10話
ある休日のこと。
「おい。出かけるぞ」
私が応接間でコッコロちゃんの毛繕いをしていると、アルセイフ様が、そんなことを突然言ってきた。
「はい? 出かける?」
「おまえ、この間の約束をもう忘れたのか?」
この間の、約束……?
「ああ! あれ!」
先週、私はコッコロちゃんを探しに、アルセイフ様と街へデートへ行った。
その際に、また探しに行こうと約束したのであった。
「でもあれはコッコロちゃん探索であって、もう本人はここに……」
「なんだ? おまえ、俺との約束を反故にするつもりか?」
ぎろり、とアルセイフ様がにらんでくる。
「いえ……まあ、わかりました。出かけましょう」
「ふん。さっさと出かけるぞ」
私が立ち上がると、コッコロちゃんも後ろから着いてくる。
「おい犬。なぜ着いてくる?」
『ボクはフェリの騎士だからね? 彼女を守るのはボクの使命だからさ』
ふふーーん、と鼻を鳴らすコッコロちゃん。
「邪魔だ、消えろ」
『はぁ? 邪魔ってなに? 君こそ消えてくんない? ボクとフェリのデートの邪魔しないでくれよ』
コッコロちゃん1号と2号がにらみあってる……。
本当に仲が悪いこの人ら。
「では、三人で出かければいいではないですか」
「『良くない……! 俺と二人で出かけるのだ!』」
……やれやれ。
しかし結局三人で出かけることはできなかった。
なぜなら、コッコロちゃんはレイホワイト家の守護神だからだ。
「ふん。バカ犬め。せいぜい家でも守っているのだなっ」
私の前を歩くアルセイフ様。
なんだかご機嫌だった。
「コッコロちゃんを邪険に扱わないでください」
「なに?」
立ち止まって、ぎろりと、アルセイフ様がにらんでくる。
「おまえ、あの犬のほうがいいのか?」
「ほうが……? よくわかりませんが、コッコロちゃんもまた大事な家族じゃないですか」
「ふんっ! 守護神でなければ俺が八つ裂きにしてやるというのに……忌々しい!」
「はぁ……どうしてそこまで嫌うんです? コッコロちゃんが何かしました?」
「それはあいつがおまえを……」
ぴた、とアルセイフ様が固まる。
「コッコロちゃんが、私を?」
「……ふん! なんでもない!」
ずんずんと先へ進んでいくアルセイフ様。
なんなのだろうか……?
結婚してまだ日が浅いからか、未だに私は、この人のことを理解できていない。
ちょっと機嫌が良くなったと思ったら、すぐに不機嫌になってしまう。まったく……。
本当に昔のコッコロちゃんに似てるなこの人。
……ああ、似たもの同士だからケンカしちゃうのか。
「それで、アルセイフ様」
「なんだ?」
「今日はどうするのです?」
「どう……とは?」
立ち止まって彼が首をかしげる。
「いえ、お出かけした目的ですよ」
「目的……」
ジッと黙ったあと……。
「特にない」
「はぁ……ない、ですか」
「ない」
「なら、どうして私を誘ったのです?」
「約束をしたからな。おまえと出かけると」
「え?それだけ?」
「ああ。それだけだ」
約束を果たした今、彼は何が目的で、私と歩いているのだろうか……?
「おい、ぼーっとするな。いくぞ」
ぱしっ、と彼が私の手をつかんで歩き出す。
「え? あ、ちょっと……! 早いですって」
つかつかつか、と進んでいくモノだから、私は躓きそうになる。
彼は歩く速度を緩めてくれた。
「…………」
手をつないでの、お出かけ。
しかもアルセイフ様から言い出したこと。
まるでデートのお誘いではないか。
……ん? デートなのか、これは。
そうか……デートに誘ってくれたんだ。
この人。
「なんだ?」
「いえ、素直にデートへ行きましょうと言ってくれればいいのに」
立ち止まって、フンッとそっぽを向く。
「勘違いするな。これはデートではない。約束の履行だ。騎士たるもの、一度した約束を破るつもりはない」
「ふふ、そうですか」
照れ隠しなのだろう、彼なりの。
なんだ、可愛いとこあるじゃないか。
「どこへ行きましょうか」
「別に。どこでも」
「では、その辺をぶらつくのはどうでしょう?」
「ふん。好きにしろ」
アルセイフ様が無言で隣を歩いている。
歩幅も合わせてくれている。
なんだか……不思議な気分だ。
前回はコッコロちゃんを探すという目的があって出かけた。
だが、今日は特に目的もなく、ふたりで街をぶらついている。
結婚して初めて、私は殿方とデートをしている。
なんだかおかしいな。普通順序が逆ではないだろうか。
そんな風に歩いていると……。
「……み、見ろ、アルセイフ様だ」
街ゆく人たちがアルセイフ様……というよりは、私に注目している。
「……隣を歩いてるのは?」「……アルセイフ様の奥様よ」「……まじか。あの人結婚してたんだ」
ひそひそ……と周囲から噂話されている。
「……あのおっそろしい氷帝様と付き合えるなんて」
「……すげえ。何者だあの人?」
「……でも氷帝様、なんだかいつもより優しい顔してない?」
「……確かに。普段はもっと近寄りがたいし」
なんだか見世物にされてる気分だ。
やはり世間の彼に対する注目度は高いらしい。
というか、私にまで飛び火している。
「有名人ですね?」
「ふんっ、好きで目立っているのではない」
「まあそうはいっても、アルセイフ様は美男子ですからね。女子からはモテるかと」
ぴたっ、とアルセイフ様が立ち止まる。
「おい」
「はい?」
「俺は、おまえの目から見て、美男に見えてるのか?」
そっぽを向きながら彼が尋ねてくる。
「そうですね。かっこいいと思いますよ?」
悪評がなければ、今頃若い子たちにきゃーきゃー言われてそうなくらい、アルセイフ様は美形だ。
「……なあ」
「はい?」
「俺が……かっこいいと思うか?」
「? ええまあ」
彼はしばし考え込んだあと……ふっ、と笑う。
「そうか」
それだけ言うと、前を歩き出す。
手をつないだままだ。
なんなのだろうか、今の微笑みは。
その後も私たちは当てもなく街をぶらついた。
特に目的もなく、お互いの近況や趣味の話しとかをした。
そして夕方。
「あら、もう日が暮れてますね」
「ああ、早いものだな」
屋敷への馬車に向かおうとする。
だが……彼が立ち止まる。
「アルセイフ様?」
「……家に帰ると、またあの犬が邪魔してくるな」
「犬って……コッコロちゃんは犬じゃないですってば」
「そんなのはどうでも良い。問題は、家に帰ると、あの犬が邪魔をするということだ」
……いまいち何を言いたいのかわからないな。
「おい。近くに美味いディナーを出すレストランがある」
「はぁ……。しかし今頃ニコがお夕飯の支度をしてると思うのですが」
「……なんだ。俺と二人きりで、ディナーをするのは、嫌なのか?」
不機嫌そうに彼がつぶやく。
これは……。
「ディナーのお誘いですか?」
「……まあ、有り体に言えば」
なるほど……たまには夫婦水入らずで、ディナーをというわけか。
「いいですよ」
「ほんとかっ?」
弾んだ声音で彼が言う。
「ええ。案内してください」
「ああ、こっちだ! 着いてこい」
「はいはい」
私たちが到着したのは、中心街近くのレストランだった。
感じの良いレストランである。
アルセイフ様はワインを頼んだ。
私たちはワインとディナーを楽しむ。
「どうだ、ここのメシは?」
「ええ、とてもおいしいです」
「そうか。ふっ。当然だ。俺が美味いと認めてるんだからな」
「ナチュラルに偉そうですよねあなたって」
「フッ……俺は、偉くなんぞない」
おや? 珍しく弱気だ。
よく見ると彼の目が据わっている。
……そういえば。
アルセイフ様は普段あまりお酒を嗜まれない。
もしかして酒に弱いのだろうか?
彼はテーブルに突っ伏す。
「……俺は所詮、剣で成り上がった貴族もどきだよ」
「貴族もどきって……そんなことないですよ。立派なお家じゃないですか」
「……氷魔狼封印を評価され、与えられた騎士くずれの貴族もどき。それが俺たちの家だ。所詮、先祖の功績にすがってるだけ……俺の働きは、誰にも評価されてない」
どうやらアルセイフ様は、自らの功績をあまり自覚してないようだ。
氷魔狼を封印した初代の恩恵だけで、今まで家を保てていると思ってるのだろう。
多分そういう噂を耳にしてるのかも知れない。
「そんなことないですよ」
私は彼の肩を揺する。
「あなたは立派に騎士をしてらっしゃいます。聞きましたよ?この間、ゴブリンを100体、一瞬で倒したんですってね」
彼が赤い顔をして、ちらっと私を見上げる。
「町の人に聞きました。街を守った、あなたはすごい人です。みんな認めてますよ」
「……でも、冷酷なる氷帝ってみんな言う」
「それはあなたの態度が原因です。せっかく立てた武勲も、あなたの言動のせいで台無しですよ。もうちょっと人に優しくしてみたらどうですか?」
アルセルフ様は私をジッと見つめたあと……。
「……善処する」
と言って、彼が眠ってしまった。
やれやれ、どうすればいいんだこれは。
「ほら、帰りますよ。立ってください」
ふらふらの彼の腕を取って、私は歩き出す。
だが彼はこっちにしなだれかかってくる。
お、重い……。
「起きてくださいってば、起きて!」
「……無理。寝る」
「こ、こら……もう……はぁ」
しょうがない。
近くで宿でも取ろう。
私は彼に肩を貸しながら歩く。
都合の良いことにレストランの近くに宿屋があった。
たぶんアルセイフ様と同様、彼処のレストランで酔い潰れた客を相手に商売しているのだろう。商魂たくましいな。
私は部屋をとって中に入る。
二つあるベッドのうち、一つに、彼を寝かせる。
「やれやれ……疲れましたよ……」
私は自分のベッドへ向かおうとする。
「え?」
ぐいっ。
どさっ。
「え?」
……気づけば、私はアルセイフ様の胸の中にいた。
「あ、アルセイフ様……?」
無意識なのか、彼は私を離そうとしない。
「……フェリ」
「あ、はい。なんでしょう?」
彼は私をぎゅっと抱きしめたまま、つぶやく。
「……おまえは、誰にも渡さん」
……それだけ言って、彼は寝息を立ててしまった。
どこうとしても、彼は私を離してくれない。
抱擁を解いてくれない。
「まったく……婚前の男女が、同衾してはいけないんですよ?」
私は彼の銀髪をなでる。
さらさらしてて、良い手触りだ。悪くない。
「今日は楽しかったです、アルセイフ……アル様」
彼が小さく、笑ったように、そう感じたのだった。