11話
アルセイフ様と一夜をともに過ごした、翌日。
私たちは宿の食堂で、朝食を摂っていた。
「…………」
アルセイフ様は朝からずっと黙っている。黙々と食事をしていた。
相変わらず何を考えてるのかわからない。私は……どう思ってるんだろう。
彼と同じベッドに寝て、何か変わったかと言われても……。
ただ彼がフェリと呼んでくれたのは、少しうれしかった気がする。
凶暴な犬が懐いてくれたみたいな、あんな感じ。
「おい」
「はい」
「塩取ってくれ」
……あれ? 結局フェリ呼びはしてくれないのか。
まあ昨日は、アルセイフ様も酔っていたしな。その勢いでそう呼んでくれていたのだろう。
少しがっかりだ。
私たちは食事を摂ったあと、屋敷へと戻ってくる。
『フェリーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!』
馬車から降りると、神獣コッコロちゃんが、犬の姿でダッシュしてきた。
私に飛びついて、不安げな瞳を向けてくる。
『もー! 心配したよー! 昨日帰ってこないんだもん! あの駄犬にひどいことされんじゃないかって、気が気でなかったよぉう!』
べろべろ、とコッコロちゃんが私の頬をなめる。
「遅くなってごめんなさいね。でも別にひどいことなんてされてませんから、ね?」
アルセイフ様が「ふん……」とそっぽを向く。
本当に仲が悪いんだな、この子ら。
『むむむ……!』
コッコロちゃんが私と、そしてアルセイフ様を見やる。
その後、私の首筋に鼻を当てて、すんすん、と匂いを嗅ぐ。
『!?』
くわ、とコッコロちゃんが目をむく。
「どうしました?」
『……あの男の匂い。これは……まさか……』
ぶつぶつ、とコッコロちゃんがつぶやく。どうしたんだろうか。
「おい、俺は仕事へ行くぞ」
「あ、はい。あ、そうだお弁当」
「今日は良い。おまえも帰ってきたばかりだろうからな」
「えと……お気遣いどうもありがとうございます」
彼はそれだけ言うと、着替えに、自分の部屋へと戻っていく。
弁当今すぐ作れ、みたいなことを言ってくると思っていたのだが、どうしちゃったんだろうか。
『……やっぱり、そうだ……あの男と……だめだ……このままじゃ……とられちゃう……だめだ……フェリは……ボクの……』
コッコロちゃんもコッコロちゃんで、なんだかブツブツつぶやいてるし……。
アルセイフ様もこの子も、どうしちゃったんだろうか。
★
湯浴みして、私は自分の部屋へ戻ってきた。
昨晩は結局お風呂に入れなかったからである。
「ふぅ……さっぱりした」
自分の部屋に戻ると、侍女のニコが心配そうに聞いてくる。
彼女は私の長い髪の毛をとかしてくれている。
「フェリさま……昨日はその、大丈夫でした?」
「大丈夫って?」
「だからその……冷酷なる氷帝さまと、一夜をともにしたのでしょう?」
「言い方。しょうがないのよ、彼が酔い潰れてしまったから」
ニコから話を聞いたところ、どうやら私と彼が外泊したうわさが、屋敷中に伝わっているらしい。
そこで私が彼に無理矢理関係を迫られて……閨をともにした、みたいな根も葉もないうわさが流れてるそうだ。
「別に無理矢理なんてされてません」
「で、では和姦……あいたっ」
私はおませな侍女の額をつつく。
「一緒のベッドで寝ただけ」
「ほらぁ……!」
「だからやましいことは一切してないわ。彼って結構紳士なのよ」
まあ紳士も何も、昨日は彼、熟睡してたしな。
「……フェリさま、なーんか態度が柔らかくなってないです?あの人に対して」
じーっ、とニコが疑いのまなざしを向けてくる。
「そう?」
「そうですよ! 前はもっと嫌い嫌いビーム出てたじゃあないですか!」
「別に前から嫌いではなかったわ。特段好きではなかったけれどね」
「じゃあ、今はどう思ってるんです?」
……今は、彼に対してどう思ってるか?
改めて聞かれると、答えに困る。
私は彼をどう思ってるのだろう。
彼は、私をどう思ってるだろう。
ただ一つ、確信を持って言えることは……。
「うわさは当てにならないってことね」
恐ろしい噂が世にはびこっている彼だけど、実際に一緒に暮らしていると、わかる。
別に彼は悪い人じゃないってこと。
……まあ、口と態度は最悪だけれども。ガキかって、何度も思うことはあるけど。
でも年齢的にも精神的にも、まだまだ子供なんだと思えば、許容できる。
「フェリさまは……すごいです」
ニコが感心したようにうなずく。
「あんなおっそろしい人の妻でいられるの、すごすぎます。あたしだったら、あーんな口も態度も悪い、おっそろしい人となんて、1日だって妻になれませんよ!」
「まあ。駄目よニコ。あなたはアルセイフ様に雇われている身なのだから、悪口を言ってはいけません」
「ううー……ごめんなさい」
髪の毛を乾かし終えた。
ニコの頭をポンポンとなでる。
「ありがとう。私は少し寝るわね」
「お昼寝ですか?」
「ええ。昨日はちょっとあんまり眠れなかったモノだから」
昨日は夜中中、彼が私に抱きついていた。
ぎゅーっ、と強く抱きしめるモノだから……。
「ドキドキして眠れなかったんですか!?」
ずいっと身を乗り出して、どこかわくわくした表情のニコ。
「いえ、普通に寝苦しくて、寝れなかっただけよ」
「ですよねー……」
ニコががっかり、とばかりに肩を落とす。何を期待したのだろうか。
「なーんだ、フェリ様が人並みに、恋する乙女のように、ドキドキするのを期待してたんですがー」
「恋する乙女、ねえ……」
思えば今日まで、恋というモノを知らずに育ってきた。
ドキドキする……夢中になる……恋愛小説の中ではよく見かけるフレーズ。
私は彼と一緒に寝て、ドキドキ……はしなかったな。
彼はどう思ってるだろう。ドキドキしていたのだろうか。
「フェリさまが男の人にドキドキしてるとこって想像できませんね。そういえば学園のときも、浮いた話を聞いたことないですし」
「まあ、学校には勉強しにいってたわけだからね」
「あ! あの人は、学校の教授! たしかそう……サバリス様!」
サバリス様とは、魔法学校時代にお世話になった教授のことだ。
5つ年上で、若くして教授職に就いていた、天才魔法使いである。
「サバリス様と良い雰囲気だったじゃないですかー? あのときもドキドキはしなかったのです?」
「あのねえ……。サバリス教授と私は、ただの教師と生徒よ?」
「でも向こうはかーなり、フェリさまにご執心だったと思いますよ!」
「そう?」
「そうです! だっていっつも楽しそうに話してたじゃないですか」
「あれは学問についてのやり取りであって、別にそういう浮ついた話じゃないのよ」
「えー……ほんとうにぃ?」
「ええ。本当に」
サバリス先生は単に、苦学生である私に同情して、気を遣ってくれてただけだ。
「でもよくお茶に連れてってもらったり、ランチをごちそうになってたじゃないですか」
「サバリス先生は生徒思いの優しい人なのよ。経済的な余裕がない私のために、やってくれてただけ」
「…………」
じとーっ、とニコが私を見てくる。
「フェリさまって……もしかして天然の男たらしでは?」
何を言ってるんだろうか、この子は?
何が天然の男たらしだ、まったくもう。