第1章
登場人物
山城 賢二
パリの日本人学校教師。東京帝国大学卒業。
山城 正一
賢二の兄。パリの日本領事館に勤務する外交官。
小野寺少将
ストックホルムにある日本公使館の陸軍駐在武官。
シェリング
ポーランド人。ロンドンのポーランド亡命政府に所属。
ハルダー
オーストリア人の医師。
イレナ
ポーランド人。ワルシャワの女性看護師。
私の好きだったパリはいったいどこへいってしまったのか。
カフェでコーヒーを飲みながら、街並みを眺め、風を感じ、どことなく怠惰な雰囲気に包まれ、それだけで満足だった。
それが、今はどうだ。
濃い緑色の軍服を着たドイツ人たちが闊歩し、毎日が曇り空のようだ。
ただ、その洗練されたデザインの軍服が、この街に違和感なく溶け込んでいるのも不思議な光景だ。
パリに住む人々は、新しい主人の機嫌を損ねないよう、しかし、心の奥底では彼らを嫌い、もはや、どれが本当の気持ちなのか分からない人形のようになってしまっている。
この国に新しい主人が来てからいくつもの季節が過ぎ去るにつれ、それが当たり前の風景になってしまった。
もはやこの国もパリという街も曇り空がお似合いなのかもしれない。
私はというと、新しい主人がこの国へ来る前に、ヨーロッパの在外公館に勤務する兄を頼ってここへ来た。
厳格な父は、東京帝国大学を卒業し外交官となった兄に続けと言わんばかりであり、私も兄と同じ大学へ進んだのだが、兄に続く気などは毛頭なかった。
ただ、大学が父に対する免罪符となり得るのではないかと思っただけである。
この時代の次男の気楽さというか、大学を卒業した後は、窮屈な日本を離れ外国での生活を謳歌する腹積もりであった。
フランスはドイツに敗れたのだが、その後を引き継いだヴィシー政府は日本とは交戦状態になく、それゆえ、少なからぬ日本人がパリに在住していた。
私は日本人学校で教鞭をとり、生活の糧を得ているのだが、それだけでは私の気ままな生活を賄えるはずもなく、かといって、素封家の甘ったれゆえ、勤勉に働くことを知らず、兄や実家からの援助に頼って生きている。
そんな生活が5年も続いている。
この曇り空の時代が、静かに終わることを待ちながら。