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6.逃亡

 遠く燃える火が辺りに影を作る。

 白い髪なら、その光を受ければきっとオレンジに映るはずだ。なのに、柔らかなクリームのような白は炎にも夜にも滲まない。


 突然の闖入者に周囲の歩兵たちは戸惑っていた。それはそうだろう。前方にいた仲間の首が唐突に落ちたのだ。わけがわからない。わたしにもわからない。

 勇気ある二、三人が武器を握りしめてにじり寄ってきた。


 白髪の男が無造作にそちらへ振り返る。やはり無造作に軽く指を振る。

 次に落ちた首は一個だけだった。あとは鼻と手首。


 それで彼らは恐慌を起こした。我先にと逃げ出す。

 小さな広場にはわたしと男と、いくつかの死体だけが残った。


「――戦闘態勢だったから何人か殺してしまったが、かまわなかったか?」


「いや……わたしに聞かれても」


 助かったのは確かだけど。

 ていうか、なにしたの? なんか凄いことしたのはわかるけど、なにをしたのかなんて全くわからない。


 その男は相変わらずの不可解そうな顔をするだけ。だからそんな、なんでわからないんだみたいな顔されても困るよ。

 なにこいつ。ほんとに何者。


「あなた――なんなの?」


「俺はジギエッタウィズだ」


「じぎ……なに?」


「それより、来るのか? ここは危険ではないのか?」


 いやだから、いったいわたしをどこに連れていこうって言うのさ。まさか未だにお父さんだかなんだかのところに連れてくつもりなのか。こんな状況で。


 この状況。言うとおり危険なこの街。

 そしてそれを意にも介さない、する必要もなさそうな男。


 閃いた。


「ねぇ! わたしを連れていきたいんだよね!? じゃあ、わたしを守るつもりはある!?」


「可能な限り健康なほうが望ましいな」


「だったら、わたしを助けて! 力を貸して!」


 こいつがはたしてどういうつもりなのかは知らない。知らないが、とにかくわたしが目的であるなら護衛くらいのことはするだろう。前回だって今だって、助けてくれたことには違いないのだ。

 必勝の確信はある。でも賭けだ。こいつの正体も目的もわからない、もしかしたら今よりもっと厄介な羽目に陥る道かもしれない。これは賭けだ。

 けれどこれ以上のチャンスも無い。


 そんなわたしの内心を気にもしないのか、彼はごく当然というように、


「いいだろう」


 即答した。


 言ったね。


「じゃあ戻るよ! ベイモンさんを助けなきゃ!」


「待て。それは関係があるのか?」


「大ありに決まってんでしょーがグダグダ言うな! 力貸すって言ったんだからわたしの言うこと聞け!」


「ん。ん? ん。そうか」


 よしやっぱりこいつアホだ! 勢いで押し切ればいける!


 駆けてきた路地裏を再び戻る。後ろからはジギなんとかがきちんとついてきていた。いまいち納得していない顔をしているが、気にしない。

 ベイモンさんは逃げられただろうか。間に合うだろうか。

 人狩りたちは強いけど、こんなわけわからん魔法みたいなことができる奴がいるんだ。きっと撃退できる。


 入り組んだ路地裏。慌てて駆け抜けてきたから記憶がはっきりしない。どっちだっけ、どっちだっけ。ああ、蹄の音が遠い。なんで。


 大通りに出た。人狩りの姿は無い。遠く、通りの向こうから悲鳴が聞こえる。

 ぽつりぽつりと倒れ伏す住人。子供まで混じっている。


 少し離れた場所に、


「ベイモンさん!」


 横たわる見知った姿。

 駆け寄って引き起こせば、胸を深く袈裟状に裂かれている。

 間に合わなかった。間に合わなかった! ちくしょう!


 それでも、ベイモンさんはわずかに目を開けた。まだ息がある!

 けどどう見ても致命傷だ。流血すらもはや少ない。よく見れば、地面は血だまりになっている。

 嘘でしょ。どうしよう。これどうしよう。どうにかなるの?


 縋るように振り向く。ジギなんとかは困り顔で見下ろしているだけだった。


「ねぇ、ね、これどうしよう、ケガしてるの。なんとか、なんとかならない?」


「……無意味じゃないか?」


「いいからなんとかして!」


 鼻にかかった白い前髪を揺らして、彼は右手をこちらに差し出した。

 ベイモンさんの傷がなにかで埋まる。糸のようなそのなにかがスルスルと走り、ザックリと大きく広がっていた傷はあっという間に白い膜で覆われた。


 が、


「やはりもう無意味だ」


 抱き上げた上半身から力が抜けていく。開いた目の焦点がブレる。

 待って、だって、待って。もうちょっと、なにか、なんとか。


 ゆるゆると伸ばされたベイモンさんの手が、小さくわたしの頬を撫ぜた。


「グラーニェさま――」


 ふう。小さく息を吐いて、ベイモンさんの目が閉じる。

 それから動かない。


 ……動かなくなってしまった。


「死んだぞ」


 うるさいな。わざわざ言われなくてもわかってるよ。

 わかってたよ。ひと目見たときにもうダメだって思ったよ。

 そんなの、わかってたよ。


 撫でられた頬を指先でなぞる。


 最後に呟いた、グラーニェという名前。

 わたしは会ったことがない。でも、その名前は知っている。

 クロワルチェの母親の名前だ。


 彼はきっと、その人の姿を見ていた。わたしの、クロワルチェの顔の向こうに、その人を見ていたのだと思う。

 わたしは知らない。彼らがどんな人たちだったのか、どんな思いで暮らしていたのか知らない。わからない。


 わからないけど、わたしはまだ生きている。この人のおかげで。






 数分、あるいは数十分そのままでいたのかもしれない。


「それでどうする? 来るんだろう?」


 律儀にじっと待っていたジギなんとかが、さすがに堪えられなくなったのか聞いてきた。

 ……まぁ、いつまでもこうしてられないのはそうだけどさ。


 ベイモンさんの身体をゆっくり、ゆっくり下ろす。

 手や膝に血が貼りついている。きっとそのうち落ちてしまうだろう。


「行くのか? それも連れていくのか?」


 横たえた身体を指して、どうでもよさそうにジギなんとかが言った。

 だから睨んだ。


「それとか言うな」


 こいつがなんか変な奴なのはもうわかった。言うことをいちいち気にしていても仕方ないとも思う。


 でも、それとか言うな。ひっぱたくぞ。


 多分だけど、こいつは怒らせたらダメな相手だろう。ちょっと気が変われば、さっきの兵隊たちみたいに首チョンパにされる。

 そんな危険な奴だということもわかっている。


 知らんわ! 失礼なことぬかすな! わたしの大恩人なんだぞ! すっごくいい人だったんだぞ! だったんだぞ……

 今も遠くからは争う物音や悲鳴や怒号が聞こえる。また人狩りがここに戻ってこないとも限らない。そうでなくても、この街はもうすぐ陥落するし、あるいはもっと火の海になるかも。

 早く離れなければならない。ベイモンさんを静かに埋葬してあげられるような余裕は無い。


 いや、もしかしてこいつ、軍を丸ごと相手にできるくらい強かったりする? と改めて視線を戻した。

 白い髪の向こうに、見開いた目が覗いている。唇をほんのり歪めて、バツが悪そうな顔をしていた。

 なんだこいつ。母ちゃんに怒られたみたいな顔して。


「ねぇあなた、強いんだよね?」


「強い、の基準がわからん」


「さっきみたいな人たち、どれくらい相手にできる?」


「開門者でもいない限りは、千、二千程度なら数分で済む」


「かいも……ってのはよくわかんないけど、じゃあここに攻めてきてる人たちを追い返すくらいできそう?」


「できるが、いいのか?」


「なにが?」


「俺は加減ができない。敵味方もよくわからん」


 つまり首チョンパ祭りの大虐殺ですね。

 いや、今まさに襲いかかってきてる相手とはいえ、ベイモンさんの仇とはいえ、それは……うーむ。この言い方だと、本当に加減しなさそうだし……どうにか逃げ出せてる街の人たちまで巻きこみそうだし……


 やっぱり、素直に逃げるほうがいいのかなぁ。


「ごめんね、ベイモンさん……」


 せめてもと彼の手を組ませて、その場を離れた。この国の宗教に合っていないかもしれないけど、そこは許して。

 騒音の聞こえるほうから離れるように、大通りを北上する。塞がれてさえいなければそのまま街を出られるはずである。


「それで、どこに連れてくの? お父さんってどこにいるの?」


「外だ」


「だから外のどこ」


「外だ」


「外のどこだって聞いてんだよボケてんのかあんたは」


「だから、島の外だ」


「え」


「まずはこの、オリッセンネリー島を出る」


 うわぁ、本格的に国外逃亡だ。

 島を出るならやっぱり船かな。そうなると、行き先は結局かわらなかったな。


 ともかく行こう。港湾都市クアンズ・オルメンへ。

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