090 お礼の品
~バッキンガム宮殿 謁見室~
神秘と近しい英国だからだろうか。
昔から、どこからともなく現れた人の話はあったという。
島国とはいえ、大陸から船で渡ることはさほど難しくない。
遠くの国から大陸の端まで逃げてきて、さらに船で海を渡った人はいたらしい。
漁村に住む英国の民は、言葉の通じない者が現れても、暖かく迎え入れたという。
ときどき、海と接していない山中に人が現れても同じ。
そんな歴史があったからか、英国に現れた異世界人は、政府が把握しているよりも多かったようだ。
「あの方もそう……わたくしに話してくれましたが、それは例外。結局、この国の民としてその生涯を閉じたのです」
政府が抱えている異世界人のリストには入っていないと女王は言った。
「そういうリストがあるんだねえ」
家族は作らなかったらしい。
この国の者になろうと努力していたという。
「わたくしがあの戦乱を生き抜くことができましたのも、あの方のおかげです。あの方が最期に望んだこと……それは、わたくし個人の願いでもあります」
どうかこれを彼の故郷へ届けてほしいと、女王は頭を下げた。
「そういうことなら、届けようじゃないか。行ったことのない地だから時間はかかるが、行けない場所ではないからね」
その言葉に、女王は顔をほころばせた。
「ありがとうございます。肩の荷が下りた気がします」
いまこれを渡すわけにはいかないのでと、秘書がやってきてナイフを箱にしまう。
秘書はそのまま壁の端まで下がった。
秘書の姿を目で追っていた蓮吹流は、女王がじっと見つめているのに気づいた。
「なにかな?」
「やはり、魔法使い様は異世界へ赴くことができるのですね」
蓮吹流はピシャリと額を叩いた。
気分的には「やられた!」といった感じだろうか。
「カマをかけたのかい。油断ならないね」
「どうでしょう。ほぼ確信しておりましたが、違う可能性もありましたので」
蓮吹流が異世界へ赴けるのは内緒のはずだった。
気が抜けていたとしか思えない。
日本政府には、行き倒れの異世界人を介抱した云々というカバーストーリーを話してある。
信じたか不明だが、それで押し通すよう、孫には言い聞かせてある。
いまさら自分が表に出るつもりはないし、面倒なことはご免だからだ。
最近はじまったダンジョン探索では、多数の武器防具が異世界から供給された。
その情報も掴んでいるだろう。
鬼参病院で、怪我と病気の治療ポーションを使用した。テレビが入ったとも聞いた。
どう考えても、「だれか」が異世界と地球を往復しているのは明らか。
おそらく日本政府は言いつけを守り、米国以外には、さきのカバーストーリーを話していないだろう。
女王は、知らないはずだ。
英国が手にしている情報はひとつ。
転移で瞬間移動する蓮吹流の存在こそが、異世界へ赴く方法だと確信していたのだろう。
ある意味当然の推理であり、それで正解なのだが、今後を考えれば「では、異世界に行ける者がいるから、渡しておくよ」くらい言ってもよかったのかもしれない。
すべて後の祭りだが。
「今回のは非公式なお話ですし、わたくしはだれにも話しませんよ。秘書たちにも口止めしておきます。つまりここで話したことはすべてなかったことになります」
「そうしてくれるとありがたいねえ。じゃあ。そうしてもらおうか」
人前に出るつもりのない蓮吹流は、女王の提案に乗った。
「それで、届けてもらうお礼ですけど……」
「お礼かい? それはあまり気にしなくてよいんだけどねえ」
「いいえ、これはわたくし個人のお願いです。それに達成できるのは、魔法使い様お一人のようですし」
「もうカマカケには乗らないよ」
やや拗ねたように頬を膨らます蓮吹流に、女王は微笑んだ。
「希望があれば、なんでも仰ってください。叶えられないことも多いですけど、できるだけご希望に添えるよう、努力しますわ」
恩人の最期の頼みを代わりにきいてくれるのだ。
できるだけ希望を叶えるという。
「そうだねえ……」
蓮吹流は腕を組んでしばらく考えていた。
そしてふと思い出して、手のひらをポンッと叩く。
「思い出した。だったら、アレをもらえるかな」
「なんでしょう」
続く言葉に、女王は軽く目を見開き、「ええ、よろしいですよ。もちろん」と快諾した。
~夕闇家 祖母の私室~
「あれ? お祖母ちゃん、帰ってたの?」
孫一が祖母の部屋へ行くと、蓮吹流が正座してお茶を飲んでいた。
「ああ、ついさっき帰ったばかりだよ」
「そうなんだ……ん? 珍しいね。それって紅茶?」
「ああ、英国でもらってきたのさ。孫一も飲むかい?」
「へえ……じゃあ、もらおうかな」
室内に漂ういつもと違う香りに孫一は鼻をひくつかせる。
蓮吹流は和卓の下に置いておいた茶缶を取り出すと、日本茶を淹れるのと同じ要領で、急須に茶葉を入れていく。
「えーっと、紅茶って、そうやって飲むんだっけ?」
「似たようなものだよ」
「そうなのかな? そうなのかも?」
日本茶も紅茶も、お湯でこし出すのは変わらない。ならば正しいのかと孫一が納得するも……。
急須から注がれるのは、栗色の液体。
それを見た孫一は脳がバグりそうになる。
祖母と一緒にいると、このようなことは日常茶飯事。
神経が図太くなければ、祖母とはやっていけない。
「いただきま……す。うまい!?」
香り高いことから予想できたが、普段飲んでいるティーバッグの味とは雲泥の差だった。
「まだあるから、孫一も一缶持っていきなさい」
「ありがとう、お祖母ちゃん。じゃあ、明日会社に持ってって、みんなで飲むよ。それで、用事は済んだの?」
詳しい話は聞いていないが、急に英国へ出かけたのだから、何らかの用があったはずである。
「ああ、今日の分は終わったかね」
今回は、英国女王との個人的な会談。
アーサーが頼んだのはもう一つある。
英国には、魔法を研究する機関が存在しているらしく、そこで協力してほしいというのだ。
これについては保留。
一度顔を出して、そのとき考えようと蓮吹流は思っている。
「へえ、大変だね」
「なあに、行くのは一瞬だからいいのさ」
「まあそうだけど……あれ? そのバッグは?」
蓮吹流が座る横に、古びたバッグが立てかけてあった。
「これかい? これも向こうで貰ってきたのさ」
「ふうん……ずいぶんと古いよね」
革のバッグだ。女性が持つ手提げのバッグ。
ただし相当に古い。手入れが行き届いているようで、飴色の革がいい味を出しているが、新品ではない。
それどころか、アンティークに近い。
蓮吹流は膝の上にバッグを置いた。
「昔、テレビで見てねえ、欲しいと思ったんだよ」
「へえ、テレビで宣伝してたのか」
「……まあいいさ。それでどうだい? 似合うだろ?」
「うん、色合いといい、大きさも形も、お祖母ちゃんにぴったりかも」
「そうかい。それはよかった」
蓮吹流は、満足そうにバッグを撫でる。
「おっと、そうだった。お祖母ちゃん、押し入れにある武器借りるね。ちょっと練習してみたいんだ」
「いいよ。好きなだけ使いな」
孫一は「どこだったかな、たしかこの辺に……」と押し入れをガサゴソとやっている。
蓮吹流は、バッグの正面を見た。
これは、かつて女王が来日したとき、手にしていたバッグだ。
女王からお礼と言われて思い出したのが、それだった。
「気づかないものかねえ……」
バッグの正面には、王冠を被った獅子とユニコーンが象徴的に彫られている。英国王室が使う紋章だ。
蓮吹流はバッグを自分の腕にかけ、感触を確かめる。
「ふむ、まんざらあたしも、捨てたもんじゃないね」
押し入れに頭を突っ込んでいる孫を尻目に、蓮吹流一人、悦に入っていた。




