアも昼を食べてるだろうか。
あの犬と一緒に。
メシを食ったあとは昼寝でもするのだろうか。
危険だ。あいつは犬を装った狼だ。
なんて無防備な姿を見せるのだ、あの女は。全く……。
「…………」
「どうしたんですか、副団長?」
「いや、なんでもない……」
箸を動かしていると、部下がこんなことを言う。
「副団長って、最近考え事が多くなりましたね」
「……そうか?」
うんうん、と部下達がうなずく。
「特にここ数日ぼーっとすることが多いような」
「なにか、騎士団全体での懸案事項でもあるのですか?」
……仕事のことではない。プライベートのことだ。
などと、部下にはいえないので……。
「貴様らが気にすることはない」
とだけ言っておく。
前はこれだけで団員達がおびえてしまったのだが……。
「あ、じゃあ気にしなくて大丈夫なんすね」
「つーかうめえ! まじで奥さんの手料理さいこー!」
……とまあ、フェリアの陰ながらの努力によって、彼は部下との円滑なコミュニケーションを取れるようになっていった。
ややあって。
今日の仕事が終わると同時に、アルセイフは席を立つ。
「帰る」
「「「おつかれさまですっ!」」」
と、そのときだ。
「伝令! 王都の郊外にゴブリンの群れが!」
「「「なにぃ!? ゴブリンの群れ!?」」」
ぴくっ、とアルセイフが立ち止まる。
「その数は100! 副団長! 今すぐ団員に招集を……」
「必要ない」
ぎろり、と部下をにらみつける。
「俺が一人で行く」
「で、ですが……!」
「くどい。時間の無駄だ。貴様らも帰れ。足手まといだ」
アルセイフは魔力で身体強化をし、風のように飛び出す。
詰め所を出て、王都の町並みを駆け抜ける。
屋根をつたって外壁へと到着。
「あ、アルセイフ様!?」
門の上で見張りをしていた兵士がぎょっ、と目をむく。
「あれか」
ゴブリンが100体。
こちらに向かって進軍中だ。
「消えろ」
目に魔力を込める。
それだけで、視界に入っていたゴブリン達が、一斉に凍り付いた。
そして彼が後ろを振り向くと同時に、ゴブリンが粉々に砕け散る。
「ひゃ、100体のゴブリンを一瞬で!? す、すごい……すごいですよアルセイフ様! って、あれ?」
「報告は任せる」
アルセイフはすでに外壁から降りて、屋敷へと急ぐ。
帰りが遅くなればそれだけ、あの犬にフェリアを独占されてしまう。
彼は汗だくになって屋敷へと戻ると……。
「おかえりなさいませ、アルセイフ様」
フェリアが、自分のことを出迎えてくれる。
その笑みを見ていると、全力疾走の疲れも一気に吹き飛んだ。
「……ああ」
「汗をかいてらしてますが、どうしたのですか?」
ハンカチを取り出して、フェリアが額の汗を拭おうとする。
……以前ならば、アルセイフは自分に近づくものすべてを、拒んでいた。
だが彼は今、妻が拭き終わるのを、ただじっと待つ。
ふわり、と彼女の甘い髪のにおいに、心洗われるようになったのはいつからだろう。
「はい、終わりです」
「……そうか」
アルセイフは屋敷の中へと入る。
「マフィンはどうでした?」
後ろから着いてくるフェリア。
「部下達は喜んでいたぞ」
「それは重畳ですが、私はあなたの感想を聞きたいのですけど?」
立ち止まって振り返る。
彼女がジッと自分を見てくる。
……なんだか、妙に心臓がドキドキして、目を逸らす。
「……普通だ」
フェリアは「そうですか」と微笑む。
……それだけで、今日の疲れやストレスが、吹き飛ぶような思いがしたのだった。