088 英国の妖精伝説
~ダンジョン探索終了後の牟呂と鬼参~
その日の探索が終わった。
ダンジョンから出た五人は、男女に分かれて更衣室に向かった。
「今日はいい感じだったな。……つぅわけで、帰り、どっか寄っていかね?」
座倉勇三が、夕闇孫一の肩を叩く。
「いいけど、またあのファミレスだろ?」
「おうよ。あそこの制服、いいと思わね? アルバイトの娘も可愛いしさ」
「どうかな。……まあ、付き合うよ」
「よし、じゃあ行こうぜ。すぐ行こう!」
二人は揃って更衣室を出て行った。
牟呂翔は、二人の後ろ姿を見送りつつ着替えをしていると、腕が服に引っかかる。
「……ん? 太ったか?」
ゆっくりとシャツに腕を通して気がついた。腕が太くなり、シャツがキツイのだ。
もう何年も体型は変わっていなかった。それゆえ気づくのが遅れたのだ。
「筋肉がついたのか。これは困ったな」
いま着ているシャツは、もともとゆったりとしたものだった。
どうやらダンジョン探索を続けているうちに、腕や肩、背中の筋肉が盛り上がってきたらしい。
思い返してみると、無意識に大きな服を選んでいたようだ。
この分なら、家にある服の大部分はキツイか着られなくなっているだろう。
しばらく腕を回したりして着心地を確認したあと、「今度服を買いに行くか」と諦めた。
牟呂が更衣室を出ると、廊下で鬼参玲央が窓の外を眺めていた。
「あっ、すみません。鍵を閉めるんですよね。いま帰ります」
玲央は、牟呂が出てくるのを待っていたようだ。
「時間はありますから、慌てなくていいですよ」
言われて牟呂は腕時計に目をやる。時刻は午後八時半。
探索が遅くなるときは、余裕で九時をまわる。今日は早いほうだ。
「それでも、待たせてすみませんでした」
玲央がいくつかの部屋へ鍵をかけて、最後に建物全体のセキュリティを入れた。
牟呂はそれを見届けて、一緒に建物を出た。
「今日の当番は私なのだ。待っていなくてもよかったのに」
「上司を置いて帰るわけにはいかないと思いまして……」
そう答える牟呂に、玲央は笑みを返す。
「それは、社会人あるあるかな?」
玲央の方が年下である。
牟呂とは、一緒にダンジョン探索をする仲間であるが、社内では彼の上司となる。
「そうですね。怖い上司のときはとくに」
「なるほど、覚えておこう」
もちろん、今の会話は双方とも冗談だと分かっている。
そのくらい軽口をたたけるくらいには、親しくなったとも言える。
「ホテルに勤めていたときは、下っ端は誰よりも早く来て、遅く帰るよう徹底されていました」
「ふむ、古い考え方だが、私は嫌いではないよ」
礼儀や礼節は、一朝一夕で身につくものではない。
付け焼き刃ではどこかでボロが出るものだ。
そういえばと、玲央は思った。
牟呂はホテルで相当鍛えられたのだろう。社会人経験のない孫一や勇三に比べてしっかりしている。
「今日の探索で……少し思ったのですけど」
「……ん? なにかな?」
「途中、考え込んでいましたよね。英国になにか思うところがありましたか?」
牟呂に言われて、玲央はよく見ていると思った。
考え込んでいたのは事実だ。
なるべく表情や仕草を出さないよう気をつけていたが、バレていたらしい。
「戦闘に集中すべきであったな。すまない」
「いえ、ただ……どこにそんな考え込む要素があったかなと思いまして」
「そういうことか。……ダンジョンの事を知ってからだが、いろいろ調べたことがある。とくに茂助くんの家に居候しているときは、よく意見交換していた」
ダンジョンにはじまり、異世界、魔物、スキル、ポーションというおとぎ話に出てくるようなものが現実になった。
玲央はそれを事実として受け止めつつ、古今東西、似たような事象がないか、個人的に調べていたと話した。
「千在寺くんと意見交換ですか」
「うむ。世界のおとぎ話になにかヒントはないかと思ってな」
「言われてみれば、気になりますね」
「英国と聞いて、『英国の妖精伝説』の話を思い出してしまったというわけさ。もともと英国は魔法と親しい。つい、いろいろと考えてしまった」
「英国小説の中には、いまだ妖精伝説をモチーフにしたり、魔法が出てくる物語が多いですね」
英国が発行する本の中には、牟呂の言った通り、妖精や魔法が登場するものが多数ある。
牟呂も、世界的に有名な小説を一つ思い浮かべた。
シリーズが映画化されて、牟呂も映画館でいくつか鑑賞したことがある。
「日本の落人伝説と同じものが英国にあって、証拠となるもの――たとえば魔石が残されていた場合、どこが保管しているだろうと思ってな」
異世界からもたらされたとされる魔石は、いくつかの国でも存在が確認されている。
英国に魔石があった場合、どこで研究や保管をしているのだろうか。
魔石だけではない。魔道具はあるのか。あったとして、現在でも使用可能なのか。
そもそも異世界人がいるということは考えられるか?
加えて、なぜ孫一の祖母は、急に英国へ出かけたのか。その理由は?
戦闘中にもかかわらず、そんなことを考えていたと玲央は言った。
「たしかに歴史ある英国なら、魔石や魔道具を持っていることは、ありえるかもしれないですね」
「それとこの前、首相から連絡が来たのだよ……まったく困ったものだが」
玲央は、株式会社ダンジョン・ドリームスの代表取締役である。
孫一と勇三が「難しいことは分からない」と玲央に投げたため、仕方なくトップに就任した経緯がある。
そのせいで、面倒な連絡はすべて玲央のところに来る。
今回は、世間を賑わせた病気と怪我治療のポーションについてである。
鬼参病院の患者にポーションを使用したので、玲央のところへ連絡が来るのは当然かもしれないが、面倒なことには変わりない。
そのうち自作ポーションを販売したい玲央としては、首相からの電話を無下にもできない。
思うことはあったが、都合30分ほど会話した。
そのとき首相は「まだ公式発表できるほど煮詰まってはいないのだが」と前置きした上で、『総務省』の中に『ダンジョン統括局』を新設する計画があると伝えてきた。
とにかく世界はダンジョンに関する些細な情報でも欲しがる。
各国から日本政府に問い合わせが殺到したのは、当然のことと言えよう。
それは国家のみならず、会社・団体・組織も同じ。
どこに問い合わせたらいいか分からないため、人々はとりあえず『お上』のところへもってくるのだ。
各部署が個別に答えるわけにもいかず、情報共有もなされていない。
話をどこかの部署に押しつけるにも、妥当なところがない。
それゆえ、ダンジョンに関するすべてを扱う部署が必要という結論に至った。
現在、有識者が意見を出し合い、『ダンジョン統括局』新設に向けて、動いているらしい。
「新しい組織の誕生ですか……それはまた」
それだけ国も本気なのだろう。牟呂は笑おうとして、口の端が引きつった。
自分が属している会社の影響力は、どれほどなのか。
「今年をダンジョン元年として、新しい時代が到来したと私は考えている。ならば、それに合わせた体制は必要だろう……それで思ったのだ。神秘の国である英国は、もしかするとそういう団体や集団、組織があるのではないかと」
玲央は、ここから遠く離れた英国の方角へ目を向けた。
そんな様子を牟呂は見つめ、「ありえる話ですね」と相づちを打った。
~英国 バッキンガム宮殿内にある接見室~
英国王室が所有する由緒ある建物は数多い。
中でも『バッキンガム宮殿』はその中でもっとも有名な場所だろう。
現在、英国女王が居住する宮殿としてだけでなく、観光客が多数訪れるメジャースポットとなっている。
もっとも、いまは一般公開されていない時期であるため、広大な敷地も静まりかえっている。
宮殿内にある接見室では、英国女王が目の前に座る老女に向かって刃物を抜いたところだった。




