2話
私ことフェリアは、冷酷なる氷帝と悪名高い騎士様のもとへ嫁ぐことになった。
数日ののち、私は旦那となるアルセイフ様のお屋敷へと向かう馬車に乗っていた。
「フェリア様、おやめになったほうがよろしくないです~?」
私の隣には侍女のニコが座っている。
ニコ、13歳。
孤児だったこの子を私が拾って育てたのだ。以後、私の世話係を務めている。
灰色の髪の毛が可愛らしい。
あの腐った家の中で、唯一私の味方。
ほかの人たちは加護無しの無能と馬鹿にしてきたのだ。ニコだけが心許せる相手である。
「やめるってどういうこと?」
「だって相手は冷酷なる氷帝さまですよ! おっそろしいって有名な方なんですから!」
「へえ、そう」
「リアクションうす! もー! もっと興味持ってくださいよ!」
「はいはい。じゃあどう危ないの?」
こほん、とニコが咳払いをする。
「アルセイフ様は王国最強の騎士様。氷属性の魔法と剣術を組み合わせた、【氷剣】をお使いになられます」
「ひょうけん。ふーん……」
殿方がどういう剣術を使おうがあまり興味ない。
「その氷の魔法は王国の外でも有名で、世界最強の氷魔法の使い手として有名なのです」
「なんだ、騎士としてとても有能ではないの」
「ええ、ですが! その性格は苛烈極まるらしいです! 無礼を働くとその魔眼で殺されてしまうというのがもっぱらの噂! 少しでも彼の不興を買おうものならよくて更迭、悪ければ切り捨てられるとのこと!」
また随分と気性の荒いかたのようだ。
「フェリさま、やめておきましょう。そんな狂犬みたいな人と結婚したら、死んでしまいますわ!」
「狂犬って。言い得て妙ね」
「なんでそう冷静なんですかー!」
心配してくれるのもありがたいけど、そこまで怖がる必要はないんじゃないかと私は思っている。
「ねー、逃げましょ?」
「駄目。あのね、平民同士の結婚じゃないのよこれは」
はえ、とニコが首をかしげる。
「貴族の家同士の結婚なの。それは個々人での問題では済まされないわ。家同士で決めたことを、個人の一存で変えることはできないの」
「うー……でもぉ、フェリさまが死んだら、わたしいやですわ」
落ち込んでいるニコの頭を撫でる。
「噂がどうかは知りませんし興味ありません。そういうのは、会って直接、この目で見定めるもの。そうじゃなくって?」
魔法の研究を長くしていたからか、私は憶測で物事を判断しない。
データを集め、検証し、それで初めて正しい真実が見えてくる、と思っている。
「フェリさま……わかりました! このニコ、たとえ嫁ぎ先に氷帝がいようが狂犬がいようが、この身を挺してお守りいたします!」
孤児だったこの子を拾ってから、やたらと好かれている。
なついてくれるのは良いことだ。
「ありがとう。あら、そろそろ着くみたいね」
ほどなくして私たちを乗せた馬車は、アルセイフ様のお屋敷、レイホワイト家へと到着する。
「ひゃあ! 広いお屋敷ですねフェリさま! 騎士爵さまなのに、こんな大きなお屋敷なんて」
騎士爵は一般に、その代で終わる。子供に受け継がれないものとされている。
「それだけ陛下のお気に入りってことでしょう。長い歴史が紡がれるほどには」
「なるほど……って、よく知ってますね?」
「自分の嫁ぎ先の歴史は調べるでしょう、普通」
「その割にアルセイフ様のお噂は知らなかったじゃないですか?」
「噂なんてあやふやなもの、興味ないわ」
私はレイホワイト家の使用人に、屋敷へと通される。
応接間で待つようにと指示された。
「フェリさま、この後の流れってどうなるんでしょう?」
「ご両親にごあいさつね、まずは」
というか私、相手方のご両親には実際に会ったことがない。
押し付けられた数日で相手先に追いやられる、もとい、嫁ぐなんて異常事態だ。
つくづく、お父様もセレスティアも無礼な人たち。
よく相手方は怒らなかったな。
しばらくして、二人の男女が現れる。
アルセイフ様の御父上と御母上だ。
私は立ち上がって、貴族式の挨拶をする。
「お初にお目にかかります。シャーニッド様、それにニーナ様」
深く頭を下げて、父上様と母上様にいう。
「ドクズの娘、フェリア=フォン=カーライルです。伝統あるレイホワイト家の名を汚さぬよう、アルセイフ様の妻として、支えていく所存でありますので、以後、お見知りおきを」
頭を上げると、父上様と母上様が、ぽかーんとした表情になっていた。
「なにか、失礼をいたしましたか?」
「あ、いや! す、すまない。ワタシはシャーニッド。妻のニーナだ。フェリアさん、ようこそわがレイホワイトに」
父上様は背が高く細身。
年齢は40らしい。
細身ながら服の上からでもしっかり鍛えられてるのがわかる。
一方で、青い髪の美女が私を見て、目をキラキラさせる。
なんだろう。
「まあ! まあまあまあ! なんてお行儀のよい娘さんなのでしょう! あなた見た!?」
だっ! と母上様は走ってきて私に抱き着いてくる。
な、なんだこの対応は……?
たしかニーナさまは平民の出身だった。
だからあまり貴族っぽくないのだろう。
「この子、わたしたちの名前をちゃんと知ってましたよ!?」
「はぁ……」
そこになぜ驚くのだろうか。
義理とはいえ両親になる人の名前くらい調べるのが当たり前だろうに。
「ああ、ごめんなさい! アルちゃんのお嫁さんとなるひと、だいたい来る前に逃げるか、嫌々来て、アルちゃんに会って、逃げて行くかのどっちかだったから」
ああ、やはり噂は噂でしかなかったか。
嫁いだ先で人殺しなんて起きるわけがない。
本当に噂ってあてにならないな。
「こんなにきちんとした、礼儀正しい娘さんが来たのが初めてでね」
「そうだったのですね。恐縮です、ニーナ様」
「まあまあ! いいのよ敬語なんて! ニーナとか、ママとか、そういう風に呼んで頂戴な!」
「いえ、さすがにそれは失礼にあたりますので」
親しき仲にも礼儀あり、だ。
それに相手は王家に気に入られている家の人間。
過度になれなれしくして、それが相手の怒りを買ってしまい、結果自分にもカーライルの家にも迷惑をかける羽目になるかもしれない。
まあ別にカーライルの家がつぶれようがどうでもいいのだが、私のせいでといちゃもんをつけられたら迷惑だ。
ややあって。
「いやぁありがとう、フェリアさん。アルセイフは少々、性格がその……あれでな。なかなか嫁が居つかなくて困っていたのだよ」
ソファに座る私たち。
正面の父上様がそう説明する。
なんだ性格があれって。
ちゃんと言葉で説明してほしい。
まあ難ありなのはニコから聞いているので特に驚かない。
「アルセイフ様はどちらに? ご挨拶にあがりたいのですが?」
「アルちゃんはそろそろ仕事から帰ってくる頃合いかしらねぇ」
と、そのときだ。
ばんっ! と応接間の扉が開く。
そこにいたのは、銀髪の、背の高い男性だ。
身長は180くらいか。
私より頭一つ、二つくらい高い。
父上様と同様痩せていて、なおかつ筋肉質。
青い瞳には魔力が宿っている。
左目の下に泣きほくろがあった。
なるほど、これがかの有名な、【冷酷なる氷帝】か。
まあ帝王なんてあだ名がつくくらいには美形である。
「アルちゃんお帰りなさい! お嫁さん来てますよー!」
アルセイフ様は私を見て……ふんっ! と鼻を鳴らす。
「おい女、失せろ」
私を見るなり、アルセイフ様はそんな態度をとってきた。
「アルちゃん! お嫁さんになんて……」
私は手を挙げて母上様を止める。
立ち上がって、アルセイフ様の前にやってくる。
「お初にお目にかかります。フェリア=フォン=カーライルです。あなたの妻になるよう命じられて、こちらにご厄介になりにきました。よろしくお願いします」
「ふん! 命令されて嫌々来たの間違いだろ。どいつこいつも……腹が立つ!」
氷帝なんてついてるのに、随分と感情的な方だな。
「別に嫌々来たわけではありませんが」
「ふん、見え透いた嘘をつかなくてもいい。消えろ。俺が怒って、この氷結の魔眼が貴様を凍らせぬうちにな」
激しい怒りをなぜか私にぶつけてくる。
だが別にあまり怖いとは思わない。
なぜだろうか。あとで検証が必要だな。
「帰るわけにはいきません。私はもう家を出た身。帰る場所がございません」
「……いい加減にしろよ。貴様とて、俺のあだ名を聞いたことがあるだろう」
あれか。
冷酷なる氷帝ってやつ。
「ええ」
「なら……」
私は言う。
「気になってたんですが、冷酷なる氷帝って、バカみたいなあだ名ですよね?」
びしっ、とアルセイフ様の顔が固まる。
父上様も母上様も、ニコも、この世の終わりみたいな顔している。
え、なに?
「ば、ばか……? こ、この俺が……ばか?」
「あ、いえ。あなたがっていうより、冷酷なる氷帝って。なんかそれ、頭痛が痛いみたいで、ニュアンスがかぶってません? 聞いたときからなんかバカみたいなあだ名って思ってたんですが……」
びきびき、とアルセイフ様の周りに氷の魔力がほとばしる。
「殺す……!」
かっ! とアルセイフ様の魔眼が輝く。
「フェリさまー! 逃げてぇえええええ!」
周囲に氷雪の風が吹き荒れる。
カーペットを、屋敷の部屋を、まるごと凍らせるほどの強い氷魔法だ。
あ、これは死んだな。
私は魔法を勉強してきたからわかる。
さすがにこの強い魔法に対する防衛術を、私は持っていない。
何か知らないが、私は彼の虎の尾を踏んでしまったようだ。
これは罰だ。
甘んじて受け入れよう。
……だが、いくら待っても、私の体が凍り付くことはなかった。
「なっ!? そ、そんな馬鹿な!?」
アルセイフ様が驚愕に目を見開いている。
「お、俺の氷魔法が、通じないだと!?」
よく見れば、私の周りを避けるようにして、氷の塊ができていた。
「なんだ!? 今の魔法は!?」
「は? いえ、魔法使ってませんが。そもそも私は加護無しですし」
いぶかしげな表情のアルセイフ様は、やがて何かに気づいたように目を見張る。
「おい! 貴様! その目!」
「目?」
アルセイフ様は私に近づいて、がしっ、と顔を掴む。
ずいっと目を覗き込んでくる。
「……やはり。そうか、貴様は【氷魔狼】の」
「ふぇんりる?」
確か氷の魔物の名前だったような。
それと私に何か関係が?
「ありえん……ありえない! 貴様が、この世界最強の氷使いよりも、はるかに優れた氷の才を持つだなんて!」