068 予約開始悲喜こもごも
7月になった。
牟呂さんと東海林さんのレベル上げは順調に進んでいる。
ついに、探索者の予約がスタートした。
早いもの勝ちではないのだが、初日から多くの登録が行われたようだ。
茂助先輩は、サーバーの負荷を見ながら、頑張っているようだ。
そして俺も……。
「よし、いまから夕闇のタイムを計るぞ。みんな現代の魔法使いの実力を見ておけよ」
俺はこれから、体育の授業で前人未到の記録を打ち立てる予定だ。
陸上部が所持している電子記録装置を導入しての計測だ。
競技大会とかで使用するあれ。
ストップウォッチだと、コンマ何秒か反応が遅れるらしい。体育の授業で、そこまで厳密に測らなくてもと思うが、それは言うまい。
「よーい……(パァン)」
身体強化した状態で、一気に100メートルを走り切る。
「…………」
周囲から感嘆の声が……上がらなかった。
「記録は?」
計測器は100分の1秒まで測ることができる。
表示版をみると、[00:05.21]と記されていた。
「5秒2か。もう少し速いと思ったんだけどな」
スタートダッシュに慣れていないのと、靴が滑るため、全力を出しきれなかったのが悔やまれる。
「いや、十分速いからな。目で追ってても、信じられなかったぞ」
体育教師が、自身で測ったストップウォッチと見比べている。
「1年近くレベル上げをした成果ですね」
「ということは、だれでもそれくらいになれるのか?」
「まあ、そうです」
「そうか……」
生身でこれだけの速度が出せるとなると、真面目に練習する人はいなくなるんじゃなかろうか。
どんなスプリンターでも、レベルを5に上げた人より遅いのだから。
「それは俺みたいな年寄りでも同じなのか?」
「もちろんですよ。先生だったら、十分可能です。それにレベルアップすると寿命が延びますからね。100歳くらいまで現役でいけますよ」
体育教師は40代前半くらいで、年寄りとは程遠い。
それでも肉体の衰えは感じているのだろう。
「そうか……時代は変わったな」
たぶん、変わったのは時代ではないと思う。
~祓魔一族~
「本当にこれしか手がないのか?」
鞍馬緋罪は、一族の者からあがってきた報告に渋面をつくった。
株式会社ダンジョンドリームスは、昏きモノを生み出すダンジョンを所有しているのは、ほぼ間違いない。
どのような仕組みなのか、彼らはそこへ一般の者を入れるという。
祓魔一族もその名にかけて、昏きモノを殲滅させるため、ダンジョンに赴くつもりだ。
だが、それには抽選に勝ち残る必要があるという。
「一族総出で、名前を書いてございます」
みなで五人組をつくり、登録したという。
「なんともはや、情けない……して、これでそのダンジョンとやらには、入れるのであろうな」
「いえそれが……」
「どうした?」
「数が多いと抽選に漏れることもありますので」
「分かっておる。それでも、一族総出で申し込んだのであろう? 一組や二組は……駄目なのか?」
「とにかく数が必要かと思いまして、少しでも関わりのある者の名前を入れました。それで24組」
「うむ。十分じゃな」
「巷の噂では、倍率は100倍を超えてもおかしくないと……」
「なんじゃと!?」
「もっ、申し訳っ!」
「……いやいい。怒鳴って済まなかったな。しかし、それほどか?」
「はい。それと監視していた者からの報告ですが、政府が接触したと……」
「ふん、権力者が目の色をかえて動き出したか」
昏きモノを排除することを優先している祓魔一族において、官憲や政治家たちは邪魔でしかない。
とくに法が厳密に施行される現代になってからは、それが顕著である。
「そういえば、先日捕まった木賊の小倅はどうなった?」
「すでに釈放されておりますが、2度の不法侵入でしたので、10日ほど留め置かれたようです」
なにしろ現代では、「だれの土地でもない」という場所は日本に存在していない。
どこも、私有地か国有地なのである。
入るのにいちいち許可など求めることをしないため、通報されれば逃げるしかなく、あとで周辺の監視カメラから警察がやってくることも多くなった。
祓魔一族にとって、国家権力は邪魔者どころか、敵ですらあった。
「本人たちへの接触はどうだ? 監視対象を増やしたはずだな」
「こちらの意図を悟らせずに接触するのは難しく……最近では、やっかいな者たちが周辺を固めており、突破も難しく……気づかれない範囲で遠くから見るに留めています」
「我らは監視などしたことがなかったからな……抽選にかけるしかないか」
緋罪は、恐縮する一族の者を下がらせた。
「しかし……あのダンジョンとやらは、どこに通じているのやら。まさか、あやつらが昏きモノを生み出しているのではなかろうな」
様々な可能性を考えるものの、緋罪にはあのダンジョンがどのような理屈で存在しているのか、いまだ何も分からない。
~内閣情報調査室~
ここは、政府直属の諜報機関である。
アメリカにあるCIAや、イギリスのMI6のように有名かつ大規模な組織ではないが、それぞれが各分野のトップエリート、少数精鋭の組織である。
港区芝浦にあるとあるビルが、内閣情報調査室の隠された本拠地である。
内閣府にある部屋は、いわば表向きのもの。
この芝浦のビルでは日夜、日本を狙うスパイたちを逆監視している。
「ついに一般募集がはじまったようだが……それにしては、各国の動きが鈍いな」
各国の諜報機関が、株式会社ダンジョンドリームスに注目していないはずはなく、これを期に一気にスパイを送り込んでくるかと思われたのだ。
だが実際は、途上国のいくつかの国からやってきただけ。
大国の動きは鈍い。
室長の北野平司は、入国管理事務所から送られてきた一覧を眺めて、首を捻った。
「アメリカが共闘を持ちかけてきたと聞いていますが、そのせいでしょうか」
職員の小山内勉は極めて常識的な言葉を口にした。
「他国はアメリカが抑えますから、一枚噛ませてくださいか? それくらい楽ならいいのだがな」
今回、スパイを水際で食い止めるにおいて、北野だけは、政府が保持している秘密の一端を明かされていた。
アメリカは、まるでオーパーツのようなもの――重力を制御する『何か』を保持しているらしい。
ただしそれを動かすエネルギーは有限。
そのオーパーツを宇宙開発に使えば、軍事的優位は完全に確保される。
その喉から手が出るほどほしいエネルギーが、『あのダンジョン』からとれるらしいのだ。
「なあ、小山内くん。地球上でもっとも高価なものってなんだか分かるか?」
「えと、北野室長。質問が漠然としすぎてますけど」
「そうか? だったら同じ重さで、もっとも高額になるもの……でどうだ?」
「でしたら、金とかですか? 純金って、結構高いですよね」
「いや、それよりもっと高価なものは一杯あるよ。たとえばパラジウム、プルトニウム、ダイアモンド……だけどな、それを遥かに上回る。それこそ桁違いに高価なものがあるんだ」
「へえ……ダイヤモンドより桁違いに高価ですか?」
「ああ、ダイヤなんか路傍の石程度にしか感じないほど貴重なもの……なんだと思うね?」
「分かりません。てか、分かるわけないですよ。それで答えはなんですか?」
「……反物質だ。核融合反応のさい、ごく僅かながら観測されたことがあるらしい。高価すぎて値段がつけられないが、もし反物質が存在したら、1グラムあたりの価格は……日本の国家予算の数十年分はくだらないだろうね」
「……へえ」
「反応が薄いな」
「だって、あるかどうか分からないんですよね? たとえあっても取り出せない。取り出せても保存できないんじゃないですか? そういうのって、夢がありますけどね」
「……まあな」
二人の話はここで終わった。
だが北野は逸見首相から聞いて知っている。
アメリカが所有する『何か』は、その反物質と同じ働きをするものなのかもしれず、重力相互作用をもたらしている可能性があるという。
「上向きに落下……」などと説明を受けたが、北野は意味が分からない。
ただ、たいへん貴重なものであり、それを動かすエネルギーがダンジョンに行けば手に入ることが分かれば十分である。
アメリカは何を差し出してでも、それを手に入れようとするだろう。
逸見首相の言葉を思い出し、北野は嘆息した。




