36話
私は夫のアルセイフ様から、休養を取らないかと提案された。
聖結界の力を使えば疲労すら回復できはするのだが、周りから強く休むよう勧められた。
騎士団と一緒に来て、彼らと同じくらい働いているのが、申し訳ないと。
そして部下のハーレイさんから聞いた話によると、どうにも夫がデートへ行きたがっているらしい。
良い機会だったので、私は彼の提案通り、休むことにした。
私たちは馬に乗って、村からほど近い森の中にいた。
「我々はどちらに向かっているのです?」
来るときのように、馬に二人乗りしているアルセイフ様。
彼は嬉しそうに、後ろから私を抱きしめてくる。どうやらお気に入りのポーズらしい。
時折髪の毛に鼻を当ててにおいをかがれるけど、別にいやな気はしない。
1号で慣れてるからかな。
「近くに湖があるのだ」
「あら湖ですか」
「ああ」
……え? それだけ?
湖で何をしよう、とか言ってくるのかと思ったのだけど。
ちら、と私は彼を見上げる。
どうにも彼の表情が、いつも以上に堅い気がした。
「体調でもすぐれないのですか?」
「体調は、問題ない。体調はな」
じゃあ何が問題あるのだろうか……?
ほどなくして、私たちは湖にたどり着いた。
深い森の中。そこだけが木々がなく、視界いっぱいに、それはそれは美しい湖が広がっていた。
「きれいですね。魚とかいますかね」
湖に来るなら釣り道具とか、色々持ってくればよかった。
いったん戻ってもいいかもしれない。
湖に近づいて、しゃがみ込み、水の中を見つめる。
ぷくぷくと太った、美味しそうな淡水魚がいくつも見られた。これは釣って是非とも魚料理を堪能したいもの。
「アル様、釣竿を……って? あれ? どうしたんです、そんな遠くに」
私から数メートル離れた地点で彼が、腕を胸の前で組んで立っている。
機嫌でも悪いのかと思ったのだが、そうじゃないのが、私にはわかった。
「体調がすぐれないのですね」
私は近づいて、彼にそういう。
アルセイフ様は目を丸くしていた。
「なぜ、わかる?」
「そりゃ、妻ですので」
さすがに彼の表情の変化には気付けるようになった。
不機嫌な時と体に不調があるとき。
彼はどちらも顔をしかめるので、一見すると違いがわかりにくい。
だが目元のしわのより具合でそれを判別可能なのだ。
「木陰で休みますか?」
「いや、いい。おまえと一緒にいたい」
きゅっ、と彼が私の手を握ってくる。
ふむ、どうにも手が冷たい。緊張してる様子。
「何に緊張してるんです?」
「……おまえはすごいな。読心術士か?」
「しがない氷帝の妻でございますよ。それで?」
彼はしばし言いよどんだ後、そっぽ向いて、恥ずかしそうに言う。
「……嫌いなのだ」
「え?」
「俺は、水が嫌いなのだ」
……こういうところもコッコロちゃんに似ているとは。
なんとも縁のある二人である。
とはいえ、夫の苦手なものを知らないでいるなんて。妻として怠慢だ。
というか不愉快な思いにさせてしまったろう。
「存じ上げなくて申し訳ないです」
「フェリアが謝る必要はない! 誘ったのは俺だ」
ぶんぶん、と彼が首を横に強く振る。
「お前は何も悪くない」
「そうですか、ありがとうございます。でも、どうして水が苦手なのに、湖になんて来たのです?」
至極当然の疑問だろう。
すると彼はこんなことを言った。
「侍女に聞いたことを思い出したのだ。おまえが、釣りが趣味で、釣った魚を食べるのが好きだとな」
「あら、まあ」
私の趣味嗜好を、この人は理解しようとしてくれていたのだ。
出会った当初、私に何も関心を示さなかった彼が。ふふ、成長したものだ。
「私のために、苦手な湖に来てくださったのですね。どうもありがとう」
「礼を言われるほどではない。俺にはお前の喜びが無上の喜びなのだ」
微笑む彼の手がじんわりと温かくなってきた。
どうやら緊張がほぐれているのだろうと思われる。
「釣りでもしましょうか」
「ああ。釣りなら水に入らなくて済むからな」
「ボート釣り」
「き、貴様! もしかしてわざと言ってるだろう!?」
「ええ、もちろん」
くっ、と悔しがる彼がいとおしくて、頭をなでる。
「大丈夫ですよ。いざとなれば湖面を凍らせれば溺れません」
「守るべき愛する女に、守られるなど男の恥だ!」
「まあ、守るべき愛する女ですって。そんな歯の浮くようなセリフをどこで覚えてきたのですか? 娼館とか?」
「娼婦なんぞ眼中にないわ! フェリアと比べたら月とすっぽんだ!」
「まあ、お上手です事」
「くっ! いつもからかいよって」
「照れてるあなたが可愛いのがいけないんですよ」