【異世界閑話01】異世界の事情(※夕闇 蓮吹流)
――サルファヴァン王国の首都ブルンセン
「よっこらせっと」
「おいババア、その椅子は売りもんだ」
「こんな汚い椅子が売りもののはずがないだろうさ」
ハスフィキールは、道具店の店先に置いてあった安楽椅子に腰掛け、ユラユラと脚を揺らす。
「ケッ。もうとっくにダンジョンの中でくたばったと思っていたぞ。いまさら、何しに来たんだ?」
道具店の主人であるイスラーンは、苦虫を噛み潰した顔で店の中から出てきた。
「う~ん、暇だったから?」
「帰れ!」
「ひどいわね。せっかく来たのに」
「お前は〈転移〉で一瞬だろが」
「そうだけど、ほら。せっかく暇つぶしに来たんだし」
「……もういい。用がないなら、相手もいらんな」
「客かもしれないでしょ」
「知らん。客なら、金置いて品物持っていけ」
イスラーンが店の中へ入っていこうとしたので、ハスフィキールは慌てて止める。
「ちょいと、この国に巨魔が現れたって聞いたんだけど」
「……その話か。それなら事実だ。町が2つ、村が7つ消えた」
「結構な被害だねえ」
「それもこれもお前らの国が、戦争ばっかやってるからだろがっ!」
「あたしはほらっ、もう国を捨てたから。ずっと前からニホンジンだし」
日本で蓮吹流と名乗っている孫一の祖母は、ダブルピースをしてニカッと笑った。
それがまたイスラーンの癇に障ったのか、額に青筋を立てて怒鳴ろうとした。
「やっぱり、マーラムの増大かい?」
その声は、ひどく落ち着いたものだった。イスラーンも落ち着きを取り戻し、「そうだ」と答えた。
「やっぱり、負の連鎖に入ってしまったのかねえ」
「だろうよ。この流れは止まらないな。オレには家族はいねえ。心置きなく旅立てるってもんさ」
イスラーンの言葉にはもう、諦め以外の感情が残っていなかった。
100年近く前のこと。
大陸の北部に覇を唱えたヤンガス帝国と、大陸中央部で強大な力を誇るタージェス共和国との間で、大規模な戦争が勃発した。
戦争は10年経っても決着がつかず、多くの兵士が亡くなった。
2大大国たる両国に触発されて、周辺国の間でも、争いが絶えなかった。
ある年、南部に降り続いた雨のせいで、大洪水が引き起こされた。
多くの町が水に飲み込まれ、数ヶ月もの間、水が引くことがなかったのだ。
これにより穀物の収穫は絶望的となり、人々は飢えた。
悪いことは重なると人々が噂し合っていたとき、大陸に巨大な魔物が出現した。
のちに巨魔と名付けられたそれは、多くの村や町を破壊し、南部の諸国を大混乱に陥れた。
それからというもの、大陸の北部、中央部にも毎年のごとく巨魔は出現し、大陸の人口は最盛期の三分の一以下にまで減ってしまった。
これが過去、何度も人類を滅亡にいざなった『負の連鎖』であると気づいたのは、取り返しのつかなくなる一歩手前まで来たときだった。
フィールドやダンジョンにいる魔物を倒すと、黒い『もや』が発生する。
この『もや』は、魔物を形作る悪しきものであり、魔物を倒すことで世界が浄化されると言われてきた。
この浄化を怠ると、悪しきものが増大し、巨魔が出現してしまうのだ。
世界をよい方へ戻すには、魔物を倒すしか方法がない。
争っていた国も加わって、フィールドやダンジョンの魔物を狩りまくった。
そのとき重宝されたのが、〈ダンジョン生成〉のスキルである。
生成されたダンジョン内で魔物を倒しても、マーラムは浄化される。
ゆえに〈ダンジョン生成〉スキルを持っている者は、どこでも引っ張りだこの状態だった。
ハスフィキールが物心ついた頃もまだ、この魔物討伐バブルのただ中であった。
当然、ハスフィキールも若いうちから探索者として活動していた。
そもそも大陸中の人が探索者なのだ。
少女だったハスフィキールが毎日ダンジョンに入っても、だれも何も言わなかった。
その甲斐あってか、負の連鎖は徐々になりを潜め、巨魔が出現しなくなり、戦争もなくなった。
そして数十年の時が流れた。
またもや、ヤンガス帝国とタージェス共和国の間で戦争がおこった。
はじめは小競り合い、局地戦程度のものだった。
だが数年もすると争いの規模は大きくなり、途中から全面戦争へと突入し、いまでは総力戦の様相を呈してきている。
喉元過ぎれば熱さを忘れるの言葉通り、両国はすでに引くに引けないところまで来てしまっていた。
どれほど愚かしいと思っていても、止められないのである。
そんなとき、南部にある小国のひとつサルファヴァン王国に巨魔が出現したという噂が流れた。
状況を確かめるため、ハスフィキールは昔なじみの男の店へ転移したわけである。
「負の連鎖だけど、もしかすると収まるかもしれないわよ」
「戦争が終わりそうか?」
「そっちは分かんないけど」
「バカかっ! あれのせいで優秀な探索者がどんどん死んでいってるんだぞ。人口だって回復してないってのに、戦争のせいでどれだけ人が減ったか!」
「負の連鎖がはじまると、文明が滅ぶまで巨魔が出現し続けるんだっけ?」
「そうだ。1000年から2000年おきに文明が崩壊して、何度も絶滅の危機を迎えたんだ。過去の資料が残らないくらいにな。そして負の連鎖はもう始まっている。前回みたいに戦争を止めなければ、崩壊一直線だ」
「そうなんだけどねえ。なんかウチの国も引くに引けなくなっているみたいなのよねえ」
「愚か者の首を全員斬ったらどうなんだ? すこしはマシなのが生えてくるだろ」
「それもいいかもね。……それでさっきの話だけど、負の連鎖をとめるには、マーラムの浄化しかないわけでしょ?」
「そうだな。今さら探索者が1万人増えたところで、傾いた天秤はもとに戻らんぞ」
「それは分かってるわよ。……でさ、もしかするともっと増えるかもと言ったら?」
「どこにそんな人間がいるんだ」
「さあて、どこでしょう。うまくいけば、探索者が10万人とか、100万人とか増えたりして」
「無茶言うな! 大陸中の人間を集めたって……待て、お前まさか……」
イスラーンは、あることに思い当たって、数歩後ずさった。
ドンと背中が壁にぶつかり、それ以上、さがれなかった。
おばあちゃんの出身国は、タージェス共和国です。