8.ひと心地
「――ふぅん」
渡した品を持ち上げ、翳し、裏返し、しげしげと店の主人は眺める。
金と小さな宝石で彩られた短剣の鞘。ただただ豪華に飾られただけの物だが、少なくとも見た目どおりの価値はあるはずだ。
ゴトリ、とその鞘をカウンターに置いて、
「で、どこからかっぱらってきた代物だ?」
「言わなきゃならないの?」
「あんまり豪奢なブツなんでなぁ。あとから持ち主が出てきて騒がれたらたまったもんじゃねぇんだよ。街中のモンならご遠慮願うぜ」
「見りゃわかるでしょ。ベクステアから流れてきたの。命からがらね。心配しなくてもただの落とし物よ」
「落としモンねぇ……よく関所を通れたな」
「これでも医者の家の人間だからね。信用ってのはこういう時に使うものなの。そうでしょ?」
「医者の娘が死体漁りかよ。世も末だな」
「末なのよ。今のイデンスは。必死こいて先立つ物を集めようと思う気持ちがわからない?」
「違ぇねぇ。ま、こんなご時世でもお貴族さんはこういうキンキラが好きだからな。捌くのも苦労しねぇだろ。百」
「バカ言わないで。三百」
「出所がわかんねぇとおっかないんだよなぁ。百五十」
「二百八十」
「おいおい見境ねぇな。百七十」
「よそに持っていったっていいもの。二百五十」
「自慢じゃねぇがウチの売りは即断即決後腐れなく、ってな。他じゃあ面倒が多いんじゃねぇかなぁ。二百」
「二百四十」
「二百十」
「二百三十九」
「お嬢ちゃんよぉ」
「わかったわよ。なら二百二十。そのかわり、これと同じサイズの鞘なんて用意できる? 飾りなんてなにも無い安物でいいから」
と言うと、店主はほんの一瞬だけ頬に皺を作った。たぶんニヤつきたかったんだと思う。
「んなサービスはやってねぇ」
「いいじゃない。そこのガラクタの中にそれっぽいものあったりしない?」
「しょうがねぇな……こいつでどうだ。近いサイズはこれくらいしか無いぞ」
ショールの中に隠していた短剣に合わせてみる。ちょっと鞘口が締り気味だけど、まぁまぁぴったり。
「そっちは売らねぇのか」
「手持ちが尽きたらまた頼むかもね」
用は済んだと踵を返せば、後ろに突っ立っていたジギエッタの胸に鼻をぶつけてしまった。んもー、ボサッとして。
彼はなにやら壁を見つめている。
「おい。あれは売り物か」
視線の先にあるのは壁掛けの仮面。鼻と口にあたる部分に凹凸があり、目の形に穴が開いているだけの、まっさらで飾り気の無い面だった。
ていうか飾りが無さすぎてちょっと怖い。夜中にあれだけ見たらびっくりしちゃいそう。
「あ? いやありゃべつに――この軒を買った時からあるもんだから、そのままほっといてるだけだ。なんか不気味で触るのもな」
「なら、あれもくれ」
えぇ……変な趣味してるなぁ。
「あぁ? あんなモンどうすんだ。まぁいいや、おまけにくれてやる。勝手に持ってけ。呪われても知らねぇぞ」
「そうか」
壁のそこそこ高い位置にかけられていたけど、背の高いジギエッタなら手を伸ばせば届く。
カチンという金具の音と、ちょっぴり埃を舞わせて、仮面は外れた。
◇
どうにかこうにか山越えを無事に――五日! 五日もかかったよあんなジャングルの中で! 結局はおぶってもらっちゃったけど――こなし、わたしたちはやっとの思いでクアンズ・オルメンに到着した。
街にどうやって入ったって? うん。警備厳重だったね。
外壁の向こうからジギエッタにぶん投げられた。
知ってる? バンジーって壁の近くでやったらダメなんだよ。もう少しで鼻が無くなるとこだった。糸で逆さ吊りももうイヤじゃ。あと普通にパンツ見られた。虫を見るような目だった。
ともあれ。
潮騒! 船! カモメかウミネコかわかんないけど海っぽい鳥! 水夫のみなさん! お魚料理!
と、海の街にテンションが上がりかけたけどそんな場合じゃない。泥とか汗とか血とかでもうベタベタ。ベッタベタ。
酷い有様どころの騒ぎじゃない。試しに脇の下の臭い嗅いでみたら自分で「バカじゃねぇの」って言っちゃった。ジギエッタに見られてた。なんかすいません。
山に入る前に小川で顔は洗えたけどそれっきりだったもんなぁ……
お風呂。このさい風呂じゃなくても水を浴びたい。身体を洗いたい。
となるとお水の用意が豊富なそれなりのお宿に入らなければ。そしてできれば、新しく服も用意したい。そしてそして、そのためには先立つ物が必要になる。
なにせ現在、所持金ゼロ。正真正銘の一文無しである。
売れる物といえば、ずっと持ち歩いていた短剣くらい。
本来は貴族の別荘に置かれていた装飾品。見るからに高そう。ツブツブ付いてる宝石のひとつだけでもけっこうなお金になりそう。
というわけで、鞘だけ売ってみた。剣本体は言ったとおり予備ね。いちおう、護身用にもなるし。パパ伯爵の怨念がこもってそうで怖いけど。
クロワルチェのおかげで、こういう時に後腐れが無さそうな怪しくて信用できるお店の探し方も知っていた。ああいう怪しい店で買っていた怪しい薬、そういえばどうなったかなぁ……
お金が入ったのはいいけど、さすがにちょっとサービスしすぎたかも。この世界の貨幣価値にいまいち慣れてないものの、あの鞘だけであと二倍は貰ってもいいくらいだったのはわかる。
でも仕方ない。とにかく怪しまれないことが先決だ。お店の人にボッてやってと思ってもらってるうちに退散できたから良しとする。
「よくもまぁ、スラスラと嘘が出るものだ」
横を歩いていたジギエッタがポツリと言った。
そうは言ってもねー、かなり緊張したんだよ。でもああいう値段の言い合いみたいなやつやってみたかったんだよね。
「まぁまぁ。方便も使いようって言うでしょ。いいのいいの得させてあげたんだから。拾ったのもお医者さんのところにいたのも本当だし」
「そういうものか」
「それより……なんか、そういうの好きなの?」
彼の手の中にある仮面を指す。
改めて見てみても、なかなか不気味な面だ。とにかく一切の遊びが無い、真っ白いだけの無表情な顔。なんというか――デスマスク?
こんなもの欲しがるのか。まぁ、こいつなら納得するところもある、かな? むしろそういう趣味みたいなものがあったのかと驚く。
「うむ。どうするかな」
「え? 欲しいから貰ったんじゃなくて?」
「いや。使う」
被るのかぁ……こいつならこれ被ってもあんまり顔が変わらなそう。
「まぁ好きにしたらいいよ。とにかくお風呂お風呂。なんか潮風で髪ももっちゃもっちゃになってきた」
「風呂?」
「うん。あ、まさかお風呂も入ったことないって言うんじゃないよね」
「……たしかに入ったことはない」
「そっかぁ。でも別に臭ったりしないから大丈夫だよ。ていうか一緒に山越えしてきたのになんでそんな奇麗なの」
「俺のことはいいが、オリッセンネリーには風呂があるのか?」
へ?
「そりゃあるでしょ。クロワ――わ、わたしなんかしょっちゅう入ってたし」
「俺はお前たちのことにあまり詳しくないが、それは貴族などの限られた人間だけではないか? たしか、湯に入るという文化が広まっているのはイークルハレルの一部、スエス半島、ワーシュカフ周辺、あとはアマヤくらいと聞いたことがある」
……そういえばベイモンさんのところに居た時も、タライに張ってもらったお湯で身体を拭くだけだっけ。火傷にしみるからかと思ってたが、考えてみればお風呂的な設備は無かった。
いや、いやいやいや! まったく無いなんてことは、そんな、そんなもう、ありえない!
そう、行けばわかる。ちょっとお高い宿屋ならきっとある。さすがにこの身なりで貴族が使うような宿泊施設には入れないけど、こう、なんかしっかりしたところなら!
庶民も水浴び湯浴みは普通にするってさ。よかったよかった。
ただ、ちょっと想像してたのと違った。
大きめのタライ。それと、その横にお湯が張られたバケツがいくつか。
まさに湯浴み。なるほど、宿の人がお手伝いをつけようとするから思わず断っちゃったけど、これはひとりだとなかなか面倒だ。バケツ重った! 手桶、手桶的な物は――わー、小っちゃい柄杓。スプーンみたい。はい。
そして外。適当なカーテンで囲われてるだけの外。宿裏のただの物陰。
おお……これは……ちょっと甘く見てた。けっこう大変な生活かもしれない。湯浴み付きにするだけで料金かなりお高くなっちゃったし。
まぁでも無いよりぜんぜんマシ。むしろありがたい。タライにお湯を――少し浅めの半身浴と思えばね、こんなもんよ――移して、わーいお風呂ー。
痛! あだだだだ! あ゛ー! しみる! ビリビリくる! めっちゃビリビリくる! 足! 火傷! 皮膚がまだ治りきってお゛お゛お゛お゛お゛!
「洗濯はどうすると聞いてきたが、どうすればいい?」
お前はなんで堂々と入ってきとんじゃー! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛しみる!
◇◇
パテリコとしては、あまり気乗りがしない。分の悪い賭けだった。
「なんで見つからないんだ。まさか、違ったのか?」
「お前が言いだしたんだろワービー。今さらなに言ってんだ」
「ホイスだってあんな盛り上がってたじゃん。凄い褒賞が出るって」
「でもよぉジョシュ。冷静になって考えたらよぉ」
そう。あまりに荒唐無稽だ。
クロワルチェ・フラムンフェドが生きていたなどと。
「いや、間違いない。俺は一度、クロワルチェを間近で見たことがあるんだ。あの黒髪、あの顔。薄汚れちゃいたが、たしかにあれは」
「それは何度も聞いたって。関の手前で見かけたんでしょ? その時に捕まえちゃえばよかったのに」
「いや、伝令もあったし……それに、あの人の多さで見失ってしまっては」
「だいたい、かの悪女サマがなんでひとりで関所にいるんだよ。ベクステアに残党が集まってんだろ? そっちにいるに決まってるじゃねぇか」
「それはだから、その――何か計画しているのかも。護衛のような男もいたし、人狩りのひとりの可能性もある」
「ならもし見つけても僕たち殺されちゃうんじゃない? あはは、こえー」
「そもそも関を通れねぇだろ。どうすんだオレたち待ち伏せのつもりで粘ってるけどよ。もう五日もそれらしい人間なんか聞かねぇぞ」
「ん……むむむ」
長い顎を掴んでワービーが唸る。あまり回らない頭を回したところで良い案など出ないぞ。
同僚三人の会話を横に、パテリコは小さく溜息を吐いた。
分の悪い賭け。この広いクアンズ・オルメンの中から、おそらく隠れ潜んでいる女ひとりを見つけだす。さらに言えば、本当にここにいる確証も無い。そもそも、まず本当に生きているのか怪しい。
だが賭けに勝った時の恩恵は大きい。きっとこの三人が想像するよりはるかに。
だから結局、自分も釣られてしまったのだ。バカらしいと思えども。
「なぁ、よぉ、パテリコ。お前はどう思う?」
ぐるりと大袈裟に首を回してホイスがこちらに話を向けてきた。いちいち動きがやかましい。そんなことをしても身体を大きくは見せられない。
答えるのも億劫だったが、この三人では結論など出ないだろう。
「もし本当にクロワルチェだったとしたら」
自分の考えを話す。話すが、自分で信じているわけではない。
こいつらが納得して、その気になるならそれでいい。いざという時、しっかり盾になってもらわなければ困る。
そのためには女らしく、もう少し声を高くしたいところだが、性分だけは変え難い。騎士の血なぞすっかり薄れているはずなのに。
「素直に関を通るわけもないし、通れないだろう」
「じゃあやっぱりこの街にはいない、かい?」
ニヤつきながら促してくるジョシュに一瞬だけ視線を向けて、すぐ戻す。自分の軽薄さを魅力だと勘違いしている男を見ても面白くない。
「……崖下を行けば我々とそう時間に差は出なかった。が、今は海が荒れる時期だからな。波に飲まれるリスクは避ける」
「おいおい、関を避けたってか? 貴族のお嬢さんがそんな危険な道を選ぶもんかね?」
「相手が普通の人間ならな。私はクロワルチェという令嬢を話でしか知らんが、それが全て本当なら化け物かなにかと考えたい」
誇張を差し引いても、だけれど。
三人のほうを向かないまま、結論を言う。
「もし山を行ったなら、着いたのは今ごろかもしれんな」