091 魔石のポテンシャル
夏休みはいい。学校に行かなくて済むから。
非日常、つまりダンジョンに毎日入っていると、教室で授業を受けるのが馬鹿らしくなってくる。
「もうすぐ二学期かぁ……学校行きたくねえな。辞めちゃおうかなぁ」
五人でミーティング中、いきなり勇三がぼやいた。
ちょうどいま、俺も同じことを考えていたので、思わず頷きそうになる。
「行きたくないのなら、行かなければいいさ。ただし、最終学歴は中卒だぞ」
玲央先輩は中卒のところだけ、アクセントを強めて言った。
「えっ? 高校中退ですよね?」
勇三の言葉に玲央先輩は首を横に振る。
「最終学歴の定義を知っているか? 『もっとも高い教育機関を卒業した経歴』だぞ。中退は卒業ではないから中卒だ」
「マジかー、知らなかったぜ」
やっぱ勉強は必要だよなと、勇三は前言を撤回した。
中卒という札を掲げて歩くわけではないので、人生そうそう困ることはないと思うが、心情的なものを考えると、高校くらいは出た方がいい。
「勇三、残るは一年半だよ。来年になったら、逆にもっと通いたいと思うかもしれないよ」
「そうだったらいいんだけどな……はぁ、めんどくさい」
勉強より面白いものを見つけたのだ。勇三の気持ちも分かる。
でもまあ、ここは我慢のしどころだろう。
「……それで、話を続けようか」
「そういえば、ミーティング中でしたね」
「うむ、だいたいの話は終わったが……私たちと直接関係ない話が一件あるな。これも共有しておこう」
「なんですか?」
「米軍が、基地内に研究施設を新設するらしい。これまでは、ダンジョンから持ち帰ったものを米国内へ輸送していたが、それでは遅すぎると考えたのだろう」
「研究所ですか。たしかに俺たちとは直接関係ない話ですね」
「前に自衛隊と米軍から、ダンジョンの難易度を上げてほしいという要望が来ていたな。それは難しくないので、了承しておいたが、研究者と研究施設……米国は本気だな」
もちろんこれまでだって、本気でなかったわけではない。
ただ、眉唾物……といえばいいのか、俺たちの話をすべて信じていなかったと思う。
自衛隊はダンジョンに各種機器を持ち込んで調べていた。
米軍も謎な計器類を多数持ち込んでいた。
何らかの仮説に基づいて、ダンジョンを調べていたのだと思う。
「調査が終わったので、本気でダンジョン攻略したいということですか?」
玲央先輩は頷いた。
「背負えるギリギリの計器類をダンジョンに持ち込んでいたのは、皆も知っている通りだ。ダンジョンの調査や各種検査、データ収集するのに、強力な魔物がいるダンジョンは危険極まりない。ゆえにもっとも優しいダンジョンに入っていたわけだが、考え得る限りの調査が終わったのだろう。彼らにしてみれば、ここからが本番ということだ」
「一般の探索者に影響が出なければ、問題ないですしね」
「次はレベルアップによる身体能力の変化でも、記録するんだろう」
「だから研究施設の新設ですか。それとダンジョン産のアイテムとか魔石もですね」
レベルアップによって、身体能力が飛躍的に向上する。
肉体にどのような変化がおきるのか、世界最先端の技術で検証してくれるだろう。
検査のたびにいちいち本国に戻るわけにもいかないので、日本で研究するのは妥当なところだ。
「高レベル者が早く増えてほしいものだ」
玲央先輩がククククと笑っている。
現在、レベルアップしているのは俺たちだけ。
正直なところ、『お仲間』がいた方が安心できる。
迫害されることはないと思うが、俺たち五人はすでに『逸般人』の領域に足を踏み入れている。
超人、新人類、ニュータイプ、スーパーマンなど、言い方はいろいろあるが、既存の範疇に収まっている気がしない。
ぜひともレベルアップして、俺たちの仲間入りしてもらいたい。
「しかし、研究施設ですか……日本も同じでしょうね」
俺の問いかけに、玲央先輩は頷いた。
「あの首相なら、すでに動いているだろう」
首相官邸で、くしゃみをする人がいた。
~首相官邸~
「へっくしょ~い!! コンチクショー」
首相の逸見正人 は、盛大にくしゃみをした。
「マサやん、汚いなぁ……ちゃんと横向いてくしゃみしてくれよう」
官房長官の早坂英治は、ハンカチで顔をふく。
どうやら、盛大に飛沫がかかったようだ。
「ぐずっ……どこかで俺の噂をしている奴がいるな」
「冷房を効かしすぎなんじゃないの?」
「ばかいえ、俺の本気はまだまだこんなものじゃないよ」
暑がりの逸見は、設定温度を下げるよう、よく秘書に命令している。
それを知っている早坂は「こんなところにいたら、風邪ひいちまう」となるべくエアコンの風に当たらない場所に移動している。
「……で、マサやん。落人石じゃなかった……魔石だっけ? それの研究結果が出たんだろ?」
「おう。……っても、まだ簡単なことしか分からないみたいだな」
日本でも自衛隊が持ち帰った魔石の研究をはじめていた。
今回、ようやくひとつの成果が現れたのだった。
「それで、どんな感じ?」
「なんかよう、物理法則が違うんだと」
「……ん? どういうことだい?」
「物を投げれば落ちるし、光だって、物理法則の中でちゃんと説明できるよな。だがあの魔石は、俺たちが知っている物理法則によらない規則性があるらしいんだわ」
「へえ……別世界の法則に支配されてるってことかい?」
「もしくは別宇宙だな。この宇宙の物理法則はこの宇宙でしか通用しない可能性があって、別宇宙があれば、そこで生まれた法則に支配されるんじゃないかっていうことだ」
魔石を調べて分かったことは少ない。
まだ少ないゆえに、提出されたレポートは三十分もあれば読み切れるものだった。
だがその内容は、逸見をしても「驚きに満ちていた」「外に出すのはヤバい」と思えるものだった。
「マサやん、私にも分かるように説明してくれるかな」
「ああ、耳をかっぽじって、よく聞けよ。エネルギーってのは、重さで量ることができないんだとよ。単位の次元が違うとかなんとか。だがな、アインシュタインの有名な公式ってあるだろ?」
「E=mc2だよね」
「そうだ。エネルギーは、質量と光速の二乗に等しいってやつ。矛盾しているようだが、質量はエネルギーを持っているってことだ。方眼紙のような重力場に重い物質を置くと凹んで見えるあれだな」
「それはテレビで見たことあるかな。でも、分かるような、分からないような」
「まあ聞け。その質量――持っているエネルギーは、陽子や中性子を強い相互作用によって閉じ込める力に使われているらしい。その力こそ、この宇宙に存在する四つの力の一つなんだと。だが、魔石は違っていた。エネルギーが、それに縛られていないらしい」
「……? 具体的に言うと?」
「ビッグバンから数えて100マイクロ秒までの間に、クォークの閉じ込めがこの宇宙ではおこったんだが、どうやら魔石がある宇宙には、それがおこらなかったようだ。つまり質量――エネルギーはもっと自由で、光速もバンバン超えるし、質量とエネルギーの交換もかなり楽にできるんじゃないかって話がこのレポートに書いてある」
「へえ~、凄いね」
早坂は途中で考えるのを放棄した。
逸見は、「まあ、しょうがないな」と、それ以上の説明を諦めた。
昔、広島に原爆が落とされた。
使用された総エネルギーは、およそ0.68グラムに換算される。
一円玉の持つエネルギーの68%ほどだ。
核分裂によって、それだけの質量が欠損したとされている。
物質をエネルギーに変換できれば、それだけ強力な兵器が作れるのだが、核分裂を用いるわけだから、簡単にはいかない。
だがこのレポートを信じるならば、魔石はこの宇宙の物理法則に縛られないらしい。
レポートの最後には、魔石の持つポテンシャルが、これでもかと書かれていた。
「魔道具ってやつを早めに手に入れた方がいいだろうな」
このレポートを読んで、逸見はそう独りごちた。
難しい部分は読み飛ばして構いません。分かる人はニヤリとしていただければ。
昔、「強い相互作用」について、正式な言葉ってなかったような気がします。
「強い相互作用」「強い相互作用力」「ストロング・インストラクション」もしくはそのまま英語で表記していたように思います。
覚えていませんが、他にも表現があったと思います。
私はずっと「ストロング・インストラクション」と読んでいたので、「強い相互作用」表記には、やや違和感があります。
大学では物理を専攻しなかったので、どういった表記がスタンダードなのか分かりません。
物理学系の人がいましたら、どのように読んでいたか教えていただけるとありがたいです。




