089 託されたもの
~英国 バッキンガム宮殿~
夕闇蓮吹流は、転移で英国に向かった。
目の前には、バッキンガム宮殿。ここは女王の公邸というだけでなく、世界各国からやってくる賓客をもてなす迎賓館の役割も担っている。
「さて、行きますかね」
門衛に名乗り、来訪を告げると、恭しい礼とともに衛兵の一人が案内役についた。
すでにアーサーから連絡がいっていたのだろう。
すぐに中へ通された。
「……ふうん。以前観光したときと、中身は変わってないねえ」
蓮吹流は過去に一度、ここを訪れたことがある。
宮殿の外を警備する近衛兵とは違い、案内役の男性はスカートを穿いていた。
これはキルトと呼ばれるスコットランド地方の民族衣装だが、蓮吹流は「そういえば、こんな人たちがいたっけねぇ」と、当時を思い出した。
案内役のあとについて、蓮吹流は廊下を進む。
いくつかの部屋を素通りした先にあったのは、両開き扉。
しかも女性が二人、部屋を護るようにして立っているではないか。
まるで宝箱を護る門番のようだと、蓮吹流は思った。
案内役の男性は扉の前に進む。すると、女性たちが流れるような動作で扉を開いた。
中に入れということだろう。蓮吹流は室内に一歩を踏み出した。
なぜか案内役の男性は室内に入らず、入口で一礼して去っていく。扉もすぐに閉められた。
室内に目をやると、本日会う予定の人物が立って待っていた。
「ようこそ、魔法使い様」
穏やかな声だった。
部屋の中央にいるのは一人の老女。端には秘書らしき数人の男女。
蓮吹流を出迎えた老女は、英国の女王だ。それが握手を求めて近づいてきた。
「呼ばれて来たさね」
「わざわざお越しいただいて、嬉しいですわ」
気負いなく答えた蓮吹流に、女王は微笑みで返した。
「なに、近所を歩くよりも簡単だよ」
「そうですか。それにしても、英語が堪能ですね」
「若い頃、あちこち行ったからね。覚えておいて損はなかったかな」
握手のあと、蓮吹流は椅子を勧められた。
絢爛豪華な室内の中央に、小さな丸テーブルがある。
女王と蓮吹流は、向かい合って座る。
「本当はゆっくりとお話ししたいのですけれども」
女王の言葉に、蓮吹流はゆっくりと首を横に振る。
「人の上に立つのは大変だよ。たとえ無駄とは分かっていても、やらなければならないときもある。無駄をはぶいた方がいいときもね……時間は貴重だ。本題といこうじゃないか」
英国女王は、年間でおよそ400もの公務をこなさなければならない。
高齢のため、現在は350ほどに減らしているが、それでも忙しいことには変わりない。
「そうですね。では早速……これを見てもらえるかしら」
女王が合図をすると、一人の女性が装飾された木箱を持ってきた。
女性はフタを外し、豪奢な布を除ける。
中から出てきたのは、古びた一本のナイフ。
「ごめんなさいね。規則で刃物を持たせるわけにはいかないの。だからわたくしが抜いてお見せするわ」
女王はナイフを取り出し、ゆっくりと鞘を外した。
ナイフの刀身が現れる。
蓮吹流は、刀身をマジマジと見た。
通常とは違っている、その刀身を……。
「ふむ。その紋様は……ラシヴァ島の共鳴紋だねえ。見たのははじめてだが、間違いないと思うね」
「やはり……お分かりになりますか」
刀身の表面は、揺れていた。
水の波紋が浮かんでは消え、また浮かんでは消えているのだ。
刃の表面だけ、やまない雨が降っているかのようだった。
「しっかりと握って魔力を流すと、波紋が魔力と共鳴するのさ。だから共鳴紋。ラシヴァ島の戦士が好んで使う武器だと記憶しているけど……さて?」
ナイフは、地球に存在しない金属でできている。
もしこの金属が地球にあったとしても、そのナイフは作成不可能。
なぜならば、鍛冶に魔力を使うからだ。
どれほど冶金技術があろうとも、魔力を持っていない限り作ることはできない。
「ラシヴァ島は、ウェールズと同じくらいの島だと聞きました」
蓮吹流が頷くの確認してから、女王は続けた。
「わたくしが魔法使い様とお話したかったのは、このナイフを届けてほしいとお願いしたかったからです。これはわたくしの恩人が所持していたもので、その方から託されました」
「ということは、その人物は……」
女王は首を左右に振った。
「その方の最期の願いが、『いつでもいいから、これを故郷に』というものでした」
「……なるほどねえ。ラシヴァ島の戦士は、魂は剣に宿ると考えていたはず」
「いまから百年ほど前でしょうか、その方がこちらに来られたのは……」
女王は多くを語らなかったが、ナイフの持ち主が異世界からやってきたのは明白である。
その者にとって、ここはまったく知らない土地、言葉の通じない国、常識や価値観の違う世界だ。
いかなラシヴァ島の戦士といえども、生きていくのは大変だっただろう。
「苦労したのだろうね」
女王は頷く。
「わたくしが彼と出会ったのは、英独戦争がはじまった頃です。そのときわたくしは、銃後を支える活動に参加していました」
英独戦争によって、ドイツ軍は英国の軍事施設へ爆撃を行った。
その後は首都ロンドンすら、爆撃目標に変えた。
当時王女だった彼女は、国王である父親とともに、ギリギリまでロンドンに留まった。
だが、空襲がいよいよ激しくなって、首都を離れた。
「いつ本土上陸作戦が開始されるのか、国民は戦々恐々としていました。わたくしは、王女の務めとして各種連隊を慰問してまわったのです。あるとき、一発の爆弾がわたくしの近くで爆発しました」
王女の慰問先は、軍事施設や連隊の駐屯地である。
それらは、ドイツ空軍の優先的攻撃目標となっていた。
ちょうど慰問中、哨戒網をくぐり抜けて飛んできた爆撃機が爆弾を落としたのである。
「ではその者が?」
「はい。身体を張って助けてくれました」
その者は英国籍を持っていなかったが、当時は欧州や米国から多数の義勇兵が参加していた。
そんな義勇兵の一人として軍に入り、慰問先の部隊にいたらしい。戦士らしい行動だと蓮吹流は思った。
「親子以上に歳が離れていましたので、ラブロマンスこそありませんでしたが、とても信頼に足る方でした。戦争終結まで、何度も助けていただいたのです」
王女の代わりに爆弾の破片を浴びたのだ。
英雄を死なせてはならないと、医師たちが張り切った。
回復すれば、王女は当然見舞いに訪れる。
何があったのか蓮吹流は想像するしかないが、異世界から来た男は、その後も王女の身辺近くにいることを許されたのだろう。
戦争中だからこそありえる特例措置だったのかもしれない。
「そして運命のあの日……戦勝記念の夜のことです。わたくしは、彼から本当の出自を聞きました。ここではないどこかにある別の世界の話を……わたくしは聞いたのです」
この前日に、ドイツが降伏調印文書に署名している。
翌日は英国中がお祭り騒ぎとなり、とくにロンドンでは、多くの群衆が外でパレードに参加していた。
「いまでも当時のことは思い出せます。トラファルガー広場からここまで、パレードの群衆で埋まっていました。そのときわたくしは、我が国の秘密の一端を知ることになったのです」
女王は、当時を懐かしむかのように目を閉じた。
本話は悩みました。
というのも、プロット段階でエリザベス女王がお亡くなりになるとは思っていませんでしたので。
本文中に具体的な名前こそ出していませんが、この物語の中では生きています。
そう思ってください。
これまでも、名前を出すときは必ず変えていますし、そうでないときは役職のみで表記しています。
これは昔から変わりません。今回は「女王」で統一しています。
つまり同一人物ではありません。あくまで似た人と思ってください。
それと『ヨーロッパ戦勝記念日』と『ドイツの降伏文書署名日』ですが、通常は同日(1945年5月8日)と言うことが多いと思います。
これ自体は正しいのですが、降伏や署名は前日の7日に行われ、英国に伝わったのは8日です。
この8日を『ヨーロッパ戦勝記念日』として、ドイツが降伏した日としています。英国民が知ったのが8日ということです。
ですが、7日の段階でドイツは降伏していますので、本文中で「前日」という表現を使いました。
細かいことですが、ツッコミが入るかなと思ったのでここに書いておきます。
また、その日の夜のことは映画『ロイヤル・ナイト』にもあるとおり、エリザベス王女はマーガレット王女とともに市井に繰り出して、一緒に戦勝を祝ったとされています。
映画『ロイヤル・ナイト』は私も映画館で観ましたので、一応オススメしておきます。
英国史や王室に詳しかったりするとニヤリとできます。
最後ですが、本文中にあります「パレードがトラファルガー広場からバッキンガム宮殿まで続いた」というのも事実のようです。
あの辺の地理はだいたい分かりますが、「まあ、あり得るかな」と思います。
以上、簡単な説明でしたが、上記についてはツッコミなしでお願いします。
それと「なろう」の更新で「予約投稿部分は投稿文字数に含まれない」仕様に変更になったようです。
以前、170話くらいまでストックのある物語で、最初の50話ほどを予約投稿したところ、読者には30万字ほどあるように見えてしまい、「あると思って読んだらなかった」「なにこれ? なんでないの?」「そういう紛らわしいことしないでください!」とクレームが入りしました。
仕様です。
気にしない人も多いと思いますが、予約投稿分の文字数は見えない方がいいかなと個人的に思ったりします。
ですので、今後は文字数に惑わされることなく作者も読者も楽しめると思います。
よかったですね!
それでは引き続きよろしくお願いします。




