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3.人里

 ここはどこわたしはどこ。ほんとにここどこ。


 この森は一時間も歩けば抜けられる程度の広さだったはず。ただし、きちんと道に沿って横切れば。

 夜中に飛びこむような場所ではありません。明かりも持たずに。


 でもまぁ、陽も出てきたし大丈夫大丈夫。足の感覚が無くなってきたけど平気平気。方向わかんないけどいけるいける。


 猪が突撃体制をとってるけどなんぼのもんじゃい。

 いやちょっと無理かな。偶然よけられた一発目で木が倒れたし。猪って凄いんだねぇ。なんか立派な角が生えてますが、新種かな?


 そういえばこの世界、なんかモンスターみたいなのもいるんだっけ。もうちょっとさ、最初に出くわすのは優しいやつにしてよ……


 さーどうすっかなー。クロワルチェの身体がとても優秀とはいえ、正直すぐにでも気絶しそうなほど疲れてるんだよなー。フラッフラなんだよなー。

 すいません正直に言います。本格的にこれはマズい。逃げることも撃退することも無理そうだ。


 ああ、猪の餌になって終わりか……最悪に近いエンドルートじゃん……うえーんここまで頑張ったのに。


 猪が頭を下げた。あ、来る。あかん。終わった。


 その背に、木の上から降ってきた何かが落ちたかと思えば、猪をくるんと包みこむ。繭のようになった猪は、そのまま樹上に引き上げられていった。

 え。え?


 同じ軌道で、また何か降って――いや、糸を伸ばしてするすると下りてきた。


 わたしの頭より大きい蜘蛛だった。


 お、おおう……どうもこんにちわ。

 これだけデカいとあれだね。キモいとか怖いとか通り越してちょっとシュールだね。たしかゴライアスなんとかかんとかって大きい蜘蛛がいたっけ。たぶんあれよりもずっと大きいな。

 あ、意外と目がつぶら。体毛も真っ白だし、そんなに嫌悪感は無いかも。


 まぁでもモンスターですね。角の生えた猪の次は巨大蜘蛛か……うーん、どっちがマシかなー。マシもクソも無いかなー。


 蜘蛛は糸を切ると、空中で半回転してぽとんと地面に落ちた。気のせいだと思うんだけど、じっとこっち見てない? 八つ並んだうちふたつの目と目が合った。

 ふい、と身体ごと目を逸らして、白い生き物は森の下生えを踏みしめつつ去っていく。


 あ、あれ? 見逃してくれるの? 美味しそうじゃなかった? 生焼けだしね。


 なにやらよちよちと、やたら丁寧に下草だらけの森を舗装していく蜘蛛。

 てっきりそのままどこかへ行くかと思っていたら、ある程度まで離れたところでこちらを振り向いた。


 これは――もしかして、ついてこいと言っているのだろうか。

 いや、そう言われても。この流れはあれでしょ。ホイホイついてったら凄い大きな蜘蛛の巣があって、引っかかった哀れな獲物がグルグル巻きにされてるようなアレでしょ。卵とか産みつけられるやつでしょ。

 しかし、わざわざ自分から案内しようとする蜘蛛なんている? 実は心やさしい獣だったパターン……うわー、どっちだこれ。


 当てもないし行ってみるか。

 どうせ遭難してたし。餌にされそうなら先にこっちが食ってやる。蟹の親戚みたいなモンだしいけるいける。やっぱちょっと無理。


 熱心に獣道を作ってくれる蜘蛛の後を追って、森を進む。進みは遅いが、そもそもこっちもフラつきながらで度々停止するのでさして差は無い。むしろちょくちょく振り返って確認してくれるくらいだ。優しい。


 どれほど歩いただろうか。また日が暮れそうになったあたりで、周囲の木々が厚みを減らし始めた。

 あれ? もしかして、森を抜けそう? もしかしなくても、あの遠くに見えるのは人里? 街?


 街だー! 抜けたー! 方向ぜんぜん間違ってたー! 危ねー!


 思わず走り出した。足がもつれるけど気にしてられない。間違いない、遠目に街が広がっているのが見える。

 蜘蛛さんありがとう! やっぱり優しいパターンだった! 誰だこんないい子を食ってやるなんて言った奴は!


 振り返ってみても、白い蜘蛛の姿は無かった。



◇◇◇



 フラムンフェド領――旧フラムンフェド領の西に位置する街、ベクステア。

 これといった特産があるわけでもなく、歴史が古いわけでもないこの街が国内でも上位の規模を保っていたのは、ひとえに地理的な恩恵が大きい。

 ベクステアをさらに西端へ抜けようとすれば、もはや大きな都市は海沿いにひとつしかない。


 その港湾都市クアンズ・オルメンは、西方に散らばる群島諸国に最も近い玄関口である。イデンス公国のみならず隣国も航海の中継地として立ち寄る重要拠点ならば、当然のことだが人も物資も金も集まる。

 そして港湾都市からイデンス国内へ流れていくそれらは、必ずベクステアも通過する。この街は、海より来たるおこぼれによって成り立っていた。


 何ごとも無ければ、何ごとも無いままベクステアは進歩もしなかっただろうが、衰退することもなかっただろう。


 一帯の領主、グウィックス・ハンゼニー子爵はフラムンフェドと共に反乱を起こした貴族のひとりである。

 野心も功名心も人一倍、しかし人十倍は臆病であると有名だった彼が、なぜ無謀な計画に加担したのかは定かではない。伯爵家に対して弱みがあったという噂もあるが、もはや真相は闇の中。


 戦乱の初期に領主が暗殺されて以来、ベクステアは荒れている。

 統治者を失い指揮系統は乱れ港湾都市からの流通も止まり、富裕層が街から逃げ出したのと入れ違うようにして、反乱軍の残党や他領の戦火に追われた難民が流れこむようになった。


 それでも街を離れられない住人は多い。

 通りの向こうで略奪が起きても、ここで息を潜めるしかないのだ。



◇◇



 そんな場所なのだから、物乞いのひとりやふたり増えたところで誰も気にしないだろう。

 なにせ自分がそうだった。空き家の軒下を寝床にさせてもらっているが、誰に咎められるわけでもない。屋内はすでにどこぞの脱走兵が根城にしていたのが悔しいが、武器を持った相手に喧嘩を売ってもしょうがない。


 しかし、女となると話は変わる。それも若い女ならなおさら。

 脱走兵どもは、あんな病持ちなど相手にしたら腐り落ちてしまう、とかなんとか言っていたが、腑抜けだ。とっくに玉無しだ。


 いい話を聞けたものだ。戦争のどさくさ紛れに牢屋から抜け出せたまではよかったが、金もなにも無いで行き詰まっていた。

 もう少し戦場に近い場所なら死体漁りでもできたかもしれないが、残念ながらこの街に戦災自体は少ない。怪しい人間が多いから身を隠すには助かるが、おかげで住人の警戒心が強い。なかなか外で女を見かけない。


 せっかく自由になったのだし、久々に娑婆を楽しんだっていいだろう。

 毒持ちだろうが醜女だろうが、贅沢など言わん。


 漏れ聞こえてきた話を頼りに崩れた教会跡に向かってみれば、たしかに何かがいる。瓦礫の陰に隠れるように寝そべっている。辺りに明かりも無い夜だから見逃すところだったが、本当にいた。

 どこかから拾ってきたのか盗んできたのか、汚いボロで身体を包んでいるが、わずかに覗いた足先は間違いなく女のものだ。


 周囲に人は見当たらない。それはそうだ。崩れていようとなんだろうと教会は教会だ。

 神の御許にみすぼらしい身を晒そうなどと考える者はこのオリッセンネリー島のどこを探してもいないだろう。ここを壊した連中は今ごろ神罰に怯えて狂っているはずだ。


 そうすると、こんな場所を寝床にしたあの女は狂っているのだろうか。

 まぁ、騒ぐようなら静かにさせればいい。とにかくさっさと突っこみたい。


 歪む口の端を押さえながらボロ布を剥いだ。

 と同時に、喉元に剣が突きつけられた。


「へ?」


「――何人も来られたら、いい加減こっちも慣れるのよ」


 しゃがれた声。やはり汚い布で顔を半分ほど巻いていて、肌も罅割れ薄汚れているが、若い女だ。それは確かだ。

 だが異様に冷たく輝く目が、今すぐでもこの剣を押しこんでくるだろうという圧を放っている。というか、すでに少し皮膚を貫いている。


 くそ、武器を持ってるなんて聞いてないぞ。

 だが女の腕だ。押さえこんでしまえば、どうにでもできる。

 と考えたのが読まれでもしたか、切っ先がズブとさらに喉へ潜った。


「ま、待て! わかった、わかったから待て」


「何がわかったのか知らないけど、わかったんならさっさと失せて」


 ちくしょう、こんなクソアマにあしらわれるなんて、人に知られたら生きていけない。

 多少の怪我は覚悟で、ぶっ殺してやろうか――


「刺されてでも頑張る、なんて言うならべつにいいけど――」


 言いながら、女は顔の覆いを少しだけまくり上げた。


「――これを見てもその気になる?」


 暗闇のせいでよく見えない。

 だがそれでも、顔面が腐れたように崩れているのはわかった。


 やっぱり狂った女だった。冗談じゃねぇ。





 へこへこと逃げ去っていった男の姿が見えなくなってから、盛大に息を吐いた。


 あーーー、怖かったーーー! もうヤダーーー!


 なんなのもうひっきりなしに! こっちは命からがらようやく人のいるところまで辿り着いたばっかりなんだからのんびりさせてよ!

 でもひとりでよかった……昨日みたいに武器を持った男の人が何人もいたらもう逃げられる気がしない。


 もとから威圧感のあるクロワルチェの声がさらにドスを効かせられるようになったけど、ハッタリで切り抜けるのも限界があるよ……

 しかしそこそこ効果あるんだなぁこの火傷。やっぱり怖いのかな。自分でも怖くてちゃんと確認できないくらいだしそりゃ怖いよね。

 それっぽい病気みたいに見せられるのは便利――うん。便利。そう思わないとやっていられない。ちょっと膿んできてる気がするけどきっと大丈夫まだ大丈夫たぶん大丈夫うえーん助けてー。


 とりあえず寝よう……この世界の人たち信心深いから教会なら安全かなと思ったけど、来るときは来ちゃうなぁ。どうしよう、他に安全な場所あるかな……






 イヤなことがあっても熟睡できるのはわたしの良いところ。きっとそう。

 というわけで今日も布に包まりながらこそこそ路地裏を回ってご飯を探す。


 すっかり治安の悪くなっちゃったベクステアの街も、開いている宿屋や酒場が無いわけではない。なので根気よく探せば残飯が捨てられているし、同じ目的で彷徨っている同じような恰好の人も見かける。

 野菜くずとか齧ってると不意に涙が出そうになるけどね……でもいちおう食べ物には違いないから……森で彷徨ってるときはもう少しで虫食べるところだったから……


 ほぼ丸ままのラディッシュがあったので今日は豪運。なんだか先っちょのほうがちょっと不思議な色になってるけど、そこを避ければへーきへーき。


 適当な家の物陰を借りて、生の根菜を兎のようにコリコリ齧りながら考える。

 んで、わたしこれからどうしよう。


 死にたくないの一心でここまで来たし、お腹が減るからといろいろ大事なものをかなぐり捨ててどうにか生き延びてるけど、それからは?

 この身体がクロワルチェである限り、少なくとも近隣に安心できる場所は無いだろう。すっかり面影も無くなったけれど、近しい人――例えばシルウィールちゃんだとかに見つかったらさすがにバレる。

 彼女たちははたしてクロワルチェを死んだと思っているだろうか。屋敷は燃えたけど、きちんと調べれば死体が無いことに気付くかも。そうなると、やっぱり捜索がされると考えるべき。


 結論。相変わらずピンチ。どこまで行ってもピンチ。

 国を出ればなんとかなるかなぁ。ただ正直、体力がね。なるべく気にしないようにしてるけど、ずっと頭がフワフワするんだよね。額も控えめに言って大怪我したままだしここまで強行軍だし酷い生活だし、仕方ないね。


 おウチ帰りたい……ん、ウチってどこだっけ……フラムンフェドの屋敷、のことではないんだけど……んー?


「――誰だ?」


 ひえっ!? しまった家の人に見つかった! ごめんなさいちょっと座れるところが欲しかっただけなんです!

 どう言い繕っても、明らかに怪しい格好をした女である。盗っ人かなにかと思われて袋叩きにされても文句は言えない。

 逃げろー!


「待て」


 あっさり捕まった。ぎゃーこのお爺さん力強い!

 あ、待って待って顔を見ないで! あんまり見ないほうがいいから!


「……クロワルチェ様?」


 お知り合いでしたか。

 ほーらバレた。

 終わった。

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