9.追っ手
シマー家は、古くから従騎士として数々の騎士、貴族に使えてきた由緒正しい家柄である。
四代前に武功を上げ騎士に叙任され、その際に家名も頂戴した。三代前には叙爵にまで至った。
そして二代前に没落した。
さっさと血が絶えていればよかったのだ。と、パテリコ・シマーは己の生家を評している。
自分が家に泥を塗ったくせに御家復興と騎士の誇りを語る祖父。
完全に洗脳された母。
霞のような存在感をそのままに蒸発した父。
男に生まれなかった自分。
このうち最後のひとつは物心ついたと同時に許した。
なぜ女だったからと文句を言われなければならないのか。まったくもって不可解極まる理不尽な物言いである。
祖父の杖に叩かれる回数が百を数える前に噛みついた。腕に。それから禿頭に。
凶状持ちを産んだ、と罵倒される母がこちらをまったく擁護しようともしないので、そちらも見限った。
親子なかよくお貴族暮らしを夢見ていればいい。そもそも祖父の代にだって大した暮らしぶりができていたわけでもない。よくいる貧乏騎士だ。家の現状を見ればわかる。
夢は夢で終わったのだ。諦めが肝心だ。
では自分は諦めているかといえば、そんなことはない。
いや家はどうでもいい。戻るつもりも無い。そんなくだらないものより、はるかに夢は大きく。
まぁぶっちゃけ金である。この環境から抜け出すためには、金がいる。
残念ながら女の身ひとつで稼ぐとなるとなかなか難しい国だ。ちょっとどころではない工夫がいる。
金を持った男を捕まえるのが最も手っ取り早いかもしれない。
しかし困ったことに自分である。顔は悪くない――もう一度断言する。そう悪くない。はずだ――けれど、骨の太さだけはどうにもならない。愛嬌を出すにもどうやら向いていないことはよくわかっている。
折しも国は混乱の最中。家を出る時にかっぱらってきた装備一式のおかげで、公国軍に潜りこむことができた。
もう少しで洗濯婦たちの中に放りこまれるところだったが、ためしに士官へ軍備の横流しについて意見を聞いてみたところ任意の配属を望めることになった。
第一公子直属の部隊。危険は少なく、勲功のチャンスもそれなりに。
まかり間違って公子に気に入られれば大ラッキー。まぁすでにお手付きだったので即座に頭から消した。
とにかく絶好の職場だった。周りの男はこちらが女というだけで――曲がりなりにも軍隊だというのに自分より肩幅が狭い男までいるのはどういうことだ――不気味に優しいし、数少ない同じ立場の女性兵も気の抜けた者ばかりだ。
ただし給金は思ったほどではない。公国の窮状に思いを馳せた。
とにかくここを足掛かりにどうにか上流階級との伝手を手に入れたい。できれば弱みであれば最良だ。
あるいは、もし公国側が不利そうならば、適当な内部情報を手土産に反乱勢力へ駆けこんだっていいと考えていた。杞憂に終わったが。
ただ、これは、どっちだ?
燃える屋敷。夜空を照らす炎。陰の濃くなる森。
近衛兵に運び出されてきた公子。どうでもいい。なぜここにいるのかわからない妾――いや、もう正妃候補か――もどうでもいい。周囲で混乱する同僚たちもどうでもいい。自分の持ち場さえどうでもいい。
向こうでなにか輝いて、なにやら歓声が起きているがそれもどうでもいい。
たしかに見た。
炎と煙の吹き出す建物の中、割れた窓の向こう。動く人影をたしかに見た。
そして――暗闇の中、濃い陰の中で、森へと飛びこんでいくなにか。
誰も気付いていない。横にいる、同じ班に割り当てられた間抜け男三人組も気付いていない。
だが間抜けたちがあれこれ伝言を集めてきたおかげで、状況もわかった。
反乱軍の首魁、フラムンフェドの娘クロワルチェ。
あるいは、彼女こそが全ての元凶だなどという噂もある。
今まさに、炎の中へと消えた。
――消えてなどいない。生きている。
自分だけがそれを知っている。
さあ、どうするパテリコ。この情報をどう使う。
報告? バカを言っちゃいけない。そんな勿体ないことはできない。するにしても、まだその時じゃない。
案の定、屋敷の跡からはフラムンフェド伯のものと思わしき遺体は出てきたものの、それだけだった。
燃え尽きたか、逃げおおせたか。上層部では判断がついていない。自分だけは知っている。
小部隊で秘密裏に捜索が続くことになった。
運よく推薦を――上官に軍内での不貞行為について見解を求めたところ熱心に薦められた――される。間抜け三人は不服そうではあったが、小間使いがいないのも不便だ。同じ表情で同意しつつ、それとなく宥めすかした。
ベクステアが陥落したのは誤算だ。落ちのびているとしたら、この周囲だろうと思っていたのに。
反乱軍の動向にもう少し気を配るべきだった。気が逸っていたのかもしれない。
だから、間抜けのうちのひとりワービーがそれらしい者を見かけたと言いだした時は内心、叫びだしそうだった。というか、後でひとりになってから万歳した。小さく誰にも聞こえないように「わーい」と言った。
三人も軍内の他の者と同様、クロワルチェの生存については眉唾の態度を崩せていない。発見したワービー本人も。
半信半疑を、ほんの少しだけ信に寄せるように誘導する。ダメ元で、少しだけクアンズ・オルメンで待ち伏せてみよう。
パテリコだけが知っている。
クロワルチェが関に現れたのは、ベクステアが落ちてから。
パテリコだけが知っている。
生き延びた上で、彼女は反乱軍に身を寄せていない。
パテリコだけが知っている。
かの悪女は、たしかに今も生きている。
クロワルチェ・フラムンフェドはクアンズ・オルメンへ向かった。
はたして見つけだせるか。見つけたとして、拘束できるか。そもそも、この予測は確かか。
分の悪い賭け。本来なら、手を付けようだなんて思わない。
事ここに至って、未だに自分で信じきれていない。
だが――自分だけ手札の多い賭け。
そんな賭けにくらい勝たないと、未来なんて掴めないのだ。
ああ、きっと自分は気が逸っている。高揚している。そういう時は危ない。
危ないのに、釣られずにはいられない。
◇
ベタつかない身体! 新しい服! 奇麗なベッド! お魚ご飯!
ああ。もう。最高。わたしここに住む。
「船を用意するべきだ」
「……あのさ」
「うん?」
「なんで女の子の部屋に平気で入ってきてんの。黙って」
ベッドに転がってでろんでろんとしていたら、いつの間にか壁際にジギエッタが立っていた。危ないな。もうちょっと油断してたら下着姿だったよ。
「入るなとは言われなかった」
「……ノックした? 声かけた?」
「いや。扉の前でしばらく待った」
「うん。ジギエッタくんちょっとそこ座って。そう。膝曲げて。足は揃えて。うんそう。お手々は膝の上ね」
男が女性の部屋に勝手に入るということがどういう意味を持つのか懇々と説いてみせるけど、痴漢野郎はただただ不可解そうな顔を右に左に傾けるだけだった。これはいかん。オシベとメシベから話さなきゃならないのか。
溜息を吐いて頭を抱えていると、正座のままのジギエッタが頭を上げる。
「それより、海を渡らなければならない」
それよりじゃねぇんだよなぁ……
「島を出るのはいいんだけどさ。どこまで行くつもりなの」
「ウィステルという島はわかるか」
「わたしに地名を言われても。群島諸国のひとつ?」
「いや。もっと遠い」
「どれくらい?」
「それほど遠くはない」
「どっちやねん」
彼は上げた顔をそのまま天井へ向けた。どうも考えこんでいる。
もしかして、本人も距離関係ちょっと曖昧なのでは。
「絶氷地よりは手前だ……多分」
「んんん~ちょっと待てー。そのなんとか地ってのも知らないけどなんとなーく想像がつくぞー」
語感だけでもうすっごい氷の土地。北極的なやつ?
イデンス、というかオリッセンネリーも北に行くほどけっこう冬が厳しい土地なので、この世界が地球みたいな星と仮定するとおそらく北寄り。
とはいえ極寒地ではない。そこから極地に近いような場所まで行けと。どう考えても気軽に船旅ができる距離とは思えない。
いや、そもそも地理や気候を地球基準で考えるべきでは……んんん。
「だいたいあんたはどうやってここまで来たのさ。船?」
「来る時は――」
今度は床へ視線を逸らすジギエッタ。
「飛ばしてもらった」
「は?」
「俺は……座標置換は苦手なんだ」
よくわからんが、魔法的ななんかだろうか。
ていうかこれ、もしかして照れてる? なに、恥ずかしがるとこなの?
「俺だけならともかく、お前を連れて帰るとなると難しい。だから、船がいる。船が無くても問題ないなら助かるんだが」
「問題なくないに決まってんでしょ。泳げってか」
「泳げるのか?」
「えーいアホたれ」
なにが悲しくて遠泳しなきゃならんのだ。言っておくけどわたしは犬かきしかできないぞ。
とまれ、できれば島外に出たいのはわたしの希望にも沿っている。おそらく、最低でも周辺国にこのクロワルチェが安住できる場所は無い。
どんな所に連れていかれるかわからないが、ジギエッタからわたしを害そうというつもりは感じられないし、まぁ、どちらかといえば保護してくれるのでは、と考えたい。お願いします。
「船ねー」
その辺で頼めば貸してくれる、というような物じゃない。ついでに操船なんてできないし、
「船の操作とかできるの?」
「……浮かせば進むものではないのか?」
知ってた。
群島諸国よりもっと遠くまでわたしたちを乗せてくれる船。アンド船員。
難易度高いなぁ。
「ま、もう遅いし明日から考えよ。眠くなってきた」
「わかった」
はー疲れた疲れた。わたしゃまだ本調子じゃないんだよ。しっかり休まなきゃ。
正座の姿で微動だにせず、ジギエッタが目を閉じる。
チョップ。
「自分の、部屋で、寝ろ」
「わかった」
なにせお水いっぱい飲むからね。夜中に花を摘むことだってある。
いったん建物の外に出なきゃならないのが面倒なんだよねー。水道って便利だったんだな。もはや懐かしい。
宿の中は、どうやらロビー横のサロンや酒場にはまだ人がいて、ほのかに届く光のおかげで迷いはしない。そそくさと階段を降り、そそくさと奥へ。
勝手口の向こうのほうがよほど暗い。うげ。月が隠れてる。この暗闇の中でおトイレか……こ、怖いよう。
目印にランタンくらい置いてくれればいいのに、ていうか持ち歩かない自分が悪いのか。慣れないなぁ。
などと考えながら、一歩。
後ろから口を塞がれた。
「動くな」
女の声。
「どちらさまで」
「喋るな」
それから、喉元に冷たい感触。おおう、危ない。
「声を上げたら喉を裂く。小さく答えろ」
ほんのちょっとだけ口元の拘束が緩くなった。
ふむ。
「先におトイレだけ行っていい?」
相手が続きを喋る前に口を開く。お望みどおり、小さな声で。
背後の誰かは一瞬だけ止まった。うーん。いいリアクション。ダメだよこういう時は口なんて塞いだまんまでいいんだよ。
「――黙れ」
「漏れそうなんですけど」
「首を切るぞ」
「じゃあ引き分けかなー」
そこで相手は本格的に止まる。脇の下から自分にも短剣が突きつけられていることにやっと気付いたらしい。
ふふふ、この前は忘れて危ない目に遭ったからね。もう肌身離さずですよ。
「これあんまり砥いでないね。首とお腹、切るのと突くの、どっちが楽だろ」
そりゃ首のほうが危ないんだけどね。
でもまぁ、なにがしたいのか知らないけど質問もあるみたいだし、下手に自分からはやれないんじゃないかな。どうかな。
「貴様――」
「逃げないからトイレだけ行かせてよ」
たっぷり数十秒。
待っていると、ゆっくり口元の手が離れていった。押しつけられていた剣も。背中にひっついていた身体ごと。
こちらも慎重に、ちらっとだけ振り返る。
やっぱり女性だった。ていうか、女の子? いや、歳自体はクロワルチェとそれほど違わないかな。
なんというか、もの凄く渋い顔になっている。目の前にあるものが信じられないというか、自分の行動に後悔しているというか。
とりあえず、それは置いといて、
「待っててもいいけど、あんまり聞き耳たてないでね」
「……誰がするか」
悠々とトイレの粗末な扉へ手を伸ばした。
ふう。
あーーー緊張した。いきなりはやめてよ本当にさー。危うく漏れちゃうところだった。その場で斬ってもらいたくなるとこだったよ。
さて、とはいえ。
小さな箱みたいなトイレ。壁に穴みたいな小さな明かり取りが開いてるだけ。
逃げ場なし。
どうすっかなー。