086 島国からのお願い
監視カメラの存在でバレたらしい。
蓮吹流は、最後に残ったせんべいに手を伸ばす。
行き先のイメージがしっかり固まっていれば、ある程度自由に転移できる。
彼女にとって、人の目と監視カメラは、もっとも注意することのひとつだった。
「当時は、ストリートビューという便利なものがなかったしねえ」
パンフレットに載っている場所へしか転移できない。
できるだけ現地時間の夜中に転移していたが、そうでないことも結構あった。
彼女は、カラになったお茶請けのカゴを眺める。
どうやらいつの間にか、本日分のおやつを食べきってしまったようだ。
「それでもここ十年ほどは、確認が取れていなかったと聞いています」
アーサーが頭を下げたまま答える。
ストレンジレディと名付けられた未知の存在。
英国政府も、存在は確認していても、どこのだれかは分からなかったようだ。
蓮吹流もまさか、自分がそんな名で呼ばれているとは思っていなかった。
子育ても一段落し、暇を持て余していたあの頃、人の目がある場所に転移したことは二度や三度ではきかない。
二十年以上前ならば、監視カメラに写っていたこともあっただろう。
「まあ、頭を上げなさいな。……それで、あたしを呼ぶ目的はなんだい?」
「女王陛下はただ、お話をしたいと申してます」
「……?」
政治的な思惑がなく、ただ話がしたいだけ。でもなぜ? と彼女は首を傾げる。
「そして我が国の魔法組織であります『フェアリーリング』ですが……魔法使い様に教えを請いたいと、それと研究にご協力いただけたらと申しています」
「研究ねえ……あたしは難しいことなんて分かりゃしないよ」
「『フェアリーリンク』は、魔法の基礎研究を行っています。体系化も。米国のように魔法を邪なことには使いません」
「……ふむ」
「我が国は昔から、神秘とともに歩む国であります。神秘を支配するような野望は未来永劫抱かないと誓います」
「ずいぶんと真摯な態度だけど……」
「私どもは、神秘とともにあり続けた国でございますれば、信じていただければ幸いです」
「……まあ、それはいいのだけど、研究? それに協力と言われてもねえ……一体なんの研究をしているのやら」
「さまざまな研究をしていると聞いております。火急なものとして、魔力の質量を測ることかと。その協力依頼かと思います」
魔力の質量を測る――意外過ぎる言葉が出てきたため、 蓮吹流は疑問を深くする。
「それはどういう……もしかして、さっきの米国のどうこうと関係あるのかい?」
「はっ、それはもう」
「ふむ……分かるように話してくれるかい?」
「はい。簡単に説明しますと、米国は魔力をエネルギーとして取り出す研究をしています」
「そのくらいはするだろうね」
魔石の中にはエネルギーが詰まっている。
魔道具はそこから魔力を引き出しているのだから、魔道具以外への利用を考えるのは当然のことだろう。
「最近の研究では……計測機器の向上がはかられまして、エネルギーそのものの重さを量ることができるようになりました」
アーサーは語る。
アインシュタインが発見した公式に、質量とエネルギーに関するE=mc2というものがある。
宇宙の真理とも言われる偉大な公式であるが、これが意味することを理解している者は意外と少ない。
――質量はエネルギーと交換できる
これは何を意味するのか。
たとえば一円玉(1グラム)は、9兆ジュールと交換できる。
広島に投下された原子爆弾の総エネルギーがおよそ5.5兆ジュールと言われているのだから、その大きさが分かる。
最近、計測機器が向上したことで、この質量とエネルギーの関係がまたひとつ明らかになった。
たとえばバッテリー。
これまでフル充電されたバッテリーと空のバッテリーの重さは「変わらない」と思われていた。
厳密には変わらなかった。
バッテリーを充電する、つまりバッテリー内に電位差を生じさせる(電子を移動させる)行為でバッテリー自体が重くなるはずがないと思われていたのだ。
充電は電子を移動させる行為。
部屋の模様替えをしただけで、部屋の質量が変わるはずがない。
ところが実際に計測してみると、ほんのわずかだけバッテリーが重くなっていた。
バッテリーは発熱し、さらに重くなった。つまりエネルギーは熱と質量に変換されているのだ。
化学反応で瞬時に大量のエネルギーを取り出す方法はないが、原子核反応ならば存在する。
原子爆弾や原子力発電所以外にも、自然界には太陽という自然界でおこる原子核反応が存在している。
では魔力はどうか。
その規模はどれほどなのか、瞬時に取り出せるのか、エネルギー効率はどうなのか。そして安定かつ安全に取り出せるのか。
研究内容は数多く、多岐にわたるだろう。
そのとっかかりとなるのが……。
「魔法使い様にご協力いただき、魔力の重さを量らせてほしいと聞いています」
アーサーの話を聞いて、なるほどと彼女は頷いた。
おそらく、魔石から魔力を取り出す研究も同時にしているのだろう。
すでに理論が完成しているかもしれないし、取り出しに成功している可能性もある。
そして化学反応や原子核反応よりも効率的にかつ安全にエネルギーを取り出すことができたならば、世界が変わる。
もしくは世界を支配できる。
それゆえアーサーは、くどいほど「神秘とともに」、「邪な考えはない」と無害であると繰り返しているのだ。
「どうしたものかねえ……」
協力してほしいと言われたところで、魔法は使うもので研究したことはない。
ここは断るべきではと彼女が考えていると、アーサーはまた頭を下げた。
「この件に関して、私は全権を委任されております。報酬は可能な限り要望に応えます。地位をお望みでしたら男爵ならばすぐにでも!」
「いやだよ、表に出るのは」
準貴族の騎士ではなく、その上の一代貴族である男爵を持ってくるあたり、英国は本気なのだろう。
蓮吹流は、大きくため息をついた。
好き勝手転移したツケがここにまわってきたのだ。
「しかたないね。とりあえず会ってみようかね。研究の協力はどうしようか……そうだ、これを持っておゆき」
彼女は書き物机に置いてあったペーパーウエイトをアーサーの前に置く。
「これは……?」
「紙置きに使ってるのだけど、魔力を込められる石だよ。満杯になるまで込めておけば十日くらいかけて抜けていくから、使ってみればどうかね」
「はっ、ありがとうございます」
アーサーは異世界の『石』をうやうやしく受け取った。
「女王陛下には、近いうちに遊びにいくと伝えておきな」
そう言いつつ、どこへ転移すればいいのだろうと、彼女は少しだけ悩んだ。
いくら相手がこちらのことを分かっているからといって、警備厳重な建物の中、それも私室へ転移するのはまずかろうと考えるのであった。
次話は掲示板回になります。




