表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ダンジョン商売  作者: もぎ すず
第三章 周囲が騒がしいようです
86/99

083 新しい宇宙理論

 鬼参(おにまいり)総合病院の一室に、厳格そうな老人が横になっている。

 ベッド脇には、水差しと古めかしい本。そして、書きかけと思しきレポート用紙が積み上げられている。


 横になっている老人は、宇宙物理学者の日置内(ひきない)源一郎(げんいちろう)

「前にも言ったが、金はないぞ。そういう学問でもないのだからな」


 身体を動かすことすらだるいのか、枕から頭が上がらないまま、日置内老は答えた。

「ええ、これは治療ではありませんので」


 薬機法の認可を受けていないポーションは、薬として使うことはできない。

 その辺の水となんら変わりない扱いだ。つまりこれは、治療行為ではない。


 玲央先輩がポーションを差し出す。

 老人は、「このまま死ぬものと思っていたのだがな」と自嘲の笑みを浮かべたあと、ゆっくりと手を伸ばした。


 枯れ木のような手だ。

 すでに一度、大きな手術をしている。腹の中のものをごっそりと取ってしまったと聞いた。


 取り除いた内臓はバケツ一杯分にものぼったというのだから、相当なものだ。

 それでもまだ生にしがみついているのは、やり残したことがあるからだろう。


 日置内老人は、長い時間をかけてポーションを飲み干した。


 効果はすぐに現れ、老人の全身が発光した。

 ありとあらゆるところに病巣があるのだろう。


「おおおっ……身体が軽いな。何年ぶりであろうか」

 老人は上体を起こし、震える手で自らの身体を確認した。


「治ったようですね」

 今日はテレビクルーを呼んでいない。ゆえに病室は、俺と玲央先輩を除けば、日置内老人のみである。


 医師や看護師は遠慮してもらっている。

 これは医療行為ではないので、普通の見舞客が持参した見舞品を飲み干しただけ。


「教え子たちが動いたと聞いている。迷惑をかけたのだろう。申し訳ない。そしてありがとう」

 老人は立ち上がり、俺たちに向かって深々と頭を下げた。


「いえ、こちらにも利があることですから」

 返答する玲央先輩の凛々しい横顔。それをじっと見つめる老人。まるで一枚の絵のような美しさがある。


 たしかに今回のことは、俺たちにも利がある。

 ただ宣伝するだけでは、ポーションの効果を正しく伝えることができない。


 客観性もなければ、科学的根拠もない。

 ゆえに、どこかで大規模なパフォーマンスをする必要があったのだ。


 それと今度……まだ世間には内緒だが、玲央先輩が作成した最低級のポーションを売りに出す予定である。

 玲央先輩謹製のポーションを『研究用』として世間に販売するのだ。


「これですか? 今回ほどの効果はありませんけど、モノとしては同じものですよ、みなさん研究用にどうですか?」と言えば、世間はどうなるか。


「さあて、いくらで売れるかな」と玲央先輩は悪い顔をしていた。

 売る予定のポーションは『(やまい)払いの水』で、軽い病気を治療するものだ。


 発熱、頭痛、風邪などに効果があり、他の症状でも緩和できるものもあったりする。


「軽度の水虫なら治るから、それなりに需要はあったねえ」

 祖母はそんなことを言っていた。


 みなこぞって手に入れようとするだろう。

 開封したら効果が一日しか持たないことから、研究を続けるには継続して買うしかない。


「そのあとは、『癒やしの水』だな、フフフ……」

 と言っていたので、玲央先輩の野望は果てしなく続く……はずである。


「それで、ワシに聞きたいことがあると聞いたが」

 日置内教授は、研究者の顔に戻った。


「はい。教授(せんせい)が研究されている多元宇宙論についてです。研究途中であることは重々承知していますが、俺たちに分かりやすく説明してもらえると助かります」


「ダンジョンのために多元宇宙論に着目したか」

「はい。……といっても、俺は宇宙物理学は素人ですので、教授の話がどこまで理解できるか分かりませんが」


「簡単な話ならばすぐにできる。たとえば……反物質は、一瞬だけ人工的に造り出すことができたとかじゃな。それは知っておるかの?」

「はい。簡単には」


「加速器の中でじゃが、反陽子(はんようし)の生成が確認された。反陽子が存在するのなら、陽子と反陽子の差異について詳細に調べたくなるじゃろ?」


 反陽子は、陽子と同じ性質をもっていて、エネルギーが真逆。陽子が1なら、反陽子は-1となる。

 ビッグバンで0から1がうまれれば、-1も当然生まれる。


「教授は対消滅で反物質がすべて消えて、物質だけが残ったことに疑問を抱いたのですよね」

「そう。それを考える上で重要なのが、反物質がまったく同一の質量かどうかじゃ」


 質量がわずかでも違えば、対消滅せずに残る可能性がある。

「同一なのですか?」


「反陽子を精密に調べた結果、磁気モーメントに一切の差異は見られなかった。つまり、エネルギーだけ真逆で、それ以外はすべて陽子と同一。同量の陽子と反陽子がぶつかれば、必ず対消滅することが分かった」

「でも、この宇宙は陽子で溢れている」


「うむ。これに理由をつけるとすれば、ビッグバンがおこったとき、物質がはじめから多く生成されたか、もしくは反物質がどこかへ流れていってしまったかだ」


 宇宙に穴が空いて、この宇宙に残ったのと同量の反物質がそこから別の空間へ漏れ出てしまった。

 もしそうならば、この宇宙にある物質と同量の反物質でできた宇宙が存在していることになる。


「それが多元宇宙論のもととなった考え方なのですね」


相転移(そうてんい)によって、一部の反物質が物質に変化した可能性もあるが、なぜ相転移で反物質が物質になったのか、それを可能とするエネルギーはどこからきたのか、そもそも相転移がおこりえるのかなどの問題が残っておる。他の物理学者どもは、それをやっきになって証明しようとしておるわ」

 老人は呵々と笑った。


「でも教授は、違うと考えているわけですよね」


「宇宙開闢の頃は、物質も反物質ももっと自由に動けておった。物質は超高速で飛び回っておったのじゃ。宇宙はまさに高エネルギー状態。反物質が宇宙の外へ飛び出すことくらいあっても不思議ではあるまい」


 教授の説明は続いたが、正直俺の頭ではこれ以上ついていけない。

 一応、教授の話を録音させてもらっているので、あとで茂助先輩に聞いてもらう。


「それで、『見えない宇宙』について聞いてほしいと言われまして……話を聞いても正直、俺に理解できるか謎ですけど」


茂助先輩は「物質と反物質は完全に対称でござる。ゆえに、対称となる別の宇宙が存在しているはずでござる」と言っていた。


「見えない宇宙か……たしかに儂はそれを研究しておる。存在を確認するために何が必要か、どのような手段を用いるかをここで論じてもせんないな。よし、ひとつの仮説を披露しよう」


「仮説ですか?」

「うむ。物質でできた宇宙と対になる反物質でできた()()()があるとする。その反宇宙はどんな世界だと思うね?」


「えっ? いきなりですか? えーっと……そうですね……ごめんなさい。分からないです」

 俺はそれほど勉強ができるわけではないのだ。物理学者が研究するような内容にすぐに答えられると思わないでほしい。


「普通の世界が広がる『普通の宇宙』じゃよ。そこにある花瓶に花、窓の外に広がる世界、儂がいま手にしているコップなどが普通に存在しているはずじゃ。ただし、すべてのエネルギーがマイナスになっているがな」


 どうやら反宇宙といえども、俺たちがいまいる世界となんら変わらないらしい。

 唯一違うのは、エネルギーがマイナスであること。


 でもそのマイナスエネルギーの世界って、どういうものだ?

 俺が不思議そうな顔をしていたのが分かったのか、教授は先を続けた。


「物質で構成された儂らがそこへ行けば、たちまち対消滅してしまうぞ。たとえば、いま持っているコップが反宇宙のものだったとしたら、儂の手首ごとコップは対消滅で消える。そういう世界じゃ」


「……物騒ですね」

 その世界に顕現した瞬間、対消滅するわけか。恐ろしい世界だな。


「儂は宇宙が生まれた僅かな時間のことを長年研究してきた。そこに答え……いや、ヒントがあると考えてな。そしてある矛盾に気づいたのじゃ」


「矛盾ですか? それはどういう……」


「当時の宇宙は高エネルギー状態で、物質はどれも光速を超えていた。すべての粒子が自由気ままに移動していたわけじゃが、どう計算してもこの宇宙の外へ脱出できるほどのエネルギーを物質は持っていない。つまり儂の計算が間違っているか、前提が違っているかじゃ」


 教授は紙に二つの丸を描いた。

「こっちが宇宙で、これが反宇宙としよう。ともに交わることはない。対消滅してしまうからのう」


「そうですね……それは?」

 教授は二つの宇宙をつなぐトンネルを描いた。


「これがいま儂が研究しているテーマじゃ。反転(はんてん)空間と名付けておる。反物質は、物質とぶつかり対消滅を起こすほんの少し前に、一部の粒子が一瞬だけエネルギー反転を起こし、マイナスだったものがゼロに変わったのじゃな。そのとき宇宙の壁を超えたと思える。すぐにもとの反物質に戻ったが、そこに取り残された粒子が存在している」


 教授はトンネルを指さした。

「見えない宇宙、つまり反宇宙は観測することは不可能じゃ。観測した瞬間に、光子すら対消滅するからのう。じゃが、この反転空間に取り残された物質だけは別じゃ。もしエネルギー反転を終えてもとの反物質に戻ったならば、反宇宙に弾き飛ばされておるじゃろう。じゃが、ここに残った物質が存在し、それを証明できれば、そのさきにある反宇宙、つまり『見えない宇宙』を見ることにつながる」


 つまり、教授の頭の中には、宇宙と反宇宙、そしてそれを繋いでいる反転空間というものが存在しているらしい。

 それが俺たちのダンジョン商売と何の関係があるのだろうか。


 もしかして茂助さんは、この答えを知っているのだろうか。



難しい話はここまでにしておいて(笑)

一応、異世界として設定したことを自分なりに現実世界に落とし込んだものだったりします。

それではまた明日!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] む、むつかしい けどこれぞSFですね!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ