38話 アルセイフ視点
フェリアとデートした翌日、アルセイフは部下を連れて、森の奥地へと向かっていた。
彼らは魔物の主、ボスを倒すために、敵地へと乗り込む。
ボスを倒さねば魔物の発生・暴走は収まらないからだ。
「瘴気が濃くなってきましたね」
隣を歩くハーレイが周囲を油断なく警戒しながら言う。
瘴気。魔物の発する毒ガスのことだ。
森の奥へ奥へと進んでいくにつれて瘴気が濃くなっている。
緑豊かなものも、次第に、枯れ木が目立つようになってきた。
歩いて行くと、ドロドロに溶けた何かがあった。
「うぷ……きもちわる……これ、熊ですよ」
液状化している熊の死体を見て、部下が青い顔をして言う。
「熊すら殺してしまうほどの、瘴気が発生しているなんて……」
「フェリア様のおかげで、おれらは無事だけど」
アルセイフとその部下、赤の剣のメンバーたちは、フェリアの張った聖結界によって守られている。
生き物の命を奪うほどの、高濃度の瘴気のなかにいられるのは、彼女のおかげだった。
「今は一部でとどまっているが、瘴気が森の外まで範囲を広げたら不味いな」
アルセイフが苦々しげにつぶやく。
なんだかんだで彼は人を守る剣なのだ。
目の前の異常現象が人の命を奪うものなら、当然、良い気分にはならない。
「奥へ向かうぞ。みな、気を引き締めろ」
アルセイフとともにメンバー達はさらに奥へと進んでいく。
すると1つの洞穴があった。
「魔物の巣、でしょうね」
ハーレイの言葉に、皆がうなずく。アルセイフも同じ意見だった。
洞窟の奥から感じるのだ。
魔物の放つ、圧倒的な殺意の波動を。
「…………」
アルセイフは二の足を踏む。
この奥に待っているのは、確実に、恐るべき敵だ。
もしも自分が負けてしまったら、死んでしまったら……フェリアは悲しんでくれるだろうか。
いや、あの誰よりも優しい、最高の妻のことだ。
きっと、夫の死を誰よりも悲しんでくれるだろう。
フェリアを暗い気持ちにさせるのは嫌だった。
けれど、彼女の身に危険が及ぶのは、もっと嫌だ。
「いくぞ」
アルセイフは誰よりも先に、洞窟に入っていく。
口下手な自分にできるのは、行動によって意思を示すのみ。
かつてアルセイフを、怖い存在として、遠ざけていた部下達。
だが今彼らの統率は取れている。
フェリアの存在がチームを一つにまとめ上げたのだ。
彼らの思いも、アルセイフのものと同じ。
フェリアを含む、大切な人たちが、みんな、幸せであるように。
アルセイフの後ろから部下達がついてくる。
その歩みに乱れはなく、そしておびえもない。
「魔物の巣にしては静かですね」
「低級の魔物は群れるはずだ。つまり……」
そして、最奥部へと到着する。
「…………」
ごくり、と部下達が息をのむ。
そこで眠っていたのは……。
1匹の、ドラゴンだ。
「あ、ああ……」
部下達がぺたん、と尻餅をつく。
それも無理からぬことだ。
その竜は見上げるほどの巨大な体を持っていた。
9つの首を持ち、体表からは毒物が分泌されて、飢えた獣のよだれのように流れ落ちていく。
「ひ、ヒドラ……だ……」
毒魔竜ヒドラ。
Sランク……最強の強さを持ったドラゴンの一種である。
部下達は完全に戦意を喪失していた。
顔面蒼白にして、誰もが動けないで居る。
王国の騎士ならば、知っている。
いにしえの昔、ヒドラが王都に襲ったことがある。
そのときはたった1日で王都は半壊した。
騎士が挑んでも全く勝てず、そのとき女神様から勇者が派遣されて、ヒドラを倒したという逸話……
王都民なら誰もが知っている。
このヒドラには……勝てぬと。
「どうします? 副団長」
ハーレイからの問いかけに、アルセイフは一も二もなく答える。
「一時退却だ」
かつてのアルセイフならば、さっさと仕事をこなそうと、一人で無鉄砲にツッコんでいったろう。
だが今の彼には背負っているものが多い。
彼は武芸者としてではなく、グループを束ねる長として、戦いよりも撤退を選んだと言えた。
冷静な副団長の判断に、誰もが賛成。
その場でこっそりと帰ろうとした……そのときだ。
「あっ……!」
部下の一人が足を滑らせてこけてしまったのだ。
そして……。
「GISHAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」
ヒドラが目を覚ましてしまった。
「ご、ごめ……」
「走れ!」
アルセイフに叱咤されたメンバー達は、一目散に逃げ出す。
だがアルセイフだけが残る。
「副団長!? なぜ!?」
「俺がしんがりを務める! ハーレイ! あとは頼んだ!」
ハーレイも、そしてメンバー達も嫌だった。
やっとわかり合えた副団長と、永遠のお別れなんて……。
けれどハーレイは唇を、血が出るほどかみしめて、メンバー達に言う。
「撤退だ!」
「「「しかし!」」」
「おれたちでは足手まといになる! いくぞ! これは副団長の命令であり、意思だ!」
わかっている。ここで引くことは、フェリアを悲しませることになると。
そんなのアルセイフはもちろん、赤の剣のメンバー達だって分かっている。
それでも……。
アルセイフの覚悟をくんで彼らは走って逃げる。
「GIHSHAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
ヒドラの9つの首から放たれる、強力な濃硫酸。
「はぁ……!」
アルセイフは地面に氷の剣を突き立てる。
彼の前に分厚い氷の山が出現した。
どんな敵をも凍らせ、そして竜の炎すらも凍らせたことのある魔法。
けれど……。
ヒドラの酸はたやすく氷を溶かし、その向こうに居るアルセイフに襲いかかる。
「くっ……!」
アルセイフは体をねじってそれを回避。
間一髪の処だった。
生きてることを心から喜び……。
だがその胸に広がるのは、圧倒的な恐怖心だ。
自分の最大の魔法を、まるで濡れた紙のごとくたやすく打ち破られた。
今のでだいぶ魔力を使ってしまった。
一方でヒドラはまだまだ余裕そう。
「…………」
部下達の援軍が届くまで、どれくらいか。
わからない。だが、ここで自分が踏ん張らないと。
ヒドラは外に出てフェリアを襲うかも知れない。
「やらせは、せん……やらせはせんぞ!」
アルセイフは剣を構えて、まっすぐにヒドラをにらみつける。
見てるだけで人を恐怖させる、凄まじいオーラを持つ相手を前に……。
彼はまっすぐに敵を見据える。
彼を支えるのは、背後にいる妻。
彼女を守りたいという、その強い意志が、彼を鼓舞する。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおお!」
アルセイフは剣を振りかぶって、ヒドラに斬りかかるのだった。