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第7章

 長い列車の旅だった。

 まったく馬鹿馬鹿ばかばかしいほど遠いところに連れてこられたものだ。


 貨物列車が止まったのは、地平線の向こうまで、およそ人の気配がしないような、ただの大自然の中の一点といってもいいような場所だった。

 シベリア各地に点在するラーゲリと呼ばれる収容所には、ドイツ、ハンガリー、ルーマニア、フィンランドなど、赤軍せきぐんと敵対した国の者たちが多くいた。

 こんな場所で国際会議でも開こうっていうのか。


 そんな我々の仕事は木材の伐採ばっさいであった。

 食事はというと、黒パンなのか、おがくずなのかよくわからないようなかたまりにごった水と言ってもいいような味のないスープ。

 ともに赤軍と戦った者たちが、おが屑を奪い合うために争っている。

 自国以外は仮想敵国か、人間も似たようなものだ。

 朝になって冷たくなっている者がいたとしても関心を示すものなどいない。

 冷凍した魚のように、その辺に放り出されるだけである。



「お前は、どこの国の人間なのだ。」


 そう聞いてくる者もいたのだが、もはや自分がどこの国の人間と思われようが構わなかった。

 そのようなことを説明したところで、この境遇から脱することができるわけでもなく、いらぬ誤解を生むだけだ。

 スターリンにたていたアジア系のソ連国民だとでも思わせておけばよい。

 私以外の囚人しゅうじんたちも、本当のことを話しているわけでもあるまい。

 わずかな食糧を手に入れるため、平気で密告を行う。

 自分ひとりが生きるためだけ、そのことだけに人間の持ちうるすべての努力を傾けている。



「戦争が終わった。」


 誰かがそう言っていたその日にラーゲリの所長から訓示くんじがあった。


「ドイツに続き、日本も降伏した。偉大いだいなる同志どうしスターリンにより世界に平和がもたらされたのだ。諸君らは同志スターリンの慈悲じひによりこうして生きながらえていられる。世界の復興のためになお一層、労働に励んでもらいたい。」


 戦争が終わったと言われても、我々の境遇に変化があるわけでもなく、「ああそうなのか。」という程度の感慨かんがいしか浮かばなかった。

 それに慈悲とはなんだ、おが屑のパンのことか。

 戦争が終われば、おが屑がもう少し上質のおが屑になるとでもいうのか。



 それから何度目の春を迎えたであろう、もはや、数える気力さえなくなっていた私たちを、看守が貨物列車に押し込んだ。

 今度はどこへ連れていかれるのだろう。

 貨物列車の中には、私を含め何十人かいるだろう。

 見知った顔は数えるほどしかいない。

 労働に耐えられずに死んだ囚人の代わりに、次の囚人が送られてくる。


 このソ連という国では、畑で人間がれるのかと錯覚さっかくさせるくらい、どこからともなく囚人がいてくる。

 まるで、川が流れるがごとく、流れてきた命がまた流れていく。

 運よく滞留たいりゅうした者の中に私がいただけのことだ。


 太陽の位置から判断すると、どうやら東へ向かっているようである。

 何日の間、列車に乗っていたであろうか、今度は船に乗せられ、どこであるか場所も分からないがトンネルの建設現場に連れていかれた。

 トンネル建設現場といっても、山岳地帯ではない。

 晴れた日には、5マイルくらい西の彼方に陸地が見える。



「アムール川なのか…?」


「毎日見ていて気付いたのだが、水の流れが一方向ではないから川ではないな。太陽と星から判断すると、東西に陸地を隔てるせま海峡かいきょうだろうな。」


 尋ねてもいないのに、地理の知識でもひけらかすように答える者がいた。

 この男はハンガリー出身で、ブダペストの大学を出ているとかなんとか言っていたが、その手のほらを吹く者などここには大勢いる。

 まあ、ラーゲリにはインテリなど珍しくもないのだが。

 すっかり忘れていたが、そういえば、私もそうだったな。


 それはさておき、海峡の下にトンネルを掘ろうというのか。

 日本でも、下関しものせき門司もじの間に海底トンネルを建設するとかいう話があったな、それがどうなったかは知らないが。

 そう思いながら、学生時代に開いた地図帳の記憶を引っ張り出し、この場所を自分なりに推測してみた。

 シベリアを東へ進んできたはずだ、そして、東西に陸地を隔てる狭い海峡。

 そうか、間宮まみや海峡か、ソ連ではタタール海峡とかいう名前だったな。



 ということは、ここは北樺太(からふと)!。

 自分の身体の中の血液が一気に沸騰ふっとうするような感覚に襲われた。

 目には見えない運命のようなものに手繰たぐり寄せられるがごとく、日本に近づいていたのだ。


 南樺太は日本の領土のはずだ、そこまで行くことができたら。

 だが、囚われの身であることには変わりはなかった。

 変わりはないのだが、自分の中で生きることへのかすかな希望が沸き起こっていた。


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