062 反響(2)
~祓魔一族~
ここは、国立駅近くの商店街。
右腕少女こと、東海林秋穂が住む家の近く。
学生ならば目立たないだろうという適当な理由で監視役に選ばれた隠岐霧子は、その場でしゃがみ込み、頭を抱えた。
通行人は、そんな霧子へ不思議そうな視線を送る。
「どうなっているのよ……」
霧子はうめいた。
右腕少女の監視をはじめて、はや数カ月。一向に成果はなかった。
霧子ももはや、彼女は無関係ではないかと思い始めていた矢先だ。
昏きモノと戦う様子を動画にして配信している『DDチャンネル』から、重大な告知がなされた。
ダンジョン探索を一般人に開放するというのである。
昏きモノとの戦いを一般人に?
それだけでも衝撃的であるのに、レベルアップなどという摩訶不思議な現象で身体能力が向上し、寿命が延びるとある。
それは血反吐を吐いて研鑽を積んできた自分たちに、喧嘩を売る行為。
それだけでも許しがたいのに、どうやらDDチャンネルの大元はダンジョンドリームスという会社であり、その代表取締役が右腕少女が通っている学校の卒業生らしいのだ。
「つまり私たちは出し抜かれていたってこと……?」
学校が終わってからの日中は、霧子が右腕少女を監視していた。
授業中や夜は別の者が担当しているが、だれからも『そのような接触』があったという報告はない。
自分たちの監視をかいくぐって、連絡をとり合っていたことになる。
それを見過ごし、バカ正直に「無関係だろう」と結論を出しかけていた。
なんという愚かな自分たち。
そしてなんという徒労感。
この数ヶ月の努力は一体何だったのかと、霧子の心はやさぐれた。
「交代ね……ハイハイ」
視界の端に隠岐一族の者が見えた。時間は早いが交代しろということだろう。
霧子はスマートフォンの動画再生を停止し、周囲に撤収のサインを出した。
サッと影が動くのを目の端で追ってから、霧子はその場から静かに離れた。
数日後。
隠岐家の鍛錬場で、霧子が家人相手に木刀を振るっていると、山賊ひげの大男、隠岐繧繝がやってきた。
「申し込みをすることに決まった」
今日は祓魔伍衆の会合があったはずである。
「まさか、正面から乗り込むつもり?」
十八歳である霧子は、応募の条件から外れている。
それゆえ、あまり気にしていなかった……というか、考えると腸が煮えくり返るので、あまり考えないようにしていた。
「そうすべきだと判断された」
「水道の蛇口……」
「ん? 何の話だ?」
「昏きモノはゲームのモンスターじゃないわ。私たちの技能も蛇口を捻れば、手に入るものでもない」
「そういうことか。たしかにゲーム感覚で祓魔をやられちゃ、俺たちの立つ瀬がないな」
水道の蛇口を捻れば水が出る。それは自明の理。
使い方は、5歳の子供でも分かる。
だが、水道のなんたるか、蛇口の使い方を知らなければ、水は得られないとしたらどうだろうか。
祓魔一族は、水を得るために血を尊び、死にものぐるいで鍛錬し、研鑽を怠らず、次代を育てるために日々邁進している。
そういうものだと思っていたし、これまではそういう世界だった。
現代においてなお、その業が継承され続けてきているのには、語り尽くせないほどの努力があるからだ。
だがダンジョンドリームスという会社は、それを容易になしとげ、あまつさえ、一般の人に開放するとうたっている。
蛇口を捻れば、水が出ると教えてくれているようだ。
霧子が奥歯を噛みしめる様子を繧繝は黙って見つめた。
「監視はこれまで通り続ける……というより、監視対象も増やす。とりあえず分かっているメンバーすべてを監視対象にする」
「でも、申し込みはするんでしょ?」
「各国の諜報部がギンギンに監視しているとこへ押し入るわけにもいくまい?」
「それはまあ、そうだけど」
祓魔一族は、人知れず昏きモノを葬り去ることを生業としている。
鍛え抜かれた技倆と蓄えた知識は、有事の際に大変有用な戦力となる。
だがそれを各国に示すのは、今ではない。
「相手の内に入って確かめるしか方法はないんじゃないか? もし連中が『昏きモノ』を操り、人に害をなすのならば、我々の手で始末をつけねばならん」
「……そういえば、鞍馬の狒々爺はなんて言ってるの?」
「鞍馬緋罪殿な。長老は、あいも変わらずだ。総力をあげて調べるのじゃ! と唾を飛ばしていた」
「……まあ、私は対象外だから」
「そうだな。あの会社と右腕少女は、世界中から注目されている。下手に接触とかするなよ」
「分かってる。さすがにそこまで馬鹿じゃない」
「ならいい。まあ俺も、魔法とやらは使ってみたいんだがな」
繧繝はハハハと笑って、木刀を握った。
「やるの?」
「ああ、会合なんて退屈でしょうがない。相手になろう」
その日、鍛錬場では夜遅くまで木刀を打ち合う音が聞こえた。
~首相官邸~
「ヤバいよ、マサやん。これ、各国から大注目される案件じゃない?」
内閣総理大臣である逸見正人は、無二の親友である官房長官の早坂英治と、二人だけで話していた。
「あの発表を見たら、スパイが大挙してやってくるだろうなあ。日本の人口増えるんじゃないか?」
「町ひとつできても、俺は驚かないね」
二人はなにも軽口をたたいているのではない。
茶化さなければいられないほど、重大事なのだ。
「落人が絡んでいるのは確実だなあ。どうする、マサやん」
「防衛省に話を通すしかないだろ」
「警察は?」
「微妙だな。あそこ、意外と縦割りだから、一部に声掛けとか無理なんだよ」
「けど、知らせないわけにはいかないだろ? 落人のこととか、知らないよな」
「知らないねえ。内閣情報調査室と警察の方は……特命捜査室に声をかけておけば伝わるだろ」
「内閣情報調査室のトップって、北野くんだろう。特命捜査室は、いまだれが頭なんだい?」
「山本健三といって、ちょいとばかしクセのあるヤツだが、変な裏はないから、安心して声をかけられるよ」
「そうかい。じゃ、まずはそのへんに声をかけて、様子を見るか」
「そうだな。……しかし、どういった手妻なんだろうねえ」
「落人のことなんざ、分かるわけがないさ」
「それもそうか。……っと、忘れるところだった。入国審査!」
「スパイを水際で止めるのな。すぐに指示を出しておくよ」
早坂は、すぐに部屋を飛び出していった。
それぞれの勢力が、それぞれの思惑をもって、動き出した。




